本棚は段ボール Vol.41 『愛するということ』/エーリッヒ・フロム
他人を愛するところから友愛が生まれてくる、確かにそれはそうかも知れない。
けれど私はどこまで他人を愛すべきなのか分からない。例えば、どこかの国の名も知らぬ貧しい人に対する同情から愛が生まれるとこの本は言うが、全ての他人に対してその気持を持ってしまうと、この世界は残酷すぎて、生きていけなくなってしまう。
だから、「どこまで」他人を愛すべきなのか、私にはわからない。
愛について話すとき、愛する側で話す人と、愛される側として話す人がいるのが面白いなあと、前々から思っていた。
愛されるよりまず愛せよ、愛されたいならば行動が必要であり、その行動こそが自分からの愛であるというのは非常に強く感じていて、愛されることばかり考える人々にはなんとなく、違和感を持つ。
また、愛の技術について、私自身は、技術を身につけているとは言えないし、全然完璧などではないけれども、少なくともその技術の存在を知っていて、更になんとなく理解しており、自分に足りないものがわかる程度には分かっているつもりで、本書を読んで、新しい知見というよりは、頭の中が他人によって言語化されたような感覚だった。
けれども、他人に対して、「分かっていないな」と思うことは多く、「分かっていないと思わない」ことはあれど、「分かってるな」と思ったことがないような気がする。
この感覚が皆が持つものなのであれば、私も何もわかっていない人だということだが、他の人がどのような感覚で他人の愛というものを認識しているのか、聞いてみたくなった。
愛の技術、最後まで読み終えて私はまだまだ未熟だと認識したので、この本に書いてあることが本当かどうか、信じるわけではないけれども、そして、達人にはなれなくとも訓練してみようと思う。
こういったアドバイスのような類のものは一旦試してみて、やってみてから私にとって本当か否か結論を出したい。