No coffee,no life.
R5年9月〜11月に読んだ本は写真の4冊だった。ためになった。特に、内海健先生のASD理解が素晴らしくて感動的だった。自他未分のまま生きるとはどういうことか、ASD者は日々どういう体験のしかたをしているのかをここまで理解して詳述した本を私は知らない。
開業して2年8か月経った。人の話を聴く生活を続けてきて思ったことをここに書く。
不遇体験を持つ人とかACやHSPと自称する人の中に、発達障害じゃない人っているんだろうか。自分は発達障害ではないかと言う人の中に、発達障害じゃない人っているんだろうか。毒親として批難されている人は、発達障害者でありながら精一杯の育児をした人ではなかったか。
発達障害とは全ての精神疾患の底に隠れているものであり、発達障害らしさを隠れたままにしたいか取り出して凝視したいかで生き方が2択ってことでよいだろうか。
成人発達障害者を診るとは、トラウマとか複雑性PTSDを診ることであり、家族構造や社会を診ることであり、虐待やDV、性被害、ひきこもり、生活困窮の実態に触れることであり、依存症者や自己愛性・境界性・妄想性・強迫性パーソナリティ障害傾向の人を診ることであり、「死にたい」と言われてもアピールしようという意図はその人には少しもないと思えることであり、現実離れした話をその人なりの類推の結果と思えることであり、自明性・常識・社会通念を疑い、社会性とは何?と問うことであり、つながらなさにへこたれないことであり、発達障害の患者さん達と診断した私が周囲からいったん孤立・浮遊することだった。
発達障害を理解しようとしたら果てしなく、とらえどころがなく、一言では言い表せないことだけ分かった。
発達障害と愛着障害
発達障害とパーソナリティ障害
発達障害と双極症
発達障害とうつ状態
発達障害と統合失調症
発達障害と不安症(社交不安症、全般不安症)
発達障害と強迫症
発達障害と解離症
発達障害とPTSD
ASDとADHD
両者を明確に分けよう分けようとする動向を私はあまり理解できなくなった。患者さん一人一人の話を聴けば聴くほど、どうにも分けようがない。
音や人との会話に疲れ、片付けや入浴、宿題等に取りかかれず、でも完全癖だから、できてない自分が嫌すぎて、少し体調がよい時に一気にやろうとする。やり始めたら止まれなくなる。その後、反動で動けなくなる。興味あること・目的が明確なことは疲れ知らずでやり続けるのに、自分の想定が崩れると一気に落ち込み死にたくなる。これは双極症?発達障害?併存?
発達障害特性を理解すればするほど、発達障害単体の診断名で説明可能になり、発達障害単体の診断名だけで事足りる。
ちゃんと完璧完全にやりたい(ASD?)のに、気を抜くとミスするしおっくうで先延ばしする(ADHD?)から、双極症やら強迫症やらになってカバーしている。完璧な人間のふり(ASD?)をした最高にslowで怠惰かもしれない生き物(ADHD?)だから。
強迫症の私(本当はASDもあるかもしれない私)は今日も確認行為。鍵を閉めたか電気を消したか、かばんの中身がなくなってないか、ちゃんと完璧にしておきたいなと。確認中に別なことを考えていたり頭の中で音楽が流れたりして集中できず(ADHD?)、確認が長引く。コーヒーやカフェラテをたくさん飲む。飲むと集中できたり頑張れたり。カフェインで覚醒度をあげる感覚。私は本来ぼーっとしていたり気が散りやすい生き物(ADHD?)かも。
あなたはどんな人?と聞かれ、答えられない、私達。自分がない、とらえどころがない、私達。
この文章、書いているうちに本題からそれていき、何が書きたかったかもう忘れてまとめられない(ADHD?)。今日やらなきゃないこと、他にも色々あるからこの辺でこの文章もおしまい。脱線して中途半端なまま。誤字脱字あるかは気になって何度も確認する(強迫症?ASD?)のに内容は…。そろそろコーヒー飲もうかなぁ。