専門外に口出すべきでない?
自分で言うのはためらわれますけど、ご指摘なので。
私は幸い、農業研究者としてはかなり成果を出してる方として評価してもらえているようです。その成果でこれまで東大、京大、名古屋大、慶応大、東京農工大などで講義してきました。
https://twitter.com/N3pJn1/status/1685033882029363200?t=2d6yxaEtQ2BiFoqFGh6mLQ&s=19
私の開発した技術は特色JASにも認定されました。農業研究者としては例のないことのようです。今も京大、慶応大、名古屋大、富山県大などと私の開発した技術で共同研究を続けています。研究者としては実に幸運な人間だなあ、と感謝しています。
で、その上で。私は農業以外のことにも関心があり、関心の赴くまま、いろんな意見発信をしてきました。それがきっかけで最初の本「自分の頭で考えて動く部下の育て方」を発刊しました。部下育成本。農業と関係なし。すると驚いたことに、親方中の親方、農林水産省からお呼びがかかりました。
局長以下に部下育成のコツを話してくれ、と。60人くらいの、私よりもずっと上の上司にあたる人たちに、下っ端の中の下っ端の私が上司としての心得を話すというなんともシュールな絵。
私が書いた最新の本「そのとき、日本は何人養える?」は食料問題を正面から扱った本です。農林水産省の地下にある書籍部で平積みになって売られていたようです。農業研究者としていささか貢献できたかと思います。
さてまあ、専門家は専門をやっとれ、専門外に口を出すなとのお言葉ですが、私はその考え方、了見が狭いと感じています。
私は専門外から研究のヒントをたくさんもらってきました。スーザン・ストレンジ「国家の退場」は、微生物の培養技術へのインスピレーションになりました。
保育士・幼稚園の先生方がたくさんの子どもたちを動かす手腕も、勝手気ままに動く微生物の制御法として参考になりました。専門外からの発信って、専門分野にも非常に参考になったりするんですよね。
私は、専門外のことにもみなさん、発信したらよいと考えています。それが専門の人に刺激を与えることがあるからです。時には、専門家が軒並み思い込みを抱いていたのを打ち破るきっかけになるかもしれません。たとえばレイチェル・カーソンは海洋生物学が専門で、農薬は専門ではありませんでした。
しかしカーソンの「沈黙の春」は、世界史を大きく変えました。専門家でないがゆえの瑕疵もないわけではありませんが、専門家でないからこそ、専門家でない人にも理解しやすく、専門家も反省せざるを得ないメッセージがこもっていたわけです。
また、カーソンは教育者でもありません。しかし彼女の著作「センス・オブ・ワンダー」は、教育界にかなりの影響を与えました。子どもに知識を詰め込むことより、自然や生命の神秘さ、不思議さに目を瞠る感性が、いかに子どもにとって重要な要素かを思い出させてくれました。
ルソーも専門外と言える教育学の本「エミール」を書き、これによって「子どもの発見」がなされ、教育学が劇的に変わりました。それまで教育者は、子どもを「小さく未熟な大人」とみなし、いびつな方法を勧めていました。エミールが劇的に教育学を変えました。
専門家への敬意を失ってはいけませんが、「もしかしてこういうことが言えるのではなかろうか」という「気づき」を発信することは、専門家にとってもありがたいことです。互いに専門分野を超えて、刺激し合えるとよいのでは、と考えています。
あ、今日は東京農業大学で、日本学術会議主催のシンポジウムがあり、そこで講演します。農業研究者としては嬉しい限りです。
https://www.scj.go.jp/ja/event/2023/344-s-0729.html