モデルマイノリティへの批判はタブーなのか?
批判は他者を攻撃するものや貶めるものではない。その物事や方法に対して疑問を呈して、過去未来を含めて考えるための1つの手段としての批判をするということである。
様々な出来事を通して、マジョリティとモデルマイノリティはイコールになってしまっているように思う。
モデルマイノリティは「マイノリティのお手本」と言われる。ある少数集団のなかで「そうであるべき姿」とされる。
もちろん、段々と意味が変わってきているし、今は「活動家や教養人」であったり、声が大きく特権的な地位にいるマイノリティである場合が多い。
モデルマイノリティたちの行動によって、マイノリティに向けられる差別などが改善している例も多くある。差別が可視化されてことで有耶無耶にされたものが浮かび上がるという利点もある。
でも、あまりにも声が大きくなり、注目や支援が集まることで「特権」が集中する。そのことで、いつの間に同じマイノリティたちとは埋まらない乖離が生じてしまう。
しかしその点は、触れてはならない聖域となってしまっている。モデルマイノリティたちがマジョリティ化していくことの警鐘も許されなければ、特権や利益の独占に対しての問題を指摘するさえ不可能にされる。
また、モデルマイノリティを批判することは、マイノリティを批判するということになるという極端な思考をするものもいる。
それは、本当にそうなのだろうか。
モデルマイノリティの得ている機会や利益を、その他のマイノリティも同様に得られているのならばこういう話題は間違っている。しかし現状は、モデルマイノリティだけが利益を得て、自分の言葉を社会全体に波及させることが出来てしまう。
モデルマイノリティではない、マイノリティ当事者たちは、今もなお苦しみ、日々報われないなかで戦っている。
そうした真実はいつまにか葬り去られる。そしてマイノリティ当事者だけが、自己責任論や無能力として排除されてしまう。
このようなモデルマイノリティ批判することは、最大のタブーとして思われる。そして、そもそもモデルマイノリティを批判するということをしない。
それは「誰もが活躍し、誰もが自己実現できる社会や未来」には程遠く、モデルマイノリティはマジョリティたちから受けてきた様々な問題を再生産してしまうことになる。
一部の人間だけが評価されるのが人間の社会である。でもその流れを変えようと頑張っている人たちもいるが、得た利益を還元することはない。
これを考えていると、マジョリティたちが行っている特権の行使や特権の占有の状況に対する批判と似ているなと書いていて思った。
そうなると、マジョリティやマイノリティという枠組みは存在せず、「自分の利益や特権を自分だけのものであるとする人々が問題」なのかもしれない。
そこにマイノリティ性や過去に受けてきた傷などは関係ない。特権を自分だけのものにして、利益を与えてくれるものにだけ頭を垂れる、できないのは己の問題として、報われないのは努力してないことと言い切れてしまう人間が問題なのである。
残念ながら特権を得てしまうと、かなりの自制や過去の積み重ねがない限り、横暴で独占的で権威主義的になってしまう。それは、マジョリティとモデルマイノリティの大きな課題の一つである。
その点に目を向けず、自分たちだけがいいと思うマジョリティやモデルマイノリティがいる限り、マイノリティ当事者は救われない。
なら、僕がその問題に切り込めばいいのだけれど、そんな力もない。それどころかギリギリのラインでいるため戦う力すら湧いてこないでいる。
真実は必ず潰される。力ある者たちの不都合さを暴けば、必ず消されてしまう。
モデルマイノリティは批判してはダメ、でもマイノリティ当事者が語るものは否定してもよい。そんなことがまかり通る社会なのだ。
モデルマイノリティに対する批判はタブーにしてはならない。もちろん差別や偏見を向けての批判はしてはならない。
モデルマイノリティたちの権利行使は、果たしてマイノリティ当事者のためのものになっているのか。
モデルマイノリティたちのみに特権が集まっていないのか、機会などがモデルマイノリティにだけ偏っていないか。そのような権力を監視することは必要である。
それはマジョリティにも言えることで、あまりにも権力が集中しているのようならストッパーが発動し、権力や特権を得られない仕組みが必要である。
このこと自体、批判され消されるのかもしれない。でも、誰もが自己実現し、誰もが機会や利益を得られるようにするために
一部の人間だけが過剰な恵まれを享受するような事がないために発信する必要があるの自分は思う。
もちろん自分自身が、全く救われないからというしんどさから来ているという点は認める。それでも、あまりにも偏った世界はあってはならない。
特に、マイノリティたちの世界においては。それではマジョリティたちに何も言えなくなってしまう。