小学校から高校までの12年間を、幼稚園や保育園に
小学校入学から高校卒業までの12年間を、幼稚園か保育園のようにしたらいいのに、と、結構真剣に思う。
多くの親が、小学校に入るまでの我が子を「天才じゃないか」と感じる。アンパンマンのキャラクターをたくさん覚えたり、歴代仮面ライダーを全部覚えたり、驚くべき記憶力を幼児は示したりする。
ところが小学校に入学した途端 多くの子供が学習意欲を失ってしまう。あれだけすごい記憶力を示していたのに、学校の学習ではほとんど記憶しなかったりする。なぜこんなことが起きるのだろうか?私が考えるに、それは、幼稚園や保育園のような指導法が取られていないためだ。
幼児期の学習では遊びと学びの区別がついていない。私はこれがとても大事な条件なのだと考えている。なぜか小学校に入学したとたん、学習と遊びが完全に分断される。学習はいつのまにかイヤイヤ強いられる勉強になってしまう。この結果、多くの子供が勉強嫌いになってしまう。
嫌いになったものに意欲的になれる人間はほとんどいない。お給料でももらえるならまだしも 、学校生活の間はそれもない。なのに強制されて、イヤイヤやらされるというのでは、学習意欲が湧くはずもない。
幼稚園教諭や保育士は、徹底して子どもが能動的に取り組むように接する。なるべく楽しみながら取り組めるように。本人が進んで取り組めるように。
ところが小学校以降は、上意下達式に教える。子どもたちは受動的な立場に置かれ、能動的でいられなくなる。受動的なのは人間、楽しみづらい。
もちろん、学校の先生も子どもたちが能動的に学べるようにいろんな工夫を凝らしている。
知ってる言葉を辞書で調べてふせんを貼るやり方は、辞書にどんどんふせんが増えていくのが自分でもみてとれて、楽しくなってくる。
漢字テストで、問題で出てる以外の漢字を書くと追加点をもらえて、100点どころか300点超えもできるテストでは、子どもが張り切って漢字をたくさん書くという。こういう試みがいろんなところで行われている。
でも考えてみると、こういう工夫って、保育のやり方のほうが相性いいのでは?
今は、小学校から高校までの授業の動画がたくさんあるという。なら、それぞれの子がタブレットなりパソコンなりで動画を好きなタイミングで見て学んでもいいように思う。で、教室にいる先生は、教えるのではなく「驚き屋」になるとよいように思う。
幼稚園や保育の先生は、子どもたちの成長に驚く。昨日までできなかったことが今日できたことに驚くと、子どもたちはとても嬉しそう。こうした大人が、小学校以降ではいなくなってしまう。これが学習意欲を失う子どもが増える原因のように思う。
子どもが能動的に学んで、できなかったことができていく様子に驚く。教室にいる先生は「驚き屋」でいることに専念すれば、今の生徒数でもなんとかできるかもしれない。先生は教えるのではなく、「驚き屋」になる。幼稚園や保育園の先生のように。すると、子どもたちは楽しく学べるようになる気がする。