第202話.屋台骨
1995年
6代目「ホンダアコード」シリーズは、世界中のホンダマンが議論を繰り返しながら、総がかりで開発を進めていた。もちろん日米欧のデザイン室も、共創と競争の真っ只中にあった。
アメリカでつくるアコードは、日米デザイナーの「共創」による作業と何回かの徹底した現地クリニックを経て、アメリカンテイストの強いデザインとなった。アジア・大洋州のアコードは、このアメリカのデザインを採択する。
さて、ヨーロッパはと言うと、これが簡単には決まらず、最後まで揉めに揉めた。と言うのも、イギリスのスウィンドン工場の生産効率、投資効率、部品調達能力、それらの結果から決まってくるコストの実力から見て、提携関係にあるローバー社で量産中のシビックとアコードの部品や設備を、うまく流用する方が得策と欧州本部は考えていた。
が、これだと、一世代ないし二世代(約10年)前の技術をさらに引きずって使うことになり、競争の厳しいこのクラスの中で戦闘力があるわけはない。これも激論の末、日本の新しいアコードのパッケージに統合することにした。
もちろん、外装のデザインは欧州専用とし、HRE(ホンダ・リサーチ・オブ・ヨーロッパ)で進めていたソリッド感(固まり感)のある主張の強いデザインを採用する。
内装は日本用アコードのものに欧州での使い勝手や好みを入れ込み、しっとりとしたデザインに改良された。バリエーションは、4ドアセダンと5ドアセダンを揃えることに。日米に遅れること一年の立ち上がりとなる。
ざっと、6代目アコードシリーズの全体をかい摘んで述べた。言ってしまえば簡単である。が、何故この時期に、これだけの大がかりなことに取り組んだのか、また取り組めたのか。振り返ってみて、私自身も不思議な気がしている。
ライフがシビックを生み、シビックがアコードを生んできたことはすでに述べた。そのアコードもこれで6代目になる。初代で認知され、2代目で北米生産を開始し、3代目で世界で評価され、4代目で二刀流(横置きL4、縦置きL5)とヨーロッパ生産を。
そして5代目では、歴代の垢を落としたダイエット・アコードと、どのアコードをとっても時代と共に生き、世界のお客さんとともに育ってきた。地道なステップバイステップと、飽くなき先進への挑戦だったと思う。
6代目「ホンダアコード」シリーズは、こうした歴代の敷石の上に築かれていった。「屋台骨は、一日にしてならず」、である。