リアル授業の価値の低下が教員に「教科学力」を要求する
ICT普及に伴い、リアル授業の価値が低下しています。
オンライン授業で教員側が配信するというケースもコロナ禍の初めにはありましたが、現在ではオンデマンド配信を利用するケースが増えているようです。
小学校ではNHK for School、中高でのスタディサプリや学びエイドなど多くの授業動画がそろっています。
またYouTubeにも無料で利用のものが多数存在し、学校でリアル授業を受ける価値は相対的に低下しています。
「主体的・対話的で深い学び」と「個別最適化」
その流れと連動するように、インプットを動画などを活用しリアル授業では「主体的・対話的で深い学び」という取り組みが進んでいます。
少し前までは「アクティブラーニング」と言われていたもので、議論や討論などアウトプットを学びの中心に据えた学習方法です。
インプットは一人ですることが可能であるならば、集団でしかできない活動を学校での学びに組み込むのは極めて合理的な時間の使い方です。
同様の流れで「個別最適化」が叫ばれて久しくなります。
これは一人一人の学習状況や学習課題は異なるため、オーダーメイド的な学習プログラムを行う方がより効率的である、というものです。
AIなどを用いた「atama+」などがその代表格でしょう。こうした学習を指導者のサポートと合わせて実施することが今後の教育のスタンダードになることは間違いありません。
そして、黒板の前で行う一斉授業、特に教員主導型の範囲進行型の一斉指導スタイルはその割合を減らしていくでしょう。
教員の学力が不要となる印象
こうした話を聞くと、多くの方がこう思うでしょう。
「動画を見せて討論させるのならば、教員なんて誰でもできる」
「AIが答えを教えるのならば教員は学力無しでも務まるはずだ」
確かに動画が全ての説明を行い、AIが解説を呼び出すことだけを切り取ってみると、そうした印象を受けやすいことを否定はできません。
しかし、それは多くの人が、特にそれなりに学業優秀だった人が陥りやすい思い込みに基づいています。
「動画を見れば理解できるはず」
「解答を読めば理解できるはず」
という思い込みです。
高校生の大半は偏差値50以下
偏差値は学力の分布を表す指標で、平均値を50としています。
そうすると学力上位の人たちは世の中の半数の人は偏差値50以上である、と考えます。
しかし、高校での偏差値は「大学進学を考える生徒」の中の平均値に過ぎません。
現在の大学進学率が約5割であることを考慮すると、高校3年の模擬試験などで見る偏差値50以上は、学力の上位30%以上の層に相当するでしょう。
つまり、真に平均的な学力層の生徒はベネッセ偏差値40~45の層であり、動画や解説のみでは学習が成立しないのが当然なのです。
教員のサポートが不可欠
そうした集団の授業においては教員側のファシリテーション的なサポートだけではなく、学習課題の発見や解決に関してのサポートが不可欠となります。
もちろんAIは本人が苦手な分野や出来ていない場所見つけてくれるでしょう。
しかしその内容理解を個別に噛み砕いての説明や、場合によってはややこしい内容の部分的な省略などは人間の力に頼らざるを得ません。
そうした教科的なサポートは一見すると簡単に見えますが、実際にはかなり高い教科学力を必要とします。
その場でどんな質問や内容が出てくるかは、実際に生徒とのやりとりの流れに任せるしかなく、事前準備が不可能なため広範な知識を求められます。
当然ながら、一斉授業の準備が教科学力を要せず、大変ではない、というのは嘘になります。
しかし、流れやポイントなどを教員側の主導で事前に決めて準備ができるという点においては楽な側面もあるのです。
授業中の発問だけでなく、生徒からの不測の質問なども実はかなりの部分が準備段階でコントロール可能だからです。
「教科学力」から「教科横断学力」
現在の教育の流れは、教科横断的な学力の養成にシフトしています。
指導要領、教科書、新共通テストなど全てがその方向に向かって作成されていますし、社会情勢や日本の課題を考えればその流れは必然でしょう。
そうした中で教員には、教科の中だけの閉じた「教科学力」だけでなく、幅広い関連知識をつなげた「教科横断学力」が求められるようになるのではないでしょうか。
それには自己研鑽が不可欠であり、そのための時間如何に捻出するかが重要になります。
そうした意味でも、働き方改革や部活動地域移行化の動きは、労働問題だけでなく教育問題としても重要な社会問題と言えます。
学校での時間を減らし、家庭や学校外での学びの時間を作るかが教員としての素養にダイレクトに関わるものになるのではないでしょうか。