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長期政権の影には茶番があった?【家康】に学ぶ、クレーム対応術

鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス

で有名な徳川家康。
言わずと知れた260年にも続く長期政権を樹立した立役者である。
もちろん、家康の功績は言うまでもないが、実はその家康には有能な4人の家臣がいたのをご存知だろうか。

酒井忠次(1527 ~ 1596年)
本多忠勝(1548 ~ 1610年)
榊原康政(1548 ~ 1606年)
井伊直政(1561 ~ 1602年)

俗に「徳川四天王」と呼ばれることになる4人である。
この中でも榊原康政は頭脳派で、特にマネジメントに長けていたと言われる。

あの織田信長でさえ成し得なかった征夷大将軍となり、江戸幕府を開いた徳川家康。そこまでの道のりを辿るにはもちろん強さだけではない。さまざまな細々としたトラブルに対するマネジメント能力があったからと言えるだろう。

では家康はそのトラブルをどうやって乗り越えてきたのか?
そこには今の私たちにも役立つ、クレーム対応術があった?

今回は歴史上言い伝えられているとあるエピソードに注目し、木沢独自の解釈を踏まえ、そこから得られる明日役立つクレーム対応術をお話ししよう。

この記事はおよそ2900字です

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📖まずは教科書上のおハナシ

今回お伝えしたいエピソードは1600年、かの有名な関ヶ原の合戦である。
家康の息子である秀忠は、信州・上田の真田昌幸を攻めあぐね、関ヶ原への到着が遅れたのだ。

これに家康は激怒した。

もうお前は許さない、謝罪の面会も受け付けない。

家康の怒りはとどまることを知らない。
こんな困った状況で一役買ったのが秀忠の参謀でもあった徳川四天王の1人、榊原康政だ。

榊原康政は家康にこう言った。

「全ては自分の責任である」

と。
榊原康政と言えば、今までも多くの面で家康を支えてきた家臣の1人だ。そのサポート内容は戦にとどまらず、情報操作や外交交渉、組織のマネジメント、など多岐に渡る。

この重鎮が「自分が責任をとるから許してくれ」と申し出たことにより、家康は振り上げた拳を収めることとなり、秀忠と和解することができたのだった。

とまあ、ここまでが一般的に言われている内容である。
しかしこの話を聞いて、私は別の話を考えた。このエピソードには裏がある、そんな気がしてならなかったのだ。

🌃木沢が考えるホントの舞台裏

専門家からしたら色々あるだろうが、ここからは私のあくまで推測として聞いて欲しい。

家康とて、次の将軍として息子である秀忠を考えていただろう。自分も高齢となり、征夷大将軍となり江戸幕府を開いた後は、スムーズに権力の移行をしたかったに違いない。

この大事な関ヶ原の合戦で、少しでも秀忠に戦果を上げさせ、秀忠に求心力があつまれば、と思っていただろう。

しかし、その秀忠が最も重要な場面で、関ヶ原に間に合わないという、予想外の事態が起きたのだ。
※これは秀忠の失態というより真田昌幸の戦略があまりに優れていたのと、関ヶ原への招集命令が秀忠に届くのが遅かっただけ、という説もある。

家康は実は内心焦ったに違いない。

もし秀忠を次期将軍に推したとき、みなはどう思うだろうか……。

天下統一し「よし!」となっている中、大事な場面に間に合わなかった秀忠がのこにこやってきて、

次は自分が将軍なんで、よろしく。

と言われたら、みんなは納得しないかもしれない。

そこで榊原康政とひそひそ話を始めたのだ。
すると榊原康政がこう囁いた。

「殿、私に案があります」

「まず殿は全力で怒ってください。ふざけるなと、もう顔も見たくないと。殺すまでは言わなくてもいいです。とにかく演技であるとがバレないようにしてください。ポイントは皆が抱えるだろう不満より大きく怒ってください」

ふむふむ、それで?

「すると、周りはきっと『いやいや、そこまで怒らなくてもいいんじゃない』という波が必ずきます」

そうか、そこで「それなら……」と言えばいいんじゃな

「いえいえ、そこで簡単に拳を収めては、演技であることがばれます。あれだけ言ってたのに、数ある息子のうち、なんで秀忠にだけ甘いのかと。
殿はトップなのです。殿の怒りは誰にも止められません、たとえ周りのすべての家臣がなだめてもです」

「それならどうするのじゃ? 秀忠を殺せと?」

「そこで私の出番です。殿は権力ではトップですが、私の方が年上です。そして長い付き合いもあります。長年連れ添った私が全力で説得し、『お前がそこまでいうなら』と殿が私に免じて拳をおさめるのです。そうすることによって、秀忠への批判は避けることができ、さらにお怒りになった殿は懐の深さもアピールすることができます」

こうして、家康は拳を収めることに成功したのだ。

✨神業的リスクマネジメントスキル

あくまでこれは私の推測だが、こんなストーリーも想像してみると面白い。
これはバレてはいけないわけで、史実に残っているはずがない。

ただ大事なのはこれが事実かそうかではなく、もしそうだとしたら恐ろしく質の高いリスクマネジメントを行っていたことにある。そしてそれは現代の私たちにも通用するのだ。

💁‍♀️クレーム対応の「超」大原則

クレーム対応の原則は早く、より大きく

スキャンダルや失策への対応の原則はこれである。
まさに洋服についた小さな火と同じで、最初は小さなものだったが、放っておくとどんどん大きくなって、いずれ家をも燃やしつくす。

例えば、政治家で言えば、とある失態に対し、まわりは何となくそれに対する刑をイメージする。段階としては、

🙇 謝罪
💰 給料カット
🧑 大臣などの役職辞任
🏢 離党
🦸 政治家辞職
⚡️ 刑罰
💀 死亡

まで広がる。
最初は

「給料カットくらいは当然だよね」

というところで、大臣を辞職します、となると、

「そこまでしなくてもいいんじゃない?」

という力が働き、しゅん、と炎上は引く。
しかしここで、

「謝罪のみでいきます、それ以上はするつもりはありませ〜ん」

という態度が続くと、小さな炎はいずれ燃え上がり

「なんだ、その態度は。政治家やめろ!」

と大きくなるのだ。

なので、

周りが思っているより大きな対応を、炎が大きくなる前に打つ

今回のエピソードで言えば、

「秀忠失敗してる。こんな人が時期将軍か……」

という論調が広がる前に、それを吹き消すくらいの事件を起こす。

「秀忠、俺は怒ってる! 絶対に許さん」

という殿の怒りによって、その論調を吹き消す。

しかしこうすると、あげた拳をどうやって収めるか。

そこにご意見版として側近に仕えた徳川四天王の1人が、愉し、それを受け入れる。

というストーリーを考えたのではないか。

まとめ

クレーム対応の原則は早く、より大きく
態度には整合性をつける。

あとがき

 この「早く、大きく」というのは「同僚の愚痴へのベストアンサー」にも通じるものがあるので、いずれ記事として書こうと思っています。そして、今の岸田総理の政治資金問題の対応、実はなかなかうまく立ち回っているなと思います。

 うまく、というのは「誠実に」と同義ではなく、まやかしも踏まえ、戦略としてなかなかうまいところを突いてるなと。実は誰か手だれたブレーンがついているんじゃないかと最近勘繰っています。

 

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