イマジナリー誰かと自己愛

 例えば、人生のどこかで、何かの弾みで全部どうでもよくなって、ああ死にたい、むしろ全員死ねとなった時に、それを止めてくれる人が常にそばにいてくれればいいのだけれど。現実はそうもいかない。

 いかないから、脳内にイマジナリー誰か、を飼って、そいつに止めてもらう。誰か、は親だったり友人だったり恋人だったり、各々が「この人には失望されたくない」と思う相手。そうすれば、人生何があっても、最低限嫌なヤツにならずに済む。

 この「誰か」は、必ずしも他人である必要はない。私が、他でもない私自身を失望させないために生きていけたら、それで十分な気がする。私に対しては格好つけていたい、と心から思えたら。

 自己愛、についてちゃんと考える機会は、この本から得た。正直序盤で二木先生について掘り下げる前に延々と田井中くんの過去の話(暗い)が始まるし、二木先生が書いた漫画を万引きしてまで読もうとするほど彼に執着する理由も分からないから田井中くんがシンプル犯罪野郎にしか見えないしで微妙かなと思いながら読んだ。

 落ちについても、明確に問題が解決するところは描かないで読者に委ねるラストは私好みではなかった。けど、読んで良かったと心から思っている。

 好みとは別に、いろんなことを考えるいい機会になった。二木先生のセリフには共感できるものがいくつもあったし、田井中くんに言った「君には自己愛が足りない」の意味が分かった時は素直になるほどなあと思った。

 あともう一つ思ったこと。推し活用のアカウントと仕事用のアカウントは、分けた方がいい……。

 今は、好かれたい見返したい信頼されたいと口でだけ言いながら何も行動できてない状態なので、ちゃんとしたいね。私が、私に愛されるために。

イマジナリー誰かが眉を寄せたから
ハサミは置いた。ちょこっと、泣いた

 急に短歌詠んだんだけど私古文の世界から出てきた(自由)?

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