江本伸悟

1985年、山口県下関市に生まれる。2014年、東京大学大学院にて渦の物理を研究、博士…

江本伸悟

1985年、山口県下関市に生まれる。2014年、東京大学大学院にて渦の物理を研究、博士号(科学)を取得。2017年、私塾・松葉舎を立ち上げ。科学、数学、哲学、芸術、芸能、武術、ファッション、ダンスなど、分野を横断したコミュニティのなかで心と体と命の探求を続けている。

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  • 松葉舎の講義録

    松葉舎でおこなった講義の記録です。

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世界の見え方が変わる物理学|小林晋平×江本伸悟|松葉舎の講義録|2024年10月13日

2024年10月13日、青山ブックセンター本店の大教室にて、宇宙物理学者の小林晋平・東京学芸大学准教授をゲストにお迎えした講座「世界の見え方が変わる物理学」を開催いたしました。こちらはその告知文、当日のイントロダクション、レクチャー内容の一部となります。 告知文 人は一生のうちに、なんど物理学と出会うことができるのだろうか。 幼いころは誰しもが見わたすかぎりの不思議に包まれて、「なんで」「どうして」「どうやって」とさかんに口にしながら世界とたわむれていた。一匹の虫が、一

    • 身体感覚で『空海』を読みなおす|安田登×岩渕貞太×江本伸悟|松葉舎の講義録|2024年8月30日

      2024年8月30日、東京は恵比寿の某所にて、松葉舎の部会である「ことばとからだの研究会」(主催:江本伸悟、岩渕貞太)の一環として、能楽師の安田登さんをゲストにお迎えした講座「身体感覚で『空海』を読みなおす」を開催いたしました。 こちらはその告知文と、講座当日のイントロダクションとなります。 告知文即身成仏、声字実相。 この身のうちに仏を認め、世界に響きわたる声、浸透する文字にこの世の実相を見てとった空海。  身体と言葉を否定的に取りあつかう流れにあった仏教の歴史にお

      • 学問の海に遊ぶ

         むかし防長教育会の小冊子に寄せた文章を転載しています。  ***  僕がまだ子供だったころ、大地はひとつで、海はたくさんだった。生まれは本州最西端、三方を海に囲まれた下関である。綾羅木のなぎさで砂山をつくっては、打ち寄せるさざ波にそれを崩された。垢田の岩礁では貝や小魚を採り、イソギンチャクを見つけると指を突っ込んだ。吉見のテトラポッドに立って竿を振り、カレイが釣れたときは嬉しかった。父の車に揺られた先で出会う海はそれぞれに表情があり、どれひとつ同じものではありえなかった

        • センス・オブ・ワンダー、原文と二つの訳の比較対照

          松葉舎ゼミ「科学のセンス・オブ・ワンダー」の下準備として、レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』の原文と二つの訳(森田真生訳、上遠恵子訳)を部分的に比較対照していきました。知ること、感じることについて、カーソンの思想がよくあらわれている部分を抜き出しています。末尾には、翻訳書を読むこと、古典を読み継ぎ、書き継ぐことに関するぼくの考えも付しています。 森田真生訳: 冒険は穏やかな日のときもあれば嵐の日のときもあり、昼のこともあれば夜のこともあります。教えることより、一

        世界の見え方が変わる物理学|小林晋平×江本伸悟|松葉舎の講義録|2024年10月13日

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        • 松葉舎の講義録
          6本

        記事

          『センス・オブ・ワンダー』 新訳とその続き(森田真生)に寄せて

          松葉舎ゼミ「科学のセンス・オブ・ワンダー」の開催に寄せた文章を、森田真生さんによる『センス・オブ・ワンダー』の新訳とその続きに寄せた文章として独立させました。 2024年3月23日、独立研究者の森田真生さんによる『センス・オブ・ワンダー』(レイチェル・カーソン)の新訳と、そのつづき「僕たちのセンス・オブ・ワンダー」を合わせた一冊が刊行されました。 『センス・オブ・ワンダー』は、自然の驚異と不思議へと私たちの感覚を開かせてくれる不朽の名作として知られていますが、それが未完の

          『センス・オブ・ワンダー』 新訳とその続き(森田真生)に寄せて

          山縣良和・ここのがっこう論③|松葉舎の講義録|2024年3月26日

          人を起点に服と社会の関係を考える。 その分かりやすい具体例として、「ここのがっこう」とも「coco」の響きを共有しているココ・シャネルのデザインを挙げたいと思います。彼女は1910年代20年代に、パンツスタイルや、伸縮性のあるジャージー素材を取り入れた女性服をデザインしました。今でこそ、そのように動きやすく活動的な女性服も当たり前のものとなっていますが、その草分け的存在となったのがココ・シャネルだったといいます。彼女のデザインを身にまとった女性は、窮屈なコルセットに身を押し

          山縣良和・ここのがっこう論③|松葉舎の講義録|2024年3月26日

          山縣良和・ここのがっこう論②|松葉舎の講義録|2024年3月26日

          「ここのがっこう」の創作現場に今一歩踏み込んでいきたいと思います。 先ほどは、例えば「スカートとは何か」を考えるさいに、スカートの形状や長さなど、とにかくスカートのことだけを考えながら「スカートとは何か」を考えていきました。しかし「ここのがっこう」では、服のことだけを考えながら服をデザインしているわけではありません。服と社会との関係、あるいは服と人との関係など、さまざまな関係の編み目のなかに服をおいて、それをデザインしていきます。 とくに「ここのがっこう」が重視しているの

          山縣良和・ここのがっこう論②|松葉舎の講義録|2024年3月26日

          山縣良和・ここのがっこう論①|松葉舎の講義録|2024年3月26日

          2024年3月26日、富士山麓に広がる機織り町・富士吉田にて、作家の川尻優さんと共に「生きること、機を織ること、言葉を紡ぐこと」というタイトルにて、ファッション私塾「ここのがっこう」の創作と、松葉舎の学問とについてお話ししてきました。こちらはその講演録となります。 —————— この度はお招きいただきましてありがとうございます。松葉舎主宰の江本伸悟と申します。また、デザイナー・山縣良和が運営するファッション私塾「ここのがっこう」にも講師として関わっておりまして、この4月で

          山縣良和・ここのがっこう論①|松葉舎の講義録|2024年3月26日

          学びの共同体をつくる|阿部謹也『学問と「世間」』|

           著者の阿部謹也は、日本的な人間関係のありようを示す「世間」という言葉をはじめて学問の俎上に載せた学者であり、その成果は『「世間」とは何か』(1995)を通じて世に知られている。  『学問と「世間」』(2001)ではタイトルの通り、「学問」と「世間」の関係に焦点を当てつつ分析を深めているのだが、ここにもう一つキーワードを付け加えるなら、それは〈生活世界〉になるだろう。  本書の問いをぼくの言葉で述べるならば「世間の枠にとらわれずに、しかも生活世界に根を張って学問を営むこと

          学びの共同体をつくる|阿部謹也『学問と「世間」』|

          松葉舎は7周年を迎えました|松葉舎つれづれ|2024年1月9日

          松葉舎は本日でちょうど7周年を迎えました。 7年前のこの日、2017年1月9日に開催した開塾記念講座では、武術研究家の甲野善紀先生、私塾「数樂の風」主宰の藤野貴之先生、物理学者の小林晋平・東京学芸大学准教授、フラワーアーティストの塚田有一・里香夫妻、ログズ株式会社の武田悠太さん、大建基礎株式会社の大門千彌さん、そのうちcafeの浅井琢也さん、あさくさ鍼灸整骨院の末野秀実さん、そして親友の森田真生くんに小石祐介・ミキ夫妻、恩人の伊藤康彦さんに中田由佳里さんなど、多くの方に見守

          松葉舎は7周年を迎えました|松葉舎つれづれ|2024年1月9日

          わたしの思考と出会いなおす|松葉舎つれづれ|2023年11月16日

          ヴァイオリニストの本郷幸子さんが、先日ひらいた松葉舎ゼミに参加したさいの感想を寄せてくれた。 「人に敢えて言うほど『でも』ない。『でも』だれかとこのことを話してみたい。『でも』言ったら変だと思われるかもしれない」。なんども繰り返される『でも』には、自分の思いや考えをひとに打ち明けるさいの迷いやためらいがありのままに表れている。 ダンサー/振付家の岩渕貞太さんをゲストにお招きした先日のゼミでは「言葉に触れるからだ」というテーマを軸としつつも、そのテーマに沿って一本道に言葉を

          わたしの思考と出会いなおす|松葉舎つれづれ|2023年11月16日

          言葉と学問への重し|松葉舎の講義録|2023年7月16日

          2023年7月16日の日曜日、独立研究者の森田真生さんと一緒に、「自分のことばとからだで考える」というテーマで対談をしました。こちらの文章は、そのイベントの告知文に寄せた文章の一部になります。またそのイベントに先立って書いた「自分のことばとからだで考える|松葉舎の講義録」という note の続編でもありますので、合わせて御覧ください。 *** 僕は大学で研究をしていたころ、街の方々に向けて時々、「生命とは何か」ということを講演していました。ある講演会の後、それに参加してく

          言葉と学問への重し|松葉舎の講義録|2023年7月16日

          からだは言葉に振り付けられている|甲野陽紀『身体は「わたし」を映す間鏡である』

           10年ほど前から時々、ダンサー/振り付け師の山田うんさんのスタジオを訪れて、数人のメンバーで踊りをならっている。はじめのころはおどるといっても何をすればいいのか分からず、全身がむしゃらに力をいれて生じる痙攣を踊りとしてみたり、羽根をおうバドミントンの選手のようにフロア中を駆けずり回ってみたりしていたが、年を経るにつれて、自分の体の奥にある感覚に向きあったり、体の構造を伝わる自然の動きを探ったりできるようになり、そこからおのずと体に生じてくる動きを楽しめるようになってきた。少

          からだは言葉に振り付けられている|甲野陽紀『身体は「わたし」を映す間鏡である』

          自分のことばとからだで考える|松葉舎の講義録|2023年7月8日

          2023年7月16日の日曜日、独立研究者の森田真生さんと一緒に、「自分のことばとからだで考える」というテーマで対談をしました。こちらの文章は、そのことに関して、松葉舎の授業で話したことの講義録となります。 *** 来週、森田真生くんと「自分のことばとからだで考える」というテーマで対談する予定です。それで、僕はこれまでの人生で一体どのように「自分で考えよう」としてきたのかを振り返っていたのですが、そもそも何をもって「自分のことばとからだで考えた」と言えるのか、「自分で考える

          自分のことばとからだで考える|松葉舎の講義録|2023年7月8日

          綻びを纏う|関根みゆき「解くまでを結びとする」

          和服を着るようになり、何かにつけては縫い目の綻びる着物を繕うために、針と糸を手にしてチクチクと布に向かう時間が増えていった。肘掛けにかかって袖が破けたり、寝転んだ拍子に脇の下が裂けてしまったり、その度に小一時間をとられていた僕は、なぜ着物の縫い目はこんなにも弱く、脆いのだろうと、軽い疑問と不満を抱きながらも針と指を動かし、もう、ちょっとやそっとでは縫い目が綻びないようにと、かなり強い調子で糸を縫いつけていた。 そんなある日、結びの研究者であり、松葉舎の卒業生でもある関根みゆ

          綻びを纏う|関根みゆき「解くまでを結びとする」

          呟く思考(twitter), 吃る思考(stutter)

          川のほとりの保育園に娘が通うようになり、毎日土手沿いに自転車を走らせながら、川の流れを眺めている。冬の頃には色々な顔ぶれが揃っていた鴨たちも、そのほとんどが春になってどこかに渡り、ただ相変わらずカルガモだけが、浅瀬に顔を突っ込んで虫か何かを漁っている。その周りではコサギが忍び足で徘徊し、草陰や川底の砂利を黄色い足でガサガサと揺り動かしながら、驚いて出てきた魚や虫をついばんでいる。いつも同じような場所に陣取っては同じように虫魚を喰らっている彼らが、果たして同一個体なのか、それと

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