花戦さ「美しいものを美しいと実感できる世の中に」 平和の伝道師・池坊専好先生
フォトグラファーの私が、大好きな場所に六角堂がある。四条烏丸に用がある時は、必ず六角堂さんに立ち寄る。山門をくぐると都会の喧騒から一瞬で静寂になる。
高いビルの合間から、時折光がさす僅かな瞬間、花や鳥たちが輝いて見える。陰日向のコントラスト、風に揺れる草木、流れる雲。雨の日さえ情緒がある。季節の移ろいを感じる見どころがたくさんあり、フォトグラファーでなくとも写真を撮りたくなる光景が広がっている。
京都の中心・市民に愛される六角堂さん。京都のへその部分(京都の中心)である。それを示す「へそ石」が本堂前にある。
2022年2月12日に参加した京都市内でのセミナーを思い起こす。
講師を務められた専好先生が、お父様である家元より、娘・専好先生のいけばなを見て、「今日は何かあったんですか?」と問われハッとしたというエピソードを話されていた。
専応口伝に「たとえ器用なしとも、稽古の程深ければ、興ある姿を、立ていだすことあり」とあると紹介されていた。
そのセミナーから10日余り、ウクライナへのプーチンによる軍事侵攻が始まった(2022年2月24日)。
時々刻々と報じられる悲惨な映像に、ショックと無力なまでの自分に苛立ち、撮影をする気力さえ無くしていた。そのことを専好先生に吐露した。
「早く平和が訪れ、世界中で美しいものを美しいと実感できる世の中になってほしいです」とのお言葉をいただいた。平和に対し、同じ思いでいることに、立場は違えど嬉しくなり奮起した。
専応口伝「たとえ器用なしとも、稽古の深ければ、興ある姿を、立ていだすことあり」。私の「写真する」時の座右の名になっている。
池坊いけばなを描いた日本映画の名作がある。『花戦さ』、野村萬斎さんが主演。
今から7年ほど前に上映されたもので、映画好きの私は映画館の大スクリーンで見入った。先日、旧七夕会池坊全国華道展に行かせていただき、久しぶりにまた映画『花戦さ』を観たくなった。
『花戦さ』は、安土桃山時代から江戸時代へ変わりゆく、激動の戦国時代を舞台にしたストーリー。実在した初代 池坊専好が、天下人 豊臣秀吉に向かって花で戦をする。犠牲となった友のため、苦しむ民のために「花戦さ」をするのだ。
「花の中には仏がいたはる。宿る命の美しさを、生きとし生けるものの切なる営みを、伝える力がある。卑しくも、池坊を名乗るならば、花をもって世を正そうぞ」
初代専好としての野村萬斎さんの台詞だ。
セミナーや展示会等で、次期家元 四代池坊専好先生のお話をお聞きし、生けられた作品を拝見すると、一貫した池坊のいけばなの精神を感じる。
残酷で悲惨な戦争は今だに続き、すでに1000日を越えた。混沌とする今の世に思う。プーチンが悪いからといってゼレンスキーが正しいとも言えない。どんな紛争も同じだ。安っぽい二元論で片付くほど世界は単純ではない。だからこそ、武装して武器を構えるのではなく、美を通して、花でもって、その信念でもって、平和のための「花戦さ」に挑まれる専好先生に感動する。
ハードパワーにソフトパワーで挑む。そこにしか、皆が心から笑顔になれる平和の道はないと信じる。
<参考> 池坊公式サイト
<(c)2024 文・撮影 北山さと 無断転載禁止>