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第209話.愛される「小言こうべえ」
1996年
幸い、研究所4輪部門の室長や部課長方は、久しぶりの私の話に、熱心に耳を傾けてくれた。一息入れたあと、「横丁のご隠居見習い」の説明に入る。その内容は以下の通り。
「隠居」と言うと今どき流行らないし、誤解される向きもなくはないが、私としては大好きな言葉で、昔から日本にある優れた仕組みだと思っている。倅(せがれ)に家督を譲り、外から見守っていくといううまいやり方だ。
また、地域の一員として、豊富な経験と培った信望で、お祭りなどさまざまな行事のまとめ役や、手を焼くもめ事の相談に乗り、ときには、熊さん八つぁんの悩み事にも応じる。
なぜ「横丁」か、というと、倅との同居で、めしを食わしてもらっているようでは言いたいことも言えない。またそれでは、違った視点からものを眺められることも出来なくなる。
そこで、ちょっと離れて、つかず離れず、長屋の職人さんたちとも付き合い、四方山話などをながら世間の様子にも精通する。表通りの大店(おおだな)でも裏長屋でもない、やっぱり「横丁」なのだ。
なぜ「見習い」と言うのか。専務は執行部の一員。だから今は、隠居と言える立場ではない。しかし、いずれは、そういう立場になれるよう勉強を始める、という宣言なのである。
本田技研前社長とご一緒に、私をここまで育ててくれたBさんが、これまで随分と長く、この難しい「ご隠居」役をやってこられた。徳を積まれた方である。私をはじめ、どれだけの人が助けられ勇気づけられてきたか知れない。
そのBさんがこの春引退された。「あとを、おまえがやれ」と、本田技研社長から言われているが、どうみても、まだその任ではないと私自身も心得ている。だから「見習い」なのだ。
なぜ「隠居」に「ご」が付いているのか。自分のことを敬語で言うのはおかしいではないか。もっともである。とかく「隠居」と言うと、「楽隠居」を決め込み鼻毛を抜きながら趣味三昧になりがち。
何とか世のため人のために役に立ち、「小言こうべえ」と冷やかされても、親しまれ慕われるような人間になりたいなと、切なる願望を込めての「ご」なのである。何となく分かってもらえたようだった。
ではあるが、私自身として、一年過ぎて専務の任を終え、見習い期間も終わる頃に、果して、「横丁のご隠居さん」を立派にやれるようになっているのだろうか。やることが山ほどあるような、大変そうでもありワクワクする不思議な気分であった。