ICT教具論者はICT導入に学力向上の夢を見る
前回からの緩い続きになります。
ICT導入反対論者の論拠に多いのが、「教育効果が低い」、「教育効果が向上するエビデンスが得られていない」といったものがあります。
今回はこれについて考えていきます。
ICTによる教育効果とは
文字通り、ICT機器を用いた授業や学習によって得られる学力の伸びのことです。
ICTを導入することで、生徒の興味をひいたり、授業の効率化が図れるとする教員の意識調査にも表れているようです。また、児童生徒側の意見としても肯定的なものが多いようです。
しかし、一方で批判的な見方もあります。
こうした評価もあるようです。
ただ、どちらにしてもきちんとしたエビデンスは得られておらず、GIGAスクールという最大規模の社会実験における、従来型の学力向上との関連性についてはまだ少し判明まで時間がかかりそうです。
教育効果や学力向上とICTを関連付ける意味はない
以上のように教育現場におけるICT導入に際しては常に教育効果や学力向上に関して目が向きがちです。
しかし、果たしてそれはICT導入の真の目的なのでしょうか。
ICTの導入の真の目的は、これから社会に出る若者に対して、現代社会に通用する能力を養成するために求められる技能の習得です。
もちろん、その副次効果として学力向上などがあれば導入コストへの説明も付きやすく、事業継続性は高まります。
しかし、必ずしも学力向上効果を必須としているわけではありません。ICTは文具に過ぎず、その導入に際して学力向上を要件とする必要などないのです。
極端な能率低下や学力不振との因果関係や相関性さえ存在しなければ、全く問題ないのではないでしょうか。
紙とペンと黒板を使う大人はどれほどいるか
現代社会において、社会人が黒板を見ながら紙とペンで学ぶことがどれほどあるでしょうか。
仕事の多くはPCによって入力、データベースの作成、メールによる連絡などICT機器を使用する前提で成立しています。
近年はスマホなどで出先から書類の作成や連絡、リモート会議への参加なども行っています。
つまり大人は当たり前のように、ごく自然に道具としてICTを利用しています。手書きでレポートを書く企業など存在しないのです。
そうした社会の大きな変化を見ると、当然ながら児童生徒もキーボードで入力して作成するような教育をするべきと考えるのは自然でしょう。
江戸時代には筆であったものが、昭和の時代には鉛筆となり、平成ではシャープペンシルになりました。そして令和の時代にはPCやタブレットに変わったに過ぎず、それは筆記具の進歩に過ぎません。
ICT反対論者の「ICT利用によって集中力が下がる」という言い分は、硯で墨を磨ることを止めた昭和の子供は集中力が下がったと危惧するのと同じレベルの批判でしかありません。
あるいは、鉛筆削りを携帯し小刀で削らない子供たちの器用さを失ったとでも言うのでしょう。
普段の道具としてICTを使うことの重要性
時代とともに道具は変化します。道具の変化によって紙とペンがタブレットやPCになっただけです。
ペンや紙を授業の板書を写す以外に使用して起こる大人はいません。絵をかいたり、企画を考えたり、様々なことがペンと紙では可能です。
同様に、PCやタブレットも授業だけでなく様々な場面で使用してこそ、使い方やアイデアを生み出す道具として価値を持ちます。
現代の子供たちは今よりもさらにICT活用が進んだ社会に出ていきます。
その社会へ適応する生徒を育成するためのICT導入であり、GIGAスクール構想です。
まずはとにかく日常利用を進めることが重要であり、教育効果や学力向上などを議論するのはもっと後になってからでよいのです。
そのために教員ができることもまた、日常利用の促進です。
まずはPCやタブレットを使い倒すことから始めてみてはどうでしょうか。