とっておきの京都手帖9 いよいよ祇園祭
<夏至/ 京の夏の風物詩>
「今年のお稚児さんは…」
毎年3月、4月頃から待ち遠しい。
京都新聞によると今年は6月6日に発表され、その模様は京都新聞の「動画ライブラリ」で見ることができる。
今月17日に行われる前祭の山鉾巡行で、長刀鉾に乗るお稚児さん、補佐役の2人の禿さんが紹介され、愛らしく一生懸命決意を述べる姿に思わず笑顔になった。
「祇園祭」って?
「祇園祭」というと、この7月17日と、24日に行われる、山鉾巡行を思い浮かべる人も多いだろう。
しかし、実は今日7月1日の「吉符入り」から、7月31日の「疫神社夏越祭」までの1ヶ月間にわたる八坂神社の祭礼のことなのだ。
「吉符入り」とは、各山鉾町で行われる「神事始め」のことで、各町内が「いよいよ祇園祭」と祭の無事を祈願する。
「疫神社夏越祭」とは、八坂神社境内にある疫神社で行われる最後の神事であり、これをもって祇園祭は締め括られる。
一番目を引く山鉾巡行は、露払いの意味を持つ。
メインは、山鉾巡行の日の夜に行われる神輿渡御だ。
神輿渡御とは、神様が神輿に乗って市中を清めて回ること。
神輿は3基。
詳しくは、次回以降でお伝えしていきたい。
17日の午前中に行われる山鉾巡行は、前祭と呼ばれている。
そしてメインは、神輿が八坂神社境内から四条御旅所へ向かう神幸祭なのだ。
24日の午前中に行われる山鉾巡行は、後祭と呼ばれている。
そしてこちらもメインは、神輿が四条御旅所から八坂神社境内へ戻る還幸祭なのだ。
この前祭、後祭は2014年(平成26年)に49年ぶりに復活した。
それまでは前祭も後祭も合同で、山鉾巡行をしていた。
高度経済成長期以来、観光促進や交通渋滞への配慮などの理由から、合同が続いていたのだ。
京都に住まわれている60代の方でも、昔の前祭と後祭が行われていたことが記憶にあるだろうか。
山鉾の町内で育たれたのなら、忙しく手伝った懐かしい思い出が蘇るかも知れない。
ここで少々、祇園祭の歴史について触れておきたい。
祇園祭、その歴史もまた1100年以上にさかのぼる。
古くは、祇園御霊会と呼ばれる。
平安時代前期の貞観11年(869年)、京をはじめ日本各地に疫病が流行した際、大内裏の南側に造営した広大な庭園だった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、洛中の男児が八坂神社の神輿をその神泉苑に送り、疫病退散を祈願したことから始まっているという。
そしてなんと、天禄元年(970年)に「毎年の儀」となり、千年以上にわたって、各山鉾町の町衆によって受け継がれることになる。
しかしその途中、1467年の「応仁の乱」で絶えるが、33年後の1500年には復活。
これを機に、山鉾が豪華絢爛なものになっていったという。
その後もたびたびの火災に見舞われても、どこまでも町衆の力で盛り上げ、再興し今日に至る。
まさしく、京都の町衆の歴史を語る時、祇園祭は決して外せないのだ。
「コンコンチキチン、コンチキチン…」
京の街に祇園囃子が鳴り響く。
それは、当たり前ではない無病息災、天下泰平の世であることの証。
祇園祭は、いつの時代にも、誰もが元気で、世の中が平和であることを待ち望んで仕方ない京の町衆が、手を携えて作り上げてきた京都の歴史そのものだ。
次回以降、7月の掲載は、「祇園祭」シリーズとしてお届けしたい。
<参考> 京都新聞公式サイト「祇園祭の歴史」
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