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ネストから覗くPost-religionな未来

ネスト、というスタートアップに参画している。
参加よりも、参画という言葉が相応しいと思う。

・ネストは空間を超えて暮らしのリズムで人と人がつながるプラットフォームです
・物理的な距離は離れていても、心理的な距離は近い共同体「ディスタントネイバーフット(遠くのご近所)」と一緒に、暮らしのリズムを整えましょう

ネストは、友人の藤代健介くんが始めた、スタートアップ企業。僕は、そのプラットフォーム上でリズムを展開する一人のホストだ。また、さかのぼればこの法人が立ち上がる以前からのご縁が続いて、今に至るまでその展開を間近で目撃してきた。「ウェルビーイングって何だろう」ポッドキャストの内や外で、藤代健介くんの抽象的おしゃべり相手として漂わせてもらってもいる。おかげで、学ばせてもらうことが本当にたくさんある。自分より若い師を持つことは大切だ。

ネストの可能性は未知数だ。とりわけネストは、一般的なスタートアップのセオリーに沿っていないところが多分にあるように思う。それが危うさでもあり、魅力でもある。特にポスト・コロナにおいては、あらゆる業界で今までのセオリーが通用しない局面が飛躍的に増えるだろう。ネストのスタンスは正しいのだと思うし、応援している。

ところで、あらゆる宗教関係者にとって、ネストは刮目に値する。ネスト立ち上げに当たって、藤代健介くんが僧侶の僕に声をかけようと思ったこと自体も、象徴的だ。

仏教に限って言えば、僧侶の間では教義解説の知識が重んじられがちだが、お寺や家庭といった信仰の現場において実践されているのは、詳しい意味など分からなくとも毎朝毎晩お仏壇の前に座ってご先祖のために読経する、身体化された習慣だったりする。

宗教とは教義が中心ではなく習慣が中心であり、信仰とは心の話ではなく習慣の話である。そう言い切ってしまった方が、現実に近いと思う。

仏教では宗派によらず「戒定慧」の三学を基本とする。悟りの智慧に至るためには、戒と定が必要だ。最近は定=マインドフルネスの方ばかり注目されるが、定が木の幹だとすれば、戒=習慣は木の根っこであり、日頃から根っこのメンテナンスは欠かせない。鎌倉円覚寺の横田南嶺老師が布薩会(ふさつえ=僧侶が日頃の習慣を振り返る機会)の復興に取り組まれているのは、まさしくそこだ。

もう一つ、釈尊(おしゃかさま、ブッダ)が示されたように、「修行においては何よりも仲間が大事」だ。宗教というのは、一人では成立しない。必ずその価値観や世界観を共有する仲間が求められる。宗教とは、つながりであり、コミュニティでもある。

そう考えると、

・ネストは空間を超えて暮らしのリズムで人と人がつながるプラットフォームです
・物理的な距離は離れていても、心理的な距離は近い共同体「ディスタントネイバーフット(遠くのご近所)」と一緒に、暮らしのリズムを整えましょう

というネストのメッセージは、とても宗教的だ。同時に、それをいわゆる「宗教」という文脈から離れて実現しようとしている姿勢は、とてもPost-religion的だとも思う。僕と藤代健介くんは10歳くらい年齢が違うのだけど、もし藤代健介くんが10年早く生まれていたらお坊さんになっていたかもしれないし、もし自分が10年遅く生まれていたらお坊さんにならずに起業家としてネストをやっていたかもしれない、なんていうことを思ったりもする。

ネストにおいてはいわゆるホストが各リズムにつき一人ではなくて、「リズムリード」と「リズムサポート」の2名体制でやることになっている。サポートとしてネストが引き合わせてくれた愛梨さんは、優しくてオープンマインドで積極的で探究心のある、素敵な人だ。ホストとは言っても特別な位置にあるわけではなく、あくまで同じリズムを共有するネイバーの一員。「教祖」を生み出さない仕組みは、ネストのPost-religion的な特徴がよく出ている。

さて、ネストで僕が開いているのが「掃除巡礼リズム」だ。

なぜ、掃除か。

お寺では当たり前のように掃除が修行に組み込まれている。禅宗の修行道場などでも、坐禅より掃除の方が時間が長いくらいだ。なぜかといえば、自分たちが生きる環境を整える、日々の生活そのものが仏道修行と考えられているからだ。環境との関わり合いの中で、自己の仏道が定まっていく。

ブッダは、目覚めた人という意味。仏道は、ブッダになる道、私たち自身が目覚めていく道。悟りの智慧に目覚めるために、戒=習慣と、定=マインドフルネスを整えていくこと。掃除は、動く瞑想として取り組めばマインドフルネスを高める効果もあるし、同時に、それ自体が私たちの生活環境を整える良き習慣づくりになる。

なぜ、巡礼か。

かつて比叡山で「掃除地獄」と呼ばれる修行をされていた、京都大原・三千院の住職、堀澤祖門さんという僕の大先輩のお坊さんがいる。祖門さんに、お寺の掃除の極意を聞いたら、こんなお話をしてくださった。「お寺だからといって、特別な聖地を掃除していると思っているうちは、まだまだです。人間、一人一人の中に、仏になる種、仏性があるのだから、この私がいるところは、そこがそのまま聖地です。地球は全て繋がっていて、聖地でないところなどありません」

祖門さんが仰るように、究極的には「私がいるところ、そのまま聖地」の感覚なのだろう。そこへ至るためにも、まずはあえて、お寺や神社といった聖地を掃除することを、一人でも多くの人に体験してみて欲しい。日本仏教は、アンビエント仏教、環境との関わり合いによって自ずから整っていく仏教だ。掃除してみて初めて気づけることが、ほんとうにたくさんある。

テンプルモーニングはもっとも身近な入り口の一つだけれど、ここネストの掃除巡礼リズムにおいては、ネイバーのみんなにその一歩先を体験してもらいたい。「近所のお寺や神社を掃除してみましょう」というシンプルなミッションが、その何気なさからは想像もつかないような気づきと体験をもたらしてくれるはず。

「時間同期・空間非同期」の習慣プラットフォーム、ネスト。

みんなで暮らしのリズムを整える。

掃除巡礼リズムで、お待ちしてます。

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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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