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情報だけではなく、一つの作品として

 先日、こんなツイートを見かけた。

https://twitter.com/AtaruSasaki/status/1263024183547576320


 佐々木中さんは、青森県出身、東大博士課程修了、現在、京都精華大学人文学部准教授をされています。

 上記のツイートで言及されている『切りとれ、あの祈る手を──〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』という本が、2010年に河出書房新社から出版され、紀伊國屋じんぶん大賞2010を受賞しています。

 私自身は、まるっきり知らなかったのですが、交流のある方から、勧められて、数年前に読みました。このノートでは、内容のことは、おいておきます。


 先日、読んだマーケティングの本には、ベネフィットということがありました。

 簡略にいえば、ベネフィットは、顧客(買い手側)の欲しているモノということです。それは、物質的なモノもあれば、精神的なモノもある。

 例えば、記事の中で知り合いから勧められた本は、『ドリルを売るには穴を売れ』というタイトルです。売り手側は、ドリルを売ろうと考える。でも、買い手側が、「なぜ、ドリルを買うのか?」と視点を持たねばならない。理由をいくつか考えたうちの一つに「穴をあける手段」として、ドリルを購入するわけという仮定にいたるわけです。買い手側は、穴をあける方法として、いくつかの選択肢を考えて、その中で、ドリルを選ぶわけです。ドリルコレクターという人もいるかもしれませんが、ドリルを購入する人は、ドリル自身が欲しいのではなく、ドリルによって、できることが欲しいわけです。

 こんなことを書いていると、中学生の時に、先生が、CDをなぜ購入するのか?という疑問を投げかけたことを思い出しました。先生は、私たちが答える前に、それは、CD自体(物質)が欲しいのではなく、CDに入っている曲(情報)などが欲しいということを言っていたのを思い出します。


 実際に、私は、書籍を購入するのは、その中に書かれている文字(情報)を通して、新しい知見や学び、気付き、情報を得るためです。ただし、読んですぐに獲得できるか、なにかを契機としてその価値に気付くのか、という時間的なことはあります。ここでいいたいのは、書籍そのものではな、書籍に書かれていること(情報)を重要視している、ということです。

 しかし、こういう私の発想と最初に引用したツイートは、考え方の相違があるわけです。当然、ツイートの内容がおかしくて、私が正しいというつもりは、まったくありません。

 どうして、佐々木中さんが、そのように考えるのかな?と私なりに想像してみました。

 そうすると、思い浮かんだのは、「ジャケ買い」に通ずるものなのかな、という気がしました。

 「ジャケ買い」とは、商品の内容(情報)を全く知らない状態で、店頭などで、見かけたパッケージデザイン(表紙など)から魅力を感じて、購入することです。

 ある私の好きな歌手は、CDを総合力で考えている、という発言をしました。つまり、CDに入っている曲(情報)だけではなく、中に入っている歌詞カードの字体や写真、CDの盤面の印刷、などなどにこだわり、一つの作品として見て欲しいと発言していました。たしか、音楽配信が始まった頃に、CDを手にとって欲しいということで言われていたように記憶しています。

 つまり、『切りとれ、あの祈る手を──〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』も、著者にすれば、書かれている情報だけではなく、文章に使っている字体、ジャケット、デザイン、サイズ、などなどを総合した一つの作品として、見て欲しいということなのではないかな、と思いました。

 私としては、置き場所や持ち歩きの問題を考えた時に、文庫本が助かります。ぜひとも、文庫本にしていただきたいところですが、著者の意向であれば、仕方ないですよね。

 あえて、その形にこだわる。便利さ、安さ、ニーズなどを考えた時に、合理的ではなくとも、その形にこだわる心がある。合理的ではない、ではなく、その心を想像することも、大事なのだな、と改めて思うのであります。

 ただし、私は、やっぱり文庫本が好きです。

*当然、文庫本ではない形態にこだわる方もおられるでしょうから、そういう方を対象としているのかもしれません。



*佐々木中さんの著書で、友人より勧められて積読本になっているもの


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