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食べることを苦痛に感じるようになったのはいつからだろう

昔から、食事があまり好きではなかった。

特別苦手な食べ物やアレルギーがあるわけではないけれど、できるならサプリだけで生きられたらいいのにと思っていた。

1日一粒で全部の栄養と必要なカロリーが摂取できる錠剤があればいいのに

高瀬隼子の『おいしいごはんが食べられますように』より

私は少食で、すぐにお腹いっぱいになってしまう。あと、どれだけたくさん食べても、太れない。

一般的にみたら細いのだろう。


「スタイルいいね」「モデルみたい」

知らない人にいきなり言われてなり、初対面でも褒め言葉として何度も言われてきた。

でも、私にとって「細いこと」は褒め言葉なんかじゃない。


普通の人が「太ってる」を悪口と認識するように、私には悪口と同じように感じてしまう。

もちろん悪気があるわけじゃないことはわかっている。

けど、太れない・食べれない私にとって「細い」ことは、褒め言葉にはならない。

ちゃんとした飯を食え、自分の体を大切にしろって、言う、それがおれにとって攻撃だって、どうしたら伝わるんだろう。

高瀬隼子の『おいしいごはんが食べられますように』より


「もっと食べなさい」と言われるのも苦痛だった。

私はたくさん食べれない。1日一食でも問題ないくらい、食欲がない。

たくさん食べれる人が褒められる世界。

大盛りのご飯を嬉しいと思えない私は人間失格なのだろうか。

ご飯面倒くさいってうと、なんか幼稚だと思われるような気がしない?おいしいって言って何でも食べる人の方が、大人として、人間として成熟してるってみなされるように思う

高瀬隼子の『おいしいごはんが食べられますように』より

いつからか、食べることが嫌になった。空腹感を満たしたり、1日に必要なエネルギーを補えたりできれば、それでいい。

私に多くの人と同じように、たくさん食べて幸せそうにする姿を求めないでほしい。


美味しいものは美味しい。けど、少しでいい。

美味しいといえば、「好きでしょ」と多く用意されるし、美味しといったものを少ししか食べなくなったら、もっと食べなさいと言われる。

おいしくても自分がおいしいっておもうだけでいいっていうのが、すごくよかった。おいしいって人と共有し合うのが、自分はすごく苦手だったんだなって、思いました。

高瀬隼子の『おいしいごはんが食べられますように』より

一緒に食べている人が本当に美味しそうに食べているのを見ると、そう感じれない自分がおかしくて空しくなる。

確かに美味しいけど、そんなに?って思ってしまう。


共感して「美味しいね」と感動したふりをするのも面倒くさくなってきた。


コミュニケーションの1つに食事が含まれるのもしんどい。

会社員だった頃は、飲み会や接待、上司が奢ってくれるのが嫌だった。

奢ってくれるからたくさん美味しそうに食べる。

しんどかったな。


食べること自体にあまり興味がないから「今日何が食べたい?」という質問が大嫌いだった。

正直何でもいいし、自分が選んだ店で「おいしい」と言わないといけないのがしんどい。

外食したいなら、どこにでもついていくし運転するから、好きなところを選んでほしい。


世の中には食べることが苦痛な人も、それほど求めていない人もいることをわかってほしい。

美味しく食べることを強要せずにほっといてほしい。

体型についてもほっといてほしい。


自分が痩せていることも、人より食べていないことも分かっている。

けれども、胃が受け付けていないし、食べたいとも思っていないのだからほんといてほしい。


もっと、1人で静かに食べたい量だけ食べて生きて生きたい。

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