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痴漢冤罪で人生が終わるだけでなく、痴漢被害でも人生は終わる

「こんなこと言いたかないけど、痴漢に遭っても人生は終わらないが痴漢冤罪に遭ったらほぼ人生が終わるので、男の利益を考えたら「痴漢なんて大した問題じゃない」と主張せざるを得なくなる。おかしいとは思うが、それしかなくなる。」

というようなことがSNSで投稿されているのを見たけれど、痴漢に遭っても人生終わるケースはあるだろうと思って、本当に、ひとによって生きていることの意味というのがまったく違っているんだなと思った。

俺が小さい頃から、キモいおじさんやキモいおばさんや、一見キモくない男や女から、性的にいたずらされたり、恐怖を感じるようなやりかたで体を触られたりしてきて、他人が自分の肉体に性的に何かして興奮してくることの脅威に怯えながら他人を見ているところがある人間になって、そのまま大人になっても、セックスが好きになれないままで、自分とセックスしたがる女の人にも不信感が拭えないままで、結局死ぬまで恋愛映画や恋愛漫画のような気分になる恋愛はできないままの人生になったとしたら、それは充分に終わっている人生だろうと思う。

俺が人生で経験した素晴らしい体験の大半は恋愛に関連するものだし、その中のそれなりに多くがセックスに関連するものなのだ。

俺のような、異性と恋愛的な関係でお互いの肉体がそばにあることを心地よく思いながら一緒に過ごす時間を人生で一番大切でうれしい時間だと思っているような人間からすれば、男嫌いの女の人も、女嫌いの男の人も、ひたすらかわいそうになと思ってしまう存在なのだけれど、なぜかわいそうなのかといえば、それはそんな人生終わってるなと思ってしまうからなのだろう。

男嫌いの女の人はたくさんいるし、そういう感覚が深いところにこびりついている人と付き合ったこともあるけれど、痴漢を頻繁にされて泣いていた時期があった人は、男嫌いという感じではなかったけれど、キモい雰囲気を普段からにじませている男は普段関わりがある人でも徹底した軽蔑を向けていたりした。

まだ小学生くらいの頃に変態の男に声をかけられて、いやらしいことをされて、いやらしい格好の写真を撮られたことがあったり、体がおとなになってから親族に性暴力を受けた人は、恋愛はしていたし、相手に求められればセックスしていたけれど、三十代半ばで俺と付き合った時点でも男全般を軽蔑していた。

セックスしてもびっくりするくらいマグロで、俺が相手のペースに合わせてゆっくりと優しいだけのまったくエロくないセックスをしてあげたら、とてもいい感じだったらしくて、ずっとうれしそうにしてくれていて、俺が頑張って我慢しながらいっぱいしてあげていたら中でいけて、終わってから、初めて中でいけたと言って、不思議そうな、満足そうな顔をしていたけれど、こんなに面白くて楽しくて、顔も魅力的で体もきれいな人が、この歳でやっとセックスを自分のペースで自分らしく気持ちよく思えるようになる人生になるなんて、おかしいだろうと少し泣きそうになった。

他の付き合った人も、かなり強い男性恐怖を持っていた人もいたし、年上の人だと、小さい頃からみんながみんな嫌な目にあっているから、そんなものだという諦めがありそうではあったけれど、それでも、個人からも集団からも社会からも嫌なことをされてきた恨みはずっと残り続けているのは、一緒にいて一緒に何かを見たり話したりしていていつも感じていた。

俺は他人から見たときに、人並みよりもすれてなくて、傷付けられてきていなさそうな雰囲気の男だったのだろうし、そういう男と仲良くなってくれる女の人たちというのは、男に嫌な思いをしてきて、男嫌いなところがあったりしたとしても、そこまで防御意識の強くない、人前でも素直になれたりもする、演技ではない動物的なひとなつっこさが残っている人たちばかりだったのだと思う。

俺には仲良くなりようがなかった、傷付きすぎていて、傷付けられないことを何よりも大事なこととして意識しながら人の輪の中を生きている人たちが、俺のそばにもたくさんいたのだと思う。

そういう人たちはいろんなことで傷付けられてきたのだろうけれど、その中には、親子のこととか、いじめとかだけではなく、性的なことも含まれている場合が多いのだろうし、何よりも性的にショックな思いをさせられたことで、人間を見る目を変えられてしまった人もたくさんいるのだと思う。

俺だって、性暴力を繰り返し受ける人生だったなら、人間がうれしそうにしながら自分に嫌なことをしてくる嫌な存在に思えたのだろうし、それでも自分はオナニーするし、女の人を性的に消費するポルノコンテンツで勃起できるし射精もできることにとても嫌な気持ちになったのだろうし、映画や漫画で自分を愛してくれる女の人をキラキラした目で見返している男の姿を見ても、自分にそんな未来があるんだろうかと思って、胸が苦しくなったりしたのだろう。

俺の実際のところがどうだったのかというと、小学生の低学年に2回、近所の公園で知らないおじいさんに声をかけられて、短パンの隙間からペニスや睾丸を触られたことがあったのと(はっきり覚えていないけれど別のおじいさんだったと思う)、二十代の後半の一時期、通勤の朝の中央線の中野から新宿の間で、同じおじさんから、股間を触られたり、カバンを前においていてもそれでも触ってこようとされたりというのが10日くらいあっただけだった。

小学生の頃の痴漢おじいさんは、俺が性的にまったく無知だったし、おじいさんはヘラヘラしているだけで、怖さは感じなかったし、痛いことをされたわけでもなく、俺がよくわからない顔をしていたら、少しして手を離して去っていったから、特に何のショックも残らなかった。

痴漢とか変質者とか同性愛とか子供にいたずらする変態とかというのをニュースで見るようになって、そのことを思い出しはしたけれど、変な人もいるんだなと思っただけだった。

きっと、もっと怖い雰囲気のする人が、自分の怖さで子どもの俺を震え上がらせようと圧力を欠けてきていて、性器への刺激も、何かしらの反応を俺から引き出そうと、必死な感じで何かをされていたりしたら、暴力的なものにさらされている気分が俺の中にも充満していったのだろうし、その後もなにか怖い感じがする男を見るたびに、その時のことを思い出すようになったのかもしれない。

二十代の電車の痴漢にしろ、40代くらいのしょぼい眼鏡のおじさんだったから、普通に真正面から顔面を殴ってしまおうかとも思ったりしていたけれど、ずっとなんでもない真顔をキープしたまま、見えない腰より下の方では、カバンで防いでいるものを押しのけて一生懸命俺の股間に手を伸ばしてこようとしていて、朝の通勤の中央線のそれなりの混み合いの中で、何か言ったり、胸ぐらをつかんだり、顔を殴ったりして、ガヤガヤしている中で、「しつこいねん、ちんぽ触りたかったら自分の触っとけ」とか言われるそのおじさんのことを思うと、かわいそうになって、冷たい目をしながら手を押し返したり、違う車両に乗ってみたりとかして、そっとしておくことにした。

俺が痴漢や変態行為にさらされても、性的なものを嫌なものだと思わされて、人生を終わらされなかったのは、それがたまたま怖くなくて、変態さんが変態なことをやってまわっていて、たまたまそれが俺だっただけだと思っていられたからというだけなのだ。

女の人たちがさらされている性的暴力というのは、俺にとってのしょぼいおじいさんやしょぼいおじさんにされたこととはまったく違っているのだ。

俺は暴力にさらされたわけではなかったし、女の人たちは痴漢でも暴力的な傷付けられ方をする。

俺はきっと、世の中には変態もいるし、暴力を振るうことに喜びを見出す迷惑な人間もいるけれど、それはそういう人たちもいるというだけで、恋愛を掛け値なくなんの曇りもなく素晴らしいものだと思っているし、性的なものを掛け値なくなんの曇りもなく素晴らしいものだと思っているのだと思う。

恋愛とかセックスとか性欲とか、そういうものを汚いものだと思っている人たちはたくさんいるのだろう。

俺からすると、その時点で、人生終わっているなとは思わないにしても、俺とは違う人生を生きているんだなとは思ってしまう。

それでも、眼の前の女の人が、男が怖かったり、セックスが嫌いだったりするときには、その人が自分でそうなりたくてそうなったわけではないことはわかるし、嫌な思いをさせられてそうなったのだということはわかるから、そういう嫌なことがあなたに起こらなければよかったのにねという気持ちになるし、そういう気持ちに包まれながらも、その人がそんな人であることを好きになっていける。

というか、俺が性的に傷付かずに大人になれたみたいにして、まったく性的に傷付けられずに大人になれた女の人と俺は今まで知り合ったことがあったんだろうかと思う。

女の人たちは、ほとんどみんなと言えるくらい、みんな傷付いていて、その中のそう少なくない人たちが、恋愛やセックスに祝福されるはずだった人生が終わるくらいに傷付けられているのだ。

痴漢に遭っても人生は終わらないなんて、あまりにひどい言い方だろうと思う。

いろんな人生があって、そこに上下がないとしても、そうやって終わらされる人生があって、終わらされた人生以外の人生を生きるしかなくなって、俺はそれをかわいそうにと思う。

他人をかわいそうな存在だと思うなんてひどいやつだと思う人もいるのかもしれない。

そういう人は、痴漢されたからってその人はかけがえのない何も欠けたところのない人生を精一杯生きているはずだとか、そういうタイプの言葉を繰り返しながら生きていればいいのだろう。

暴力は何かを壊すし、時間をかけても回復しないものはいくらでもある。

壊されなければよかったのにねと、かわいそうにと思えない人を、俺は軽蔑しているのだと思う。



痴漢冤罪?

これの件であれば、冤罪仕掛けられた側は、虚偽告訴罪でも名誉毀損罪でも訴えられるのだし、警察は裁判で訴える際の資料となるものが必要か確認して、必要であれば、拘束している冤罪仕掛けた側と状況を確認しあった資料を作るなど、冤罪を仕掛けられた側に協力するというくらいのことはしてあげてもいいんじゃないかとは思うし、そういうことを痴漢犯罪の取り扱いの中で仕組み化していけるといいんじゃないかと思う。

男だけでなく女だって、小さい頃から、大人になっても、いじめもすれば、パワハラもするし、詐欺も働くのだから、性犯罪まわりも、男とか女ではなく、悪意をもって不正な行為をする人間が男女問わずたくさんいるという前提で、同じ人間として扱っていってほしいなと思う。

痴漢冤罪以外でも、警察沙汰にしておきながら、虚偽告訴だったというケースは世の中にたくさんあるのあろうけれど、警察はもっとそういう悪意のある人間が罰せられるように協力するべきなのだろう。

かわいそうということでは、悪意をもって不正な行為をする人たちというのも、高い割合で、他人から傷付けられて、まともな感じ方がどこかしら壊れてしまっている、かわいそうな人たちではあるのだろう。

だからといって、生きていくために他の選択肢がなかったような窃盗なんかと違って、痴漢冤罪のように、悪意に身を任せて人を騙して危害を加えようとするというのは、また別の一線を越えた行為なのだし、犯罪者がかわいそうな人ばかりだからといって、悪意を人に向けて危害を加えたことには、相応の罰が与えられればいいのだと思う。


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