B

A、Bがあったとする。Aではないから、という理由だけでBを選ぶことがある。私は、当院は、Bってことだなぁと思う。

選挙の時、野党の人が言った。「与党が嫌になったから、という理由で私達野党の票が伸びました。私達はそういう人達の受け皿です。私達の中身で選んでもらったわけじゃないんです。だからこれからが大切なんです。」みたいなことを。

私は、精神科に通院しているのに話を聴いてもらえてないと感じている人達の受け皿。向精神薬を飲めない人達の受け皿。主治医が男性だと緊張して話せない人達の受け皿。7000円〜1万円とかの高いカウンセリング代を払えない人達の受け皿。れっきとした精神科に行くのには抵抗がある人達の受け皿。刹那的にSOSを出したい(継続通院にはそぐわない)人達の受け皿。

AがなくてもBを選ぶ人は、そんなにはいない。私はAのことも好き。Aを嫌う人はいつかBも嫌う。Bは中身を知ってもらえるまでの期間、受け皿機能を地道に果たす。

新しい名刺は、肩書き無しにした。名は体を表さないかもしれない。自分の中身を自分で説明するむなしさ、肩書きに縛られるばかばかしさ。肩書き無しにしたら、社会に対して無責任になるどころか、逆に、中身が問われるその時が来ても来なくてもずっと自分のままで社会に働きかけようと思えた。自分が社会に対してやっていることは、精神科医だからやっていることもあるけど、それだけでは全然ない。私がこの私だからやっている。

私の中身(本質、信念)、言動の理由は誰にもぴったりとは分かられない、知られない。知られない悲しさより、知られない自由を取ろうかなぁ。だからこれからも私は、他人のことを分かったつもりにならないようにする。言葉にならないこと、言葉にしないことの尊さ、余地も守る。

「あなたは誰ですか、何をしている人ですか。」「・・・・」
「あなたは何ができるんですか、何をしてくれる人なんですか」
「・・・・。しないことしか言えないから説明になってないけど、しないことの1つは、力による現状変更」

長い年月診療を続けなきゃ分からない境地があると思う。長くこの業界にいる先生方を尊敬する。今日も明日もずっと変わらず、同じ自分のまま。

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