「ノートの取り方」を考える
新学年がスタートした時、特に新入生の授業では必ず話をすることがあります。
それは「ノートの取り方」です。
もちろん、中学校で普通に生活を送ってきている彼らは、すでにノートを取る習慣自体はできています。
しかし、そのほとんどは黒板の板書や教科書の記述を無目的に写すだけに過ぎないのが現実です。
今回は私が年度当初に生徒に説明する「ノートの取り方」を軸に、ノートについて考えたいと思います。
ただ、ここでは具体的なノートの利用法などではなく、ノートを使うときの基本的な方針やタイミングなどについて考えていきます。
個別のノート術に関して興味のある方はリンクを参考にしてください。
「ノートを取る」目的を明確にする
基本的にノートは誰かの説明を聞いたり、授業などを受けたりしたときに取ります。
その目的は、説明や授業の内容の記録を取るためです。
では、なぜ記録を取る必要があるのでしょうか。
内容を理解する、そして説明されたことを記憶をするためです。
理解だけならばノートの必要性は低い
大学受験などの教科学習での理解補助において、ノートを取る必要はほとんどありません。
なぜならば、理解は説明を聞く段階で行えばよいからです。
説明を聞いている途中に簡単な手元メモが必要となる場合はあるでしょう。しかし、それは理解を手助けするための図などを書くだけのものです。
話を聞いた時点で理解できないものは、板書をノートに丸写ししても理解ができることはまずありません。
むしろ、当該範囲の映像授業の動画を視聴する方がよっぽど効果的です。
例えば、数学の学習において重要なのは自分で考え問題を手を動かして解くことです。解答を作成したり、試行錯誤して図を書いたりするときには書き出すスペースは必要ですが、何かを丸写しする必要はありません。
また、現代においては板書をまとめたノートよりも、市販の参考書の方がよほどきれいに内容をまとめています。これを買って読み込んだ方が効果的なのは言うまでもありません。
記憶の補助手段としてのノート
ではノートに意味がないのか、というとそうではありません。
ノートの重要な要素に「記憶の補助手段」といものがあります。
要は、授業中に聞いて覚えておくべきことを一時的に外部保存する、という機能です。
この目的でノートを取る場合には注意が必要です。
それはきちんと記憶のトリガーとして機能させるということです。
板書をそのまま映すのではなく、覚えるべき言葉や用語などを書いて、その横に説明などを補足して書き入れることです。講師の説明やたとえ話なども入れておくことが望ましいでしょう。
ノートを取る真の目的
ノートを取る真の目的はその知識を使えるようになるために覚えることです。
そのためには、一度聞いた話を再度思い出すという行為が非常に重要になってきます。
そこで、ノートに書いた内容そのものと、そこに隣接するエピソードをトリガーにして思い出すことを繰り返していきます。こうすることで記憶を強化することが可能です。
また、その効果を最大限に活かすためにも必ず帰宅後にノートを読み返す、次回の授業の直前に読み返すといったサイクルを作ると記憶の再現が繰り返され、より定着しやすくなります。
デジタルか、アナログか
デジタルとアナログ論争に関しては諸説ありますが、個人的にはデジタルを推奨しています。
といってもキーボードによる入力ではなく、iPad+Apple PencilやSurface+Surfaceペンなど手書きによるものです。
PDFのレジュメに書き込むスタイルや、板書を写真で撮影しそこにペンで書き込むスタイルが効率性と手書きによる記憶の補強を両立できるようです。
説明者の説明をメモすることは、書かれた板書を写すよりも重要です。そうすると、書かれたものは写真で貼り付け、そこに説明者の言葉やコメントを書き入れるスタイルは理想形に近いと考えています。
ちなみにですが、iPadとApple Pencil、Goodnotes5の組み合わせで書くと上記のスタイルでノートテイクがスムーズに実行可能です。
好ましくないノートとは
昔からカラフル過ぎるノートは良くない、と言われます。
個人的にはとても賛成する意見です。なぜならば、ペンを複数持ち替えたりすることで時間をロスするだけでなく、説明や話の内容への集中力が低下するためです。
それよりも、板書は写真一枚で終わらせてコメントに集中する方がよっぽど記憶に残ると思います。
ノートを取れていますか?
世の中にノート術の本は山程あります。特に最近は書店に「東大生のノート術」などの本が平積みしているのをよく見ます。
このようなノート術には賛否両論あると思います。もちろん参考になる部分も多々あるでしょう。
ただ、一つ言えることは、それらの大半は高偏差値大学入学者の "n=1" の具体例をあたかも絶対的な法則として誤認したものばかりです。
ノートテイクに絶対的なルールはありません。
とはいえ、ノートが「記憶の補助手段」という意識を常に持っていれば自分なりの正解に近い「ノート術」が完成するのではないかとも思うのです。