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不登校は本当にダメなのか?

みなさんおはようございます。本日は不登校について考えます。不登校と言うとマイナスの印象を持たれる方が多いかと思います。通常学校は行って当然だと思われがちだし、現に私もそう思わされてきました。しかしいろいろ調べて行くうちに必ずしもそうとは言えないと思うようになりました。日本においては国民の義務として教育の義務があります。学校へ行くのは義務として定められています。ただ海外ではそうではない国もありました。

例えばフィンランドにおいては日本のような教育の義務はありませんでした。じゃあ何もしなくてもいいかといえば、そうではありません。教育の義務はなくとも学習の義務はあるようです。要は勉強はしなければならないが、その場所は必ずしも学校である必要はないとのことです。これは日本とは大きく違います。日本においては文部科学省の認定した学校で勉強することが定められています。よくあるのが朝鮮学校などは文科省が認めていないからダメだなんて話ですね。ただ朝鮮学校だって内容はともかく、文字の読み書きや計算については行われていますし、文科省が認めていないとはいえ、学習自体は行われています。

そう考えると、今の日本において学校だけが唯一の学べる場所になっていることが問題ではないでしょうか?よく学校は勉強だけではなく、人間性を学ぶ場所だなんて言い方をされますが、それだったらなおさら学校である必要はないと思われます。不登校の生徒など見ていると学校という仕組みは合わないけど、自分でどんどん学習していく人も多いように思えます。さらに取り立てて人間性に問題があるとも思えません。ものすごく攻撃性があるとかそういうこともあまり聞いたことがないですし、仮にやんちゃだったとしても、学校外でボランティア活動をしていたりなんてこともあるし、学校に行かないことそのものを批判するのは何か違うと思うようになったのも事実です。

ではどうすればいいかといえば、学校以外でも学力や人間性が学べる場所を作ることと、義務教育の見直しが必要ではないか、ということです。よく言われるのは義務教育は工場で働いたり、軍人を育成するための機関であるなんてことです。実際自分も今から考えたらそう思える場所だったと思います。学校に行くのが本当に嫌でした。まともに勉強がしたいと思ったのは大学に入ってからです。大学生の時は本当に勉強が楽しかったです。正直偏差値の高い大学ではなかったですが、それでも大学に行けば多くの資料がありました。さらに私が行った大学は総合大学だったためいろんな学部がありました。書店にもさまざまな分野の入門書や専門書が置いてあり、読み漁るだけでも楽しかったものです。大学に嫌々行くなんてことはありませんでした。

学ぶということは本来楽しいことだと思います。不登校の子供は実は学校という場所では学べなくとも、それ以外の場所であったならば多くのことを学んでいることでしょう。そう考えたら、教育内容や場所についてもいろいろ考える必要がありそうです。家に引きこもって何もしないとかであれば問題かもしれませんが、実はそういう人にこそ必要な学びだってあるはずです。不登校をダメなものとして決めつけず、学びの場所をいくつも用意してあげることが大事なのではないでしょうか?

結論を言うと、不登校は決してダメではない、ということです。ダメなのは決めつけること、選択肢がないことでしょう。自分にも子供はいますが、子供が不登校になった場合、どうやって学ばせるかなどいろいろ今から考えておく必要がありそうです。

それでは本日はこれにて。最近教育系の記事を読んでいないから、今一度読み直して、何か新たな発見をしたい。

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ブルーベリー博士(家庭菜園投資家)
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