A、Bがあったとする。Aではないから、という理由だけでBを選ぶことがある。私は、当院は、Bってことだなぁと思う。 選挙の時、野党の人が言った。「与党が嫌になったから、という理由で私達野党の票が伸びました。私達はそういう人達の受け皿です。私達の中身で選んでもらったわけじゃないんです。だからこれからが大切なんです。」みたいなことを。 私は、精神科に通院しているのに話を聴いてもらえてないと感じている人達の受け皿。向精神薬を飲めない人達の受け皿。主治医が男性だと緊張して話せない人
R6年9月に読んだ本は写真の2冊だった。人間というものが時代時代で変わってしまったんだと思った。人間はどんどん、どんどん、社会的ではない方向へ回帰しているのかなぁ。 私が開業したことをすごいと言ってくれる人がたまにいるため、すごくないことをここに弁明したい。無計画、受動的だったのに、今自分がやっていること、今自分が置かれている状況が当たり前みたいな、最初から知っていたような、懐かしい感じがする。無意識に?選んだ感じがする。結局、好きなことしかできない。納得していることしか言
R6年7月〜8月に読んだ本は写真の2冊だった。本の中の人達や本の内容がはみ出していた。それがいい、それでいいと思った。 傷つける仕事をしている。傷つく仕事をしている。人間と人間がかかわった結果。カウンセリングは侵襲性があり代償も大きい。良いことばかりじゃない。怖いなら薬だけくれる所や自分が言ってほしいことだけ言ってくれる所へ行ったほうがいい。 誰かに嫌われることは誰かに好かれるということ。嫌われた時初めて、自分は無色透明ではなく色があったんだと気付く。嫌われるくらいに、意
そうそう、この感じだ。学校とかで人から理不尽なことを言われて、一人で笑ってた時の気持ち。 自分だけは最後まで自分の味方、自分の気持ちは誰にも邪魔できない、本当の私は誰も知らない、と心の中で言って歩いてた、小学校の帰り道。足が浮いて歩きづらくなり、自分の足元を見てた。自分が履いてた靴は黒のベロア素材のバレエシューズで、踊ってる女の子か何かが刺繍されてて上品で可愛くて、、、そういう別なことを考えてた。 悲しんだり泣いたりしたら相手(いじめっ子とか)の思うつぼだから、笑ったり、
R6年5月〜6月に読んだ本は写真の2冊だった。毎回、半分は知っていることが書いてあって半分は知らないことが書いてある本を読む。知っていることが書いてなさすぎると理解できない、興味を持てない、読み進められない。成人の発達障害に関してもそうなんだろう。知っている人はさらにどんどん知ってく。知らない人はずっと知らないまま素通り。 柴崎友香氏の『寝ても覚めても』を読んだ時、カメラアイ、文脈のない言動、夢と現実の二重世界を生きてる感じの描写あり、なぜこの作家さんは発達障害者の感じ方・
私は、、、という言葉を必要以上に使いたくなくなった。 中動態が大事と知った。対話とは、自分と相手のどちらでもない、中間の、目に見えない何者か が何かを生み出しているもの。対話とは、私(自分)があなた(相手)に助言したり意見したりするものではない。意外にも。私が何者かに誘導されて喋ってる、というか喋らせられてく。だから主語は私(自分)ではない、厳密には。 だから色々な現象を自分のせいにしすぎないし、他人のせいにもしすぎない。だから色々な現象を自分ごとと捉えるけど自己犠牲的に
R6年3月〜4月に読んだ本は写真の2冊だった。『ケアする対話』という本の中に、精神障害者に対しては"疾患特異性の低い丁寧なケアで十分"との文章があり、完全に同感だった。キュアからケアへ。必要なのはケアであってキュア(治療、治癒)ではないと。私を含めこれまでの大勢の精神科医の役割や存在意義とはいったいなんだったんだろう、とは思うけど、それでいい。精神科医が皆、精神障害者を思って頑張って動いていたことも確かで、消えない事実だと思うから。無自覚に非倫理的なことをしていたとしても。時
R5年12月〜R6年1月に読んだ本は写真の3冊だった。正直で誠実な本だから読み切れた。 今は情報が溢れている。精神科関連の本もたくさん出ている。こういう時にこうすればいい、こうすれば必ず治る、等と書かれた本、指南している感じの本を読むのは苦手だった。ネットの情報や動画を見るのも苦手。分かりやすさは嘘になる。歯切れの悪さ、鮮やかにいかない支援、支援の限界こそ真実だと思う。 発達障害傾向のある人は、目に見える物や分かりやすさに惹かれてしまうから、分かりやすく伝えたり書いたりす
普通になりたい も、人と違っていたい も、どこか同じな気がした。 無難すぎるファッションをするのも、奇抜なファッションをするのも、同じ。優等生をするのも、不良をするのも、同じ。 個々の人間に優劣をつけてる点で。 認められたい、好かれたいと思っている点で。 理想の自己像にこだわっている点で。 他人からどう見られているかの現実的イメージがまとまりあがらない点で。 日々が続いていくこと、この先も生きていくことが前提と思っている点で。 一人だと寂しい も、一人になりたい も、同じ。
R5年9月〜11月に読んだ本は写真の4冊だった。ためになった。特に、内海健先生のASD理解が素晴らしくて感動的だった。自他未分のまま生きるとはどういうことか、ASD者は日々どういう体験のしかたをしているのかをここまで理解して詳述した本を私は知らない。 開業して2年8か月経った。人の話を聴く生活を続けてきて思ったことをここに書く。 不遇体験を持つ人とかACやHSPと自称する人の中に、発達障害じゃない人っているんだろうか。自分は発達障害ではないかと言う人の中に、発達障害じゃな
生きるとか回復するとは 1と2の間を揺れ動くことを言うのだろうか 1 追求する 白黒つけようとする こだわる 自分を押し通す 万能感 理想化する 完璧を目指す 2 諦める 自暴自棄 冷ややか 迎合する 嫌悪する 感情に蓋をする 頑張りすぎと怠惰の間 好きと嫌いの間 主体性と受動性の間 頑固と流動の間 自分しか見えてないのと他人しか見えてないの間 予定調和と場当たり的の間 感情と理性の間 子どもと大人の間 未熟と完全の間 個と背景化の間 「わたし」は あなた 「わたし
R5年5月~8月に読んだ本は写真の3冊だった。内容はどれも刺さる部分があった。言葉が通じる、まっすぐに伝わるとはどういうことかと考えていた。そこから派生して考えたことをここへ書く。 ※1「伝えたいことが伝えられない 助けてが言えない 伝えたいことの1mmも伝わらない 中途半端に伝わり不正確に理解されるくらいなら理解されない方がいい 伝え方が分からない ぴったり完全に自分の思いを理解させる伝え方が分からない だから伝えない 助けを求めない 一番になりたい 一番に自分のことを
わたしはlong sleeper. わたしはslow starter. わたしはminimalist. わたしはoutsider. Only when I am alone ,I can recognize myself clearly. わたしは猫を飼っている その猫はぬいぐるみ わたしが大事にしているものを大事にしてくれる人を大事にしたい わたしが大事にしている人が大事にしているものを大事にしたい 誰かを大切にすることは難しいことじゃなかった 相手が見ている世界にとり
死にたい人 いつか死ねることがお守りになる人 ある人を死ぬようにと呪っている人 死が怖い人 このまま死んでしまいそうな恐怖に襲われる人 ある人の死を受け入れられない人 ある人の死でラクになった人 嫌いな人が死んだ後も されたことを忘れられずに苦しんでいる人 死ねと言われた人 死んでやると言われた人 死ねと頭の中で聴こえる人 何事も死ぬ気でやらなきゃと駆り立てられている人 心が死んでしまった人 自分が相手を死なせたと思っている人 誰かの死を報じるニュースで、自分のことのように苦
話し言葉は流れてく すくい取れない 追いつかない 聞き取るのも返す言葉を選ぶのも だからメモに書く 書かれた紙を見ながらやり取りする 手紙 メール 写真 録音 そういうことで補いたくなる わざわざ形にしたくなる 伝達できたという実感は 形にならないと得られない 正確に伝えたくて詳細に細部まで話す 長くなる 嘘をつきたくない 誇張もしたくない 要約できない 帰宅すればヒトリ反省会 終わった会話を反芻し再検討 相手にどう伝わったか予想 答えは出ない それでも考え続ける 会話の正解
分かりあえなさは続く 核のことも虐待のことも G7 は広島に来てくれたけど まだ核を手放さない 発達障害について浸透しつつあるけど まだ毒親、愛着障害、HSP、繊細さんという言葉が本屋を席巻し 子に故意にひどいことをする人間がごろごろと実在するかのように粉飾する 生きづらさを自分視点からだけ最大限に語る 分断が起きる 分かりあえない 変われない 変わらない たくさんたくさん悲しみや怒りを吐いた後にだけ到達する状態はどんなだろう 求めてはだめ 分からせようとしてもだめ