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(1)「死生学」とは〜人生を科学する〜

私はいま「死生学」という学問に関心があるが、比較的新しい学問分野であり未だ広く浸透しているとは言い難い。

そこで今回は、死生学という学問分野を紹介することしたい。死生学について調べてみると、以下のように説明されている。

死生学は新しい学問である。それはまず医療と人文・社会系の知との接点で求められている。現代の病院は死にゆく人々のケアに多くの力を傾注せねばならないが、自然科学的アプローチによる近代医学の枠内ではその方法が十分には見出せない。1960年代から欧米ではホスピス運動が急速に広がり、死に直面した患者や家族のニーズに応えるための死生学の教育・研究が進められている。(中略)死生学が求められているのは、医療関係の現場からだけではない。教育現場でも死生観教育への要望があり、子どもたちに「いのちの尊厳」について教えることを求める声がある。そもそも現代人は死に向き合うすべを見失って途方に暮れているようにみえる。(中略)死や生命の危機とどう向き合うかが死生学の取り組むべき課題のすべてであるわけでもない。(中略)とりあえずは現代の実践的な諸問題と関連づけながら、古今東西の哲学や宗教思想を検討し、新たな思考法を探究していくことになる。生命観や進化をめぐる現代の新たな科学的知見の哲学的、思想的な意味を問い直すのも課題である。環境倫理をめぐる問題、人間の生命と動物や植物の生命の関係をめぐる問題、戦争や刑罰をめぐる実践哲学的問題などもその守備範囲の一部である。(島薗進・竹内整一、『死生学1 死生学とは何か』、2008、東京大学出版会)

この世に生を受けたすべてのものにとって、死は避けられることのできない現実です。では、このだれにでもいつか必ず訪れる死をしっかり見つめて考えるためには、死をどう捉え、どう理解したらいいのでしょうか。これは年代や性別を問わず、人間としてどうしても取り組まなければならない切実な課題だと思います。これを研究するのが、死生学という学問の分野です。(中略)死生学というのは、死に関わりのあるテーマに対して学際的に取り組む学問です。現代の私たちは、たとえば哲学・医学・心理学・民俗学・文化人類学・宗教・芸術など、人類文化のあらゆる面からアプローチしていこうとしています。(中略)私たちは死を見つめることによって、自分に与えられた時間が限られているという現実を再認識することができます。それは毎日をどう生きていったらいいかと改めて考えだすということですから、「死への準備教育(デス・エデュケーション)」はそのまま「生への準備教育(ライフ・エデュケーション)」にほかならないとも言えます。これが、死生学の実践段階として「死への準備教育」が必要とされる主な理由です。(アルフォンス・デーケン、『新版 死とどう向き合うか』、2011、NHK出版)

死生学(しせいがく、英: thanatology,タナトロジー)は、ギリシャ語のタナトス( θάνατος)と学ないしは科学と結びつけた用語で、死についての科学と定義することができる。死と死生観についての学問的研究のことである。
死生学が対象とするのは、人間の消滅、死である。死生学の開拓者の一人、アリエスによれば、「人間は死者を埋葬する唯一の動物」である。この埋葬儀礼はネアンデルタール人にまでさかのぼるもので、それ以来長い歴史の流れの中で、人類は「死に対する態度=死生観」を養ってきた。死生学はこのような死生観を哲学・医学・心理学・民俗学・文化人類学・宗教・芸術などの研究を通して、人間知性に関するあらゆる側面から解き明かし、「死への準備教育」を目的とする極めて学際的な学問である。死生学は尊厳死問題や医療告知、緩和医療などを背景に、1970年代に確立された新しい学問分野である。(中略)死生学は死をタブー視し、死を非日常的なものとしてこれを遠ざけ、そのために死を必要以上に悲惨なものと考え、恐れる現代社会に対して、死に対する心構えという観点から改めて生の価値を問い直そうという試みである。それは死を自分の将来にある必然として見据えることにより、現在の自分の生において何が大切であるのかということを考える営みを提唱するものである。(Wikipedia)

一般に、死生学の起こりは、1967年にイギリスでシシリー・ソンダースがホスピスを設立したことにあると言われている。医療現場での死の看取りの実践を通じて、死と向き合う必要性が訴えられている。

緩和ケア・ホスピスの拡充は、これまでひたすら人体の傷んだ箇所を治療することを目指してきた近代医療が、死にゆく人々の心のケア、スピリチュアル・ケアの領域へ足を踏み出したという点で意義深いものである。これは医療そのもの目標や意義の見直しを意味している。(中略)他面から見ると、人間の死生の全面にわたって、医学をはじめとする科学やケアの専門家が影響力を強めているということである。医療システムが人間生活への影響を強めている事態をイヴァン・イリッチにならって「医療化」と表現するとすれば、医療化の進展により死生に関わる実践や観念が患者自身のものから医療システムの側へ奪われてきたと感じられている。そこで、それをどのように患者の側に取り戻すか、あるいは患者の側が納得いくものに変えていくかという関心が強まっているということでもある。(島薗進・竹内整一、『死生学1 死生学とは何か』、2008、東京大学出版会)

また、死生に関わることは医療の領域にとどまらないことから、教育現場でも死生観教育が見直されるべきであるという意見も出ている。

これまで伝統的に受け入れられてきた死生に関わる儀礼や文化が市民にとって必ずしも馴染み深いものではなくなってきており、その意義をあらためて問い直し、時には死生に関わる新たな儀礼や文化を構築し直す必要が感じられているという事情がある。これは臨床死生学の課題が「死の臨床」やグリーフワークから、すぐに「死への準備教育」や死生学研究へと拡充していったことによく現れている。初等中等教育での「死への準備教育」に熱意を示した元上智大学教授のアルフォンス・デーケンは、早くから大学で死生学教育に取り組み、死の哲学や文学作品における死について講じてきた。(島薗進・竹内整一、『死生学1 死生学とは何か』、2008、東京大学出版会)

どれだけ医療技術が発展しているとはいえど、生あるものの死は避けられない。今日の日本は超高齢社会であり、同時に多死社会であるといえよう。「医療化」によって「死」をはっきりと認識しにくい現代においては、「死」と向き合い、死を発端とする諸問題に対処する術を身につける機会が必要である。

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