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とある大学生の学習記録 Day90 #二度目の自己紹介note #フランス研修振り返り編 後編 #理系女子大学生のリアル


みなさんこんばんは。まだ時差ボケで苦しんでいる塩中真夜です。日本からフランスに行ったときはどうにも午後が眠くて、早寝早起きの超健康生活になっていたのですが、途中で元の生活リズムに戻ってしまい、今は朝10時半起きの不健康生活を送っています。フランスでは朝の2時半に起きていることになるので……という見苦しい言い訳を自分にはしています。はじめましての方は自己紹介からよろしくお願いします。


これが研修の成果かと言われれば少し怪しいけれど、でも気づいてしまったこと

いつまでも今のままではいられない

約2週間のフランス生活、毎日がびっくりするほど楽しいものでした。日々美術館訪問に現地の学生たちとの出会い、おいしいパン屋さんの発掘やレストランでの見知らぬ料理との邂逅など、とにかく毎日新しいことばかりでワクワクしていました。でも、それはここ半年以上同じフランス語の授業を受けてきた友達がいたからだと思うんです。人数が少なくてみんな仲が良かったので。

ホテルで取り囲んできて一緒に騒いだフランスの学生たち、パリの大学で出会った現地の大学生、それからホームパーティーに招いてくれたリヨンの大学生たち。一部とは連絡先を交換しましたが、ほとんどその場限りの出会いで、どこかさみしいなと感じました。だから、またこういう場に飛び込んでみたいと強く思いました。

でも、それは向こうがフランスの学生で、私たちが日本の学生で、そもそも同じ環境にいない人同士が偶然交わっただけだから仕方がない、お互いに普段一緒にいる人たちとはこれからもずっと変わらない日々を送っていけるんだろうと漠然と考えていました。そんな中で、今回の研修でもかなり仲良くしていた友達の一人が、来年の夏から1年間アメリカに留学してしまうことを聞かされます。それを皮切りに、留学予定はないけれど将来的に海外に出たい、という友人が思いのほか多くいることに気が付きました。

私は焦りました。今のままだと自分はみんなに置いて行かれてしまう。新しい環境に飛び込めば、新しい出会いがあることは分かっています。それでも、今いる環境の人たちとのつながりが減ってしまうことがさみしくて、私はこれまで留学や海外プログラムに参加する勇気が出ませんでした。ただでさえ新しい環境に飛び込むことは大変なのに、寂しがり屋の私には高いハードルだったので。でも、このままだと友人たちは新しい環境へどんどん進んでいくのに、自分だけが後ろに取り残されてしまう、と感じました。


どこか他人事だった私の生き方

振り返ってみれば、中高6年間と大学に入学してからの約1年間、私はどこかお客様気分だったように思います。私は中高で成績が悪いほうではなかったですし、大学に入ってからも真ん中よりは上の成績帯にいると思います。ただ、いつでも成績のいい人たちの中に混ぜてもらっている自分、という姿勢が抜けていませんでした。無意識のうちに、あまり多くを望まないようにしよう、自信過剰にならないようにしよう、それが『正しい生き方』なのだから、と思っていました。

思えば、私は小さいころから『しっかりものの姉の下にいる、みんなの助けが必要な妹』という立ち位置で過ごしてきました。3歳年上の姉はちょっと大人しい性格もあり、いつでも年齢より大人びた子として扱われていましたが、おしゃべりな私はなんでも周りに助けてもらってばかりだった。

4人家族で何かをやるとき、親だけで人手が足りなければ姉は手伝いに回るけれど、年下の私は正直足手まといだし、姉をお手本にしているから姉には及ばないし、教育とか成績のこととかは姉と同様重視されていたけれどもそれでも『姉の後を追いかけている妹』という評価は抜けませんでした。何より、私自身が姉を大好きで、その立場に甘んじていたというのもあります。

どこまでが周りからの刷り込みで、どこからが自分自身の意思かなんてわかりようがないですし、分かったところで仕方ないですが、とにかく私は自分のやることなすこと、どこか自分でも軽く評価していたんですよ。自分としてはうまくいったと思っていても、周りを見ればよくできる人たちがたくさんいて、それに比べたら自分は大したことはない。立ち止まっていい理由にはならないけれど、それでも1番にはなれない。でも、それで生きていけると。

中高6年間は、いつでもどこか、姉の影がちらついているように感じました。姉と同じ中高一貫校に通っていて、しかも在学期間もかぶっていますから、先生も親も、姉と私をどうしても関連付けてみてしまうんです。私も姉が先に経験しているおかげでうまく立ち回れているという自覚があっただけに、いつも自分でどこかリミッターをかけていたような気がします。自分の意志で姉のやっていないことに挑戦する、という経験はほとんどありませんでした。あっても母の誘導があってのことでした。

小さな頃って、誰しも根拠のない全能感を持っているものだと思います。周りの世界が輝いて見えて、自分はその中できっと何でもできる、どこへだって行ける、と信じていられる。私の母はそういう子供の幻想のようなものをさくっと否定して、大人の世界の見方を教えてくれる人でした。だから、幼いころから理不尽なことをいう大人っているよね、とか、男の子だから女の子だからって理由で、扱いを変える人っているよね、みたいな現実を知っていました。そういう意味では大人びていたかもしれません。でも、同時に周りの世界に夢を見ることはほかの人よりも早く辞めてしまったと思います。

日々の生活の中で、母とのかかわりの中で、何かに熱意をもって取り組むことから遠ざかってしまっていた。そんなことに時間を割くよりも淡々と勉強して、親の見えないところでこっそりネットサーフィンや趣味を楽しんで、大学に行って、就職すればいいんだろう、と他人事のようにとらえていました。


私のリアル 自分のままでもっとできるはず

でも、今回の研修ではまるで違った。研修に参加した動機は、姉が類似の語学研修に参加していて、母も好意的だったからという、これまでと変わらない理由です。でも、研修中は研修の枠組みの中だけではあるけれど、母の存在も姉の存在も感じることなく、自分で決めないといけないことがたくさんありました。自分から動けばいろんな出会いがあった。フランス語を話すたび、優しい人なら『まだ1年も勉強していないのにすごく上手!』と褒めてくれますし、そうでなくても自分の言葉を伝えられた、と達成感を感じました。

上に書いた通り、海外に留学する友達の話を聞いて少し焦った気持ちで帰宅した後、なぜか涙があふれて止まらなくなりました。泣きながらその理由を考えていたら『自分でいろいろ決められていた2週間が終わって、また元の生活に戻ってしまう』と無力感を感じているんだ、と気が付きました。もちろん健康管理とかお金の管理とか自分で考えないといけなくて、夜疲れてホテルに戻ってきても明日の朝の準備は自分でやらないといけなかった。体調を崩しかけたときは何をするべきか本当に必死になって考えた。

でも、同時にとても自由だったし、よくわからないけれど全能感も感じていたんです。もちろん、幼いころのように無邪気に何でもできるとは思っていません。でも、自分は自分が思うより、親が思うより、周りが思うより、もっとできるんじゃないかと思いました。せっかくそう思えたのに、元の生活に戻るのはつらかった。自分はもっとできるんだと信じていたかったし、周りに置いて行かれたくはないんです。だから、自分で自分の進む道を決めたい、そのためにも、まずは親から離れたいと切実に思うようになりました。

一度この海外研修を経験したことで、恐怖は多少薄れました。なにより、外の世界に出ることの楽しさに気づけたので、そのためならリスクを背負ってもいいと思えるようになりました。どちらにせよ、このまま動かないでいたらみんなから置いて行かれてしまうというのはわかっています。動かないでゆっくり沈んでいくよりは、うまくいかなかったとしても自分で決めた道を進んだほうが、後悔は少ないと思います。

前々から、同級生たちが自分で決めて晩御飯を食べに行ったり遊びに行ったり、サークル活動を始めたりするのをうらやましく思っていました。お金の管理は大変そうで、その分バイトを増やさないととか、このバイトから稼いだお金は貯金しておきたいなどと話しているのを聞くと大変そうですが、同時に自分の人生の主導権を握っているようでいいなぁと思っていました。でも、本当だったら私もそうならないといけないんですよ。自分の人生の主導権を握っていかないといけない。

私はおそらく、自宅にいる限りはずっと『みんなの助けが必要な妹』から抜け出せません。これまではそれでも生きてこられました。でも、この春から姉は就職で家を出ていきます。私もあと半年ほどで進路を決め、就職か大学院への進学か、どちらを選ぶのかを決めないといけません。研修中に感じた楽しさや現地で出会ったフランスの学生たちを思い出しながら、より遠くの世界に飛び込んでいきたいと思います。


2度目の自己紹介 私がnoteを綴る理由

noteを初めて90日目。自己紹介の時には夢だけある状態で、漠然とした焦りから自分を変えたいと願っていましたが、この3か月間で多少は前に進めたと思います。自分にほとんどモチベーションがないことに気が付き、色々試してみました。必死さには欠けていましたが、それでも自分で試行錯誤を繰り返して、細かいことに関してはより良い方法を自力で見つけられるようになりました。

そして、今回の研修で『家を出て遠くの世界に飛び込む』という目標を見つけられました。時間はかかりましたが、今回の研修で『外に出るのが楽しい』と感じた時、これまでのnoteを読み返すことで自分の過ごし方を振り返り、何をするべきか見つけることができたので、無駄ではなかったのだと思います。

ということで、突然ですがこれにて塩中真夜の『とある大学生の学習記録 第1章』は終了といたします。

明日からは『家を出て遠くの世界に飛び込む』という当面の目標に向かって、より具体的に取り組んでいきたいと思います。また、『自分の人生の主導権は自分で握る』という心構えで毎日自分と向き合っていこうと思います。

note自体へのスタンスは変わりません。自分との付き合い方を模索し続けている、大学生のリアルな姿をつづる。胸を張って誇らしいといえる自分になれるまでの、輝いていない期間の記録をつける。

特に何かが大きく変わるわけではありませんが、このnoteをもって、自分の中での区切りと2回目の自己紹介とさせていただきます。まだ見えないことばかりですが、それでも今回の研修は私にとって確かな成功体験となったので、前よりはずっと確信をもって、より良い方向へ進んでいけると言えます。

私は3か月で、確かに成長できたと思います。さらに3か月たった時、自分がどんな風に変わっているのかが楽しみです。


3か月間のnoteと約2週間の研修を終え、自分への自信を取り戻した塩中真夜でした。また次のnoteでお会いしましょう。


前日のnote

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