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第203話.グローバルとローカル

1995年

いよいよ、6代目「ホンダアコード」シリーズの開発が始動した。極度な円高の試練は、世界車アコードを大きく育てようとしている。
ホンダはこれまで、アコードをはじめとする製品を、世界130ケ国に向けて輸出してきた。そしてそれら輸出相手国ごとの事情によって、仕様や装備の違いを年々大きくしてきている。
70年代の初代シビックや初代アコードでは、製品の「基本コンセプト」は世界中「同一」であった。当然、これによって決められたエンジンや車体など車の基本骨格も「同一」である。
なぜなら、「基本コンセプト」が変わると全く別の車になってしまい、メーカーにとっては、開発、生産などすべてにわたって大きな負担となるからだ。
80年代に入って、シビックの輸出拡大や2代目アコードの北米での現地生産が始まる頃から、現地に適合する商品のあり方を模索してきた。3代目アコードでは、北米の2ドアクーペ、日本のエアロデッキなどと、国別専用車もつくり始めた。
4代目アコード(’90M)の頃から、ホンダは「グローバライジングとはローカライジングである」と主張してきた。ここでの「グローバル」は、世界的規模での活動といった意味で、決して世界の一元化や単一化という考え方を指すものではない。
世界各地には実に様々な文化があり、その背景にはそれぞれ地域に住む人々の生活とその歴史がある。人間としての基本的部分は共通だからと、各地域の生活や文化のスタイルを一括りに考えた「車つくり」には問題がある。 
すべてに適合しようとする「車」は、どんなにうまくつくっても、どこかに無理を内包している。結果的に人が無理をして「車」に合わせるかたちになってしまい、「人」と「車」の関係が良好とは言えなくなるのだ。
「一つの車」が、日米欧それぞれの地域ごとに、「まったく違うユーザー」に支持された2代目プレリュード(’83M)の話を思い出して欲しい。もし、一つの車が、世界のさまざまな地域での、「同じ様な立場のユーザー」に支持されたいのであれば、文化や人の好みの違いによって、それぞれに「基本コンセプト」を違えてゆく必要がある。
もちろん、全く別のものには出来ないのが「車つくり」の難しさである。そこで、こうしたことへの試みとして、3代目ワンダーシビック(’84M)の開発を通じ、基本のプラットホームを共通に、多様なバリエーションを揃えることに挑戦してきた。

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