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千字薬-本田宗一郎から学んだことども-Ⅳ.1990年代

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ホンダのカー・デザイナーとして、経営陣のひとりとして、デザインと経営を見つめてきた経験を1エピソード、千字で書き綴った連載。(初出:1998年) 1990年代(私は50代-知命)
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2021年2月の記事一覧

第211話.他山の石

1997年 いよいよ、インド向け「シティ」の現地内部試乗会。シビックやシティ(最新の1.5L・…

岩倉信弥
4年前
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第210話.インドの教え

1997年 本田技研社長がインドの新工場の鍬入れ式から帰られ、「ちょっと、インドへ行ってきて…

岩倉信弥
4年前
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第209話.愛される「小言こうべえ」

1996年 幸い、研究所4輪部門の室長や部課長方は、久しぶりの私の話に、熱心に耳を傾けてくれ…

岩倉信弥
4年前
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第208話.横丁のご隠居見習い

1996年 研究所4輪部門の室長や部課長が集まる、週一度の、「マネージメント・ミーティング」…

岩倉信弥
4年前
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第207話.どん底

1996年 私が本田技研の役員を退任する時、前社長の相談役から「よくやった、褒めてやる」と。…

岩倉信弥
4年前
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第205話.3つの「新」

1996年 「EK」と呼ばれるアジア地域専用車が、新しくタイに建設された工場で生産される運びと…

岩倉信弥
4年前
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第206話.金ぴかの「猿の腰掛け」

1996年 内装は、思った以上に心配事が多い。まず、「樹脂コンコン」と言っているインパネだが、品質感を出すのはもとより難しい。シートも縫製がだらしないし、表皮も質感にかける。ドアライニングも樹脂肌まるだしで、しっとり感に欠けていた。ここに至っては、色・艶・しぼ、段ちりに合わせ建て付け、すべてを極めるしかやりようがあるまい。 事前に行った「EK」のユーザークリニックは、必ずしもよい結果ではなかったようだ。アコード、シビックの評価があまりにも高く、その下の車とは雖も、車格や質感

第204話.全体と部分

1995年 6代目「ホンダアコード」の開発を通じて、世界各地域の要望と生産効率の整合、そして…

岩倉信弥
4年前
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第203話.グローバルとローカル

1995年 いよいよ、6代目「ホンダアコード」シリーズの開発が始動した。極度な円高の試練は、…

岩倉信弥
4年前
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第202話.屋台骨

1995年 6代目「ホンダアコード」シリーズは、世界中のホンダマンが議論を繰り返しながら、総…

岩倉信弥
4年前
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第201話.コンバート

1995年 6代目「ホンダアコード」の開発方針が、やっと固ってきた頃である。今やアコードは、…

岩倉信弥
4年前
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第200話. 一日一書、一日一句

1995年 仕事始めの日から、パソコン修行で寝るのが2時3時の毎日。仕事場の若い連中は興味津…

岩倉信弥
4年前
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第199話.「書く」ということ

1995年 1994年、この年も暮れようとしていた。オデッセイがRJCのカー・オブ・ザ・イヤー大賞…

岩倉信弥
4年前
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第198話.無尽蔵

1995年 3代目「ホンダレジェンド」の開発は、新技術の投入を断念したことに加え、5代目アコード、6代目シビックと、しぶとく続けてきた部品の流用・共用・長用努力が、ここにきて実を結び始めていた。 これらのノウハウを駆使することによって、3代目のコストは、2代目に対し30万円近く下げられる見通しが立った。若い技術者は、自分たちが奮闘努力で生み出した原資を、新技術の投入に使いたいと迫ってきたが、敢えて我慢してもらうことに。これについては、若い技術者から随分と恨まれた。 しかし、