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書くこと、マインドフルネスの鍛錬

書くことが瞑想である。
今日も5時に目が覚めてしまい、しかも元気だったのでゆっくり朝食をとって7:30頃出勤した。

イチョウ並木はすでに忙しそうに出勤する人が行き交っていた。職場につくと守衛のおじさんは「えらい早いですね」と声をかけてくれた。

7:30なんてたいして早くないけど、このおじさんはふだんあまりしゃべらない人なので、なにか声をかけてくれたというのはおもしろいことだった。

私は最近ウルトラベリーショート、しかしやや髪はうすい、それをさらに明るめに染色したため、鏡を見るたびに新奇なものを見るような気持ちになる。自分の見た目にうまくなじめていないのだ。

でも最近は、「なじみのない見た目」であることには慣れてきた。
以前は慣れてないのでじわじわすごくゆっくり壁が迫ってくるような恐怖感(というほど大層なものでもないが、取り返しがつかない予感というか、増大していく違和感というか)があったものだ。
いまはもう、私が今日鏡を見たらカラフルなオウムのような見た目になっていて、次の日は猫耳の生えたブルーの人間になっていても、(ああ、そうですか、そうなりましたか)と思える、それで出勤もできる、ような気がする。

2時間ほど論文の修正をして(時間が溶けるように過ぎる)、同僚と髪色についてとボスについて話して、今日は掃除の日だったので窓を開けて同じ部屋の人と一緒に掃除をして、スタッフさんと昨日の議題の続きについて少し廊下で話して、コーヒーをもらってきて、また今から自席で論文の修正に取り掛かる。

取り掛かる前の日記。日記を書くという方法での瞑想。
書くことは私の精神的健康を支えている。付随するプロダクトとして「かんじゃの冒険記録」が蓄積されていき、これは当事者研究として機能しはじめているように思う。

私はワクワクしているとも思えるし、そわそわしているとも言える。
未知のことばかりやっているからだ。
今からまた2時間、集中してみる。
仕事もマインドフルネスの鍛錬だと思えばいいのかもしれない。


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