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松屋の米と吉野家の米と小学校の給食の米と

久しぶりに松屋で牛めしを食べたら、米があまり美味しくなくて、牛丼のつゆの味も吉野家に近付けられたように変わっているように感じて、これは自分にとってうれしくない変化だなと思って、あれこれ書いてきた。

今までたくさん牛丼を食べてきたけれど、牛丼チェーンの牛丼との出会いは小さい頃の食べた吉野家で、そのときはとても美味しいと思ったのだと思うけれど、大人になって、一人で外食するようになってからは、吉野家ではない牛丼ばかりを食べてきた。

自分の味の好み的に、牛丼のつゆの味として、吉野家はぴったり来るものではなかったというのもあったのだろうけれど、それだけではなく、米を美味しく食べられるかどうかというところで、吉野家はなんとなく満足しきらないところがあって、他の好きだった牛丼チェーンの米はいい感じだと思っていたからというのが大きかったのだと思う。

アルバイトしていた頃になか卯の牛丼が好きだったのは、つゆの味がお大きかったとはいえ、その頃のなか卯の米は、米自体がそこまで味がしっかりしていて美味しいという感じではなかったのだろうけれど、けっこう張りを感じる炊き具合になっていて、その辺りの心地よさは大きかったのだろうなと思う。

俺がよく食べていた頃の牛丼太郎は独特な米だったけれど、俺はむしろそれが好きだったし、松屋は一時期は米自体としてとても美味しいくらいに美味しい米を食べられたりしていた。

松屋はその後もずっと、米を食べたいなと思って、松屋に行って、ご飯がちゃんと美味しいことに満足させてもらってきた。

吉野家の牛丼のつゆは俺にはちょっと味がきつかったり、ちょっと臭いが鼻につくとは思っていたけれど、吉野家は吉野家として美味しいとも思っていたはずで、それなのに、本当にたまにしか吉野家に行かなかったのは、やっぱり米になんだかなと思ってしまうというのが、昔からずっと続いていたからなのだと思う。

けれど、米がいまいちだから足が遠のくというのは、牛丼屋でだけそうなっていたわけではなかったのだと思う。

職場の近くの中華料理屋はあきらかに自分に合わなさそうでもない限り一度は行ってみていたし、適当に目についた定食屋に入ってみることも多かったし、そうしていると、吉野家の米より美味しくない米を食べる機会なんて珍しいことではなかった。

中華料理屋だと、だいたい炒め物を頼んで、おかずをご飯にバウンドさせて食べるし、米がいまいちでも他が美味しければ気にならなかったけれど、和食系の定食屋だと、食べながら米が美味しくないなと繰り返し思ってしまうような店は、値段が安くても再訪することはなかった。

それは単純に、中華料理屋では、おかずやスープが美味しくても、あまり美味しくない米というか、米だけを食べていても美味しいと感じるような米を出さないパターンがあるけれど、和食系の場合、米の風味を味わおうとしているとがっかりする感じの米を出している店は、ほぼ確実に、おかずも汁も漬物も、俺にとっては味がきつすぎたり、甘すぎたりするからというのもあったのだろう。

そういう意味では、吉野家とかてんやに対して、なんだかなという気持ちがずっとくすぶり続けているのは、吉野家とかてんやというのは、味付けが自分の好みとはぴったりというわけではないにしても、美味しいと思うし、米さえ美味しければちょくちょく行っただろうと思うような味だからこそ、本当にどうしてこんな米なんだなと思ってしまって、余計になんだかなという気持ちが強まっているという感じなんだろうなと思う。

美味しいはずなのに、米がいまいちというのは、なんともがっかりすることなのだ。

たしかに、大学の食堂とか、やる気がないタイプの社員食堂みたいなところで、なんだかなという感じのおかずで、食べたらまずいなと思ってちょっと笑ってしまいそうになるような米を食べるには、そういうものだと思って、特別不満に感じてこなかったようにも思う。

(大学の食堂は、俺の頃は、大きいところはシダックスが運営していたのだと思うけれど、学生寮の食堂のほうが美味しかった。きつい味付けではなかったから普通には食べていられたけれど、米もおかずもカレーでも何でも、何を食べても風味が弱くてぱっとしない味だった気がする。)

学生食堂の米のほうが、吉野家の米よりよほど美味しくなかったのだろうけれど、それはそんなものだと思っていられたのだ。

それは昔からそうで、昔は旅行に行ったりすると、やる気がない食堂みたいな店がけっこうあって、子供ながらにメニューを見ながら美味しそうな気がするものがないなと思って、その中から選んだものが、やっぱりあんまり美味しくないということがよくあった。

そういう店に入った時点であんまり美味しくないんだろうなという感じのする店では、ご飯が美味しくなくても、そういうものだと子供ながらに思っていたように思う。

世の中にはこういう場所があって、こういう場所ならではの、こういう味があるんだなと思っていたのだろう。

美味しくなさというのは、それぞれに個性的だったりもするし、俺のように、母親が料理がうまくて、ニュータウンに住んでいたことで、身近な飲食店に極端にまずい店がなかった子供からすれば、こんなふうにして美味しくない食べ物もあるのかと、それぞれに印象深いものがあったのだと思う。

近年のコンビニの弁当みたいな、美味しいけれど、味がつけられすぎているし、いかにもそういう系統の美味しさという以外には何も感じ取れるものがないみたいな、何を食べているのか不明瞭なまま食べ終わって、何の印象も残らないような食べ物より、何かしらの不足とか、アンバランスさをくっきりと感じながら、なんだかなと食べ進んでいるほうが、感じられることがあるだけ楽しいというのは、食べるのが好きな人一般的な感じ方だろう。(美味しいものを食べるのが好きなだけの人は食べるのが好きなわけではないのだとしたらの話ではあるけれど)

けれど、吉野家というのは、そういうような、美味しくなさやアンバランスさが印象的な店というわけではなかったのだ。

吉野家は、まだ小学生になる前に食べて、とても美味しいと思ったのだし、それからずいぶん経って、久しぶりに食べて、美味しいけれど、ちょっと口が重たくなるし、ご飯がぐずぐずするなと、物足りなさを感じたのだ。

はっきりと覚えてはいないけれど、そういうような、美味しいのに米がいまいちでがっかりするという感覚は、俺の場合、小学校時代の給食の米飯からスタートしたのだろうと思う。

そして、そこでスタートしただけでなく、週に二回に繰り返しなんだかなと思い続けながら6年間を過ごしたことで、美味しくない米に対してのうんざりする感覚というのが自分にとって馴染みのあるものになりすぎたことで、学生食堂で食べても、安くて微妙な食堂で食べても、またこういう種類の美味しくない米かと思って、すぐにそのうんざり感に戻ってしまうような体になってしまったのだと思う。

きっと、俺にとっては、旅行先とか、やばそうな店や、やばそうな弁当で食べる、特別美味しくないご飯を除外したときには、米というのはいつでも美味しいものということになっていたのだと思う。

だからこそ、小学生になって、学校給食の米が美味しくないことに、小学校1年生の俺はびっくりしていたのだろうし、何年食べても食べ慣れてなんとも思わなくなることもなくて、ずっとなんだかなと思い続けていたのだと思う。

俺にとって美味しくない米のイメージというのは、何よりもまず、小学校の給食の米と結びついているのだと思う。

俺の小学校の給食は、調理師の人たちがよかったのだろうけれど、汁物もおかずも、総じていつも美味しかった。

それだけに、主食のパンと米飯がまったく美味しくないことに、特に低学年の頃なんかはずっともやもやしていたような気がする。

吉野家の米がぐずぐずした感じがあるのが好きじゃないということを書いたけれど、小学校の給食の米も、ぐずぐずした感じがあったように思う。

吉野家とかてんやの米に感じた美味しくなさというのも、そういううんざり感だったのだと思う。

保存状態が悪くて美味しくなくなっているとかではなく、昔から、家で食べる米には感じないけれど、学校給食の米にはいつも感じていたような、ただ風味が弱かったり、食感が心地よくなくて物足りないというだけではなく、米の美味しくなさだけがじわじわと際立っていくような、だんだんとずっしりとうんざりさせられて、それ以降、その感触を思い出すと、何となくその店から足が遠のくような、そんな美味しくなさを感じていたということなのだと思う。

給食の米飯の場合、炊いたものを配送してきて、大きな容器に蒸気がこもって、ところどころ水分を含みすぎてしまったりしがちだったりとか、そういう仕方のないところでぐずぐずしていたところもあったのだと思う。

クラスごとの大きな容器からひとりひとりアルマイト平皿によそっていた

俺は小さい頃も冷やご飯が嫌じゃなかったから、冷えているから美味しくな買ったというわけではなかったのだと思う。

冷えているうえで、家で食べる米からはしない臭いがしていたし、それがいい臭いではなかったとか、家で食べる米のようなふっくらもちもちした感じが希薄で、最初から糊(のり)っぽい感触がしているとか、思い出せる気がするものだけでいろいろあるけれど、とにかく小学校の給食の米は、全面的に微妙だった。

自分の家がスーパーで売っている一番安い米を買うタイプの家ではなかったから、家の米とのギャップでそう感じていたのもあったのだとは思う。

本当に、びっくりするほど風味に柔らかな膨らみのない、冷たい味の米だったし、味わうほどに美味しい感じがしてくるのではなく、味わっていようとしても、ずっとあまり気持ちよくない匂いが続いていたなと思う。

ただ、それはコッペパンにしても同じだったのだと思う。

コッペパンもそれ単体としては美味しくなくて、おかずでパンを進められたぶん以上には食べたい感じがしなかったし、マーガリンとかジャムをつけたからといって、わざわざ食べたいほど美味しくなくて、低学年のうちはよく残していた。

それでも、美味しくなかったなと記憶に残っているのは、圧倒的に米飯だった。

それはパンのおいしくなさに対しては、米のおいしくなさに対してとは別の慣れ方をしていたからなのだと思う。

きっと、小さい頃から、俺にとっては、米は普通美味しいもので、パンは普通あまり美味しくないものという感覚があったのだろう。

そして、その感覚はずっと変わらなくて、だからこそ、年を取って、好奇心が低下して、食事体験から刺激を受けたいという気持ちも薄れていくにつれて、パンや麺類を食べたい気がすることも減って、中華料理にしても牛丼にしてもそうだけれど、食べご飯を中心にした食事ばかりを好むようになっていったのだろう。

そのあたりの、自分がどんなふうにパンや他の食べ物への慣れ親しんできて、どんなふうに米が特別なものであり続けたのかというのをまた書ければと思う。


(続き)



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