「やってみせる」と自己効力感 [no.220]
おはようございます🌞
ライフとワークをシームレスに生きる、ライフキャリア考え人のかぁちんです。
今日は最近考えていることの思考過程のアウトプットです。
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仕事で大事にしている言葉があります。
どれも大事なことではあるけど、「やってみせ」のプロセスの大切さを改めて認識しています。
「やってみせ」を雑にしたり省いた時に、教える側と教えられる側に認識さが大きく生まれてズレにつながる出来事が少なからずあったことがきっかけになっています。
例えば、子供と料理をした時のこと。
キューリを「サラダ用に斜めにスライスして。」と言ったのです。
私はイメージとして包丁を30度の角度をつけてスライスするイメージだったのですが、息子はキューリに直角に包丁を入れて切りました。
同じスライスだけど、言葉の認識で差が生じたんですよね。
その前に「やってみせ」を挟んでおけば、「母のサラダの斜めのスライス」のイメージが刷りあったのだろうと思いました。
私の中ではいつも食べているサラダのキューリから想像できるかなと思ったのですが・・・。
これは伝え方、の話かもしれないですね。(良い例ではないかもしれませんが)
もしかすると「僕にはお母さんのように斜めのキューリはきれない」と思わせてしまうことにもつながったなと思っています。
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子育てや人材育成において、教える側が相手に与える影響は大きいです。
「あの人ができている」ことをみせることは「自分にもできるかもしれない」と自己効力感を生むために大切なプロセスです。
対大人と対子供で「やってみせる」のレベル感もチューニングして提供していきたいですね。
おしまい👋
本日の音声配信
ではでは、皆様本日も素敵な1日に🌷
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