『才能という運命 - なぜ日本は世界最低レベルの人材マネジメント大国なのか』
人類の発展と現代社会における仕事の意味
人類は長い発展の歴史を遂げてきました。そうした結果、現代では、世界の多くの人間が人生の大半の時間を仕事に費やしています。最近では、ワークライフバランスという言葉をよく耳にするようになりました。今、私たちの多くは、「仕事」と「人生」を切り離して考えています。
ただ、僕はその本質は同じだと思います。それは「誰かのために」という想いです。僕はふと、人は誰しもが生まれた時に、それぞれ社会に貢献するための使命だったり、役割というものがが与えられているのではないかと思うことがよくあります。
しかし現代社会では、その使命に辿り着くことが難しくなっています。既存の仕事の多くは細分化され、固定化された枠組みです。そんな中で、自分の可能性を限定されていると感じている人が多いのではないでしょうか。確かに、そこでも社会への貢献は可能です。
才能と可能性の追求
でも、多くの人が心のどこかで「私には、もっと大きな何かができるはずだ」という声を聴いているのだと思います。実際、多くの人がその想いに突き動かされて転職を繰り返しています。
しかし、才能は、時として残酷なまでに儚いものです。世界最高峰の数学の才能を持つ人が、普通の教師として人生を終えることもあります。メッシ以上のサッカーの才能を持つ子どもが、ただボールに触れる機会を失っただけで、その可能性が永遠に眠ってしまうこともあります。
そして、心のどこかで「何かが違う」と感じている。才能が本当に発揮される場を与えられない人は、どんなに優れた能力を持っていても、その可能性を潰されてしまうのです。
日本の教育システムとマネジメントの課題
日本の教育システムや企業文化は、こうした才能の芽を知らず知らずのうちに摘んでいないでしょうか。その根底には、才能の芽を摘んでしまう日本特有のマネジメントの問題があるのではないでしょうか。
これは私たちの社会が直面している本質的な課題だと僕は考えています。
というのも、日本という国で、私たちは不思議な矛盾の中で生きています。日本は経済パフォーマンスとインフラが優れている国であり、一見したところ、大きな問題はなさそうです。GDP規模で世界有数の経済大国であり、その技術力やサービスの質の高さも評価されています。非常に魅力的な国に見えます。
日本の競争力の現状
しかし、その豊かさが本当の意味での幸せに直結していません。その美しい外観の裏側に目を向ければ、深刻な課題が数多く存在しています。
特に、IMDが2024年に発表した世界の競争力ランキングでは、世界の8つの主要地域67か国中、日本は38位でした。先進国というのはヨーロッパ諸国を中心に日・米を含め38カ国と言われています。日本は先進国の中でも最下位と言っていいでしょう。
しかし、IMDはこのランキングを336の指標を使用して評価を行っていますが、この中の指標の中でもやはり、「経済パフォーマンス」では第21位、「インフラストラクチャー」では第23位と、比較的上位にあります。
マネジメントの深刻な課題
この336の指標から日本の評価を著しく下げているのは次の3要素であることがわかりました:
「政府の効率性」 第42位
「ビジネスの効率性」第51位
「マネジメント・プラクティス(マネジメントの慣行)」65位
見て頂いた通り、特に深刻なのが「マネジメントの慣行」であり、驚くべきことに日本のマネジメント力は67カ国中65位なので、ビリから3番目という極めて低い順位に甘んじています。
この事実を知ったとき、なんと恐ろしいことだと僕は思いました。つまり言い方を変えれば、日本は才能を潰しまくってる国であるということです。
各領域における現状と課題
「ビジネスの効率性」に関してですが、近年効率性の向上を目的とした取り組みは注目されるようになってきました。AIやDX(デジタルトランスフォーメーション)といった技術分野では起業が増えてきたように思います。
「政府の効率性」に関しては、政権交代がなかなか起きない日本において、かなり深刻な問題ではありますが、政治や社会問題に対して危機感をる持つ人が以前よりも増えているなと感じる節が多々あります。
しかし、「マネジメント・プラクティス(マネジメントの慣行)」の領域に対する注目度が依然として低く、放置されている状況です。この問題の根本的な原因は、「そもそもほとんどの人達が課題認識すらしていない」という点にあります。
みんなにとっての当たり前が世界基準では最下位なのです。
外資系での経験から得た気づき
僕は最初の長期インターン先が外資系ということもあり、この順位を見て納得する部分が強くありました。その会社のビジネスモデル自体は決して強力ではありませんでした。
しかし、マネジメント体制の優秀さがそれを補い、組織としての競争力を高めていました。明確な目標設定、適切なフィードバック、そして個々の才能を活かす仕組みが整備されており、社員がそれぞれの強みを発揮できる環境が整っていました。
この経験を通じて、僕は日本の課題を肌で感じると同時に、改善の余地がいかに大きいかを実感しました。人材育成の関係者人口は日本でも90%以上と言われる中で、この領域で体系化して言語化できる人は日本に1%もいないと言われています。なんて闇深いんだろうと思いました。
成功の本質と運命の役割
今社会人の多くは、自分に与えられた枠組みの中で妥協して生きています。そしてその枠組みを「まあ、この辺でいいだろう」と受け入れることで、社会に適応していくのです。
それでは一体成功とは何でしょうか。「成功」とは人それぞれ異なる意味を持つものですが、本当に誇らしく「自分は成功した」と言える人間は、少なからず運に恵まれた人だと思います。なぜならそれは決して個人の力だけではないからです。
人生における「成功」とは、結局のところ、自分の本当の才能と出会えるかどうかにかかっているのではないでしょうか。生まれた場所、親、習い事、学校、初めての仕事、そして出会った人々──人生のすべては、運の積み重ねの中で形作られていきます。
しかし、その運命の中で自分の才能に気づき、それを育てる機会を得られることこそ、最大の幸運なのだと思います。
そうして人は輝きを放ち始めるのです。成功者を運が良かったと言えるのは、自分の才能に出会えたからです。才能に出会えた人間は強いし、幸せだと思います。
個人の使命と社会への貢献
僕自身、常に自分の才能を探し続けていますし、それを信じています。同時に、それは自分だけの話ではありません。
僕は、周囲の人々が自分の才能と出会い、それを開花させることができる場所を創りたいと願っています。そして、その旅路に寄り添い続けたい。
なぜなら、才能との出会いは、人生最大の幸福をもたらすものだと信じているからです。
だからこそ、僕は人生において妥協をしたくないです。
起業という選択
僕は起業という道を選びました。それは単なるビジネスの開始ではありません。なぜなら起業は、自分自身だけでなく、他者の才能を活かし、多くの分野で挑戦し、より大きな社会貢献ができる場を作れる可能性を秘めています。
僕が目指すのは、誰もが誇りを持って社会に貢献できる、才能の畑となる場所です。
そしてそれは、企業という枠組みを通じて実現できると信じています。確かに成功は運の要素が大きい。しかし、その運を活かせる土壌を作ることは可能なはずです。
未来への展望と希望
日本の未来を切り開く鍵は、人材の才能を見つけ、活かす仕組みを作ることにあります。優れたマネジメントとは、人々の可能性を引き出し、その成長を支えます。それは決して非現実的な理想論ではないと僕は今実感しています。
一人一人が自分の才能を信じ、それを活かせる場所。それが実現できたとき、日本は真の競争力を持つ国となり、世界の中で新たな光を放つでしょう。僕はその第一歩を踏み出すための努力を惜しみません。そして、その歩みを通じて、未来の日本を担う多くの人々に、希望を届けたいと願っています。
「妥協」ではなく「可能性」を。「制限」ではなく「機会」を。そんな思いを胸に、僕は新しい一歩を踏み出します。