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千字薬-本田宗一郎から学んだことども-Ⅳ.1990年代

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ホンダのカー・デザイナーとして、経営陣のひとりとして、デザインと経営を見つめてきた経験を1エピソード、千字で書き綴った連載。(初出:1998年) 1990年代(私は50代-知命)
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記事一覧

第227話.あ・ば・よ

1999年 私の退職の日も近い。人は別れの際、何と言うのだろうか。普通に言う「さようなら」は…

岩倉信弥
3年前
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第226話. 青春とは・・・

1999年 本田宗一郎とホンダS600に憧れ、1964年24才で入社し、1999年60才で退職するまでの35年…

岩倉信弥
3年前
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第225話. 再び、マネすんな

1999年 1950年代の終わり頃、「ホンダスーパーカブC100(1958年)」が大ヒットした。このオー…

岩倉信弥
3年前
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第224話. 雷オヤジ

1998年 「創50」の行事も無事終わった。本田さんが亡くなって早や7年になる。叱ってくれる人…

岩倉信弥
3年前
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第223話.“創50”に想う

1998年 1997年秋、例年にない雨続きの空が奇跡的に晴れ上がった。30万人の応募者のうち幸運に…

岩倉信弥
3年前
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第222話.「シック」で「エレガント」

1998年 初代「ホンダオデッセイ」のデザインが、お客さんから「エレガント」と評されたことは…

岩倉信弥
3年前
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第221話.「粋」で「いなせ」

1998年 初代「ホンダオデッセイ」の、ユーザー調査レポートを見ていて分かったことがある。オデッセイのお客さんの多くが、この車のデザインを「エレガント」だと感じてくれているようだ。大ヒットした理由は、多分そんなところにあるのではないかと。 そして思い出すのは20年近く前、2代目プレリュードを開発していた頃、エンジン担当所付のSさんから、「あなたのデザインは、エレガントですね」と言われたことだ。エンジン屋さんが、デザインについて何か意見を言ってくれるというのは珍しいこと。その

第220話.マルG

1997年 6代目「ホンダアコード」をベースにして、欧州生産用のアコードのデザイン作業が佳境…

岩倉信弥
3年前
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第219話.欧州高級研究旅行

1997年 「マルG作戦」のもと、「高級」の要素を確かめに、みんなでヨーロッパへ行ってみよう…

岩倉信弥
3年前
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第218話. 高級車づくりの研究

1997年 私が本田技研役員を退任し研究所専任になる際、本田技研社長にお約束をしたことの一つ…

岩倉信弥
3年前
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第217話. 再び富士(不二)

1997年 80年代、欧州市場での日本車の台頭にドイツの各社は、基幹産業である自動車がカメラや…

岩倉信弥
3年前
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第216話. アイデンティティ

1997年   このところよく、「こんな時、本田さんならどうするのだろうか」と考える。ホンダは…

岩倉信弥
3年前
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第215話.ホンダは「ホンダ」

1997年 21世紀の「ホンダのアイデンティティは、如何にあるべきか」を探る中で、「ホンダがど…

岩倉信弥
3年前
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第214話. ホンダ・アイデンティティ

1997年 「最近、いろんな人から聞かれてね。僕は、答えようがなくて困っているんだ」、と本田技研社長から。そして、「中々できなかった例の件、研究所専任になったのを機に、何とか進めてみてもらえないかな」と切り出された。 兼任していた本田技研の役員を退任し、研究所専務としての業務に専念することになって間もない頃のこと。例の件というのは、これから先、21世紀の「ホンダのアイデンティティは、如何にあるべきか」を考える、と言うことである。 実はここ何年か、この件についての議論を重ねて