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からだは言葉に振り付けられている|甲野陽紀『身体は「わたし」を映す間鏡である』

 10年ほど前から時々、ダンサー/振り付け師の山田うんさんのスタジオを訪れて、数人のメンバーで踊りをならっている。はじめのころはおどるといっても何をすればいいのか分からず、全身がむしゃらに力をいれて生じる痙攣を踊りとしてみたり、羽根をおうバドミントンの選手のようにフロア中を駆けずり回ってみたりしていたが、年を経るにつれて、自分の体の奥にある感覚に向きあったり、体の構造を伝わる自然の動きを探ったりできるようになり、そこからおのずと体に生じてくる動きを楽しめるようになってきた。少しずつ、本当に少しずつだが、体を動かさずとも、体が動くようになってきた。

 自分の体の中には、いまだ知らない自分の体が隠れている。数十年連れ添った自分の体と、まるではじめて出会うかのように出会いなおす。そんなふうにして踊りをおどるぼくらの体を、うんさんは、今まさに自分の体の可能性を切り開きつつある子どもの初々しさを眺めるような、やさしくきらきらとした目で、いつも見守ってくれている。そうして、子どもの踊りに巻きこまれる親のように、そっと踊りをおどりだす。

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 ただ、10年続けているとはいっても、月に精々1回程度、うんさんの忙しいときには期間が空いたりするので、人前に出せるほどの踊りは今でもできない。それどころか、一緒におどっているメンバーやうんさんに面と向かって踊ることすら、ぼくには中々できずにいた。

 こんなに「下手」な踊りを見せられるはずがない。これは、ぼくの体の探求現場にたまたまみんなが居合わせただけなんだ、そう自分に言い聞かせるようにして、背や横顔を見せながら、誰もいない三面に向かって踊りをおどり、いざ正面を向いては目を泳がせた。

 それでも踊りをおどっていると、過剰な自意識もすこしはほぐれ、自分のこころが体の外側にまでじんわりと染みだしていく。それは、海に浮かんで体を揺すぶられるような、誰もいない駐車場に大の字で寝そべり満天の空を眺めるような、心と体が子どものころに戻っていくような、心地のよい体験だった。

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 最近ようやくみんなのほうを向いておどれるようになったのは、身体技法研究家・甲野陽紀さんの『身体は「わたし」を映す間鏡である』を読んだことが切っ掛けだった。書名や著者の肩書きからするとこれは身体について書かれた本であり、それは間違ってはいないのだが、実際読んでみると意外なほどの紙面が「言葉」について割かれている。

 たとえば、「ここに立つ」と「ここにいる」という一組の言葉を取りあげる。前者よりも後者の言葉を思い浮かべているときのほうが、一見同じような姿勢をとっていても、身体の安定感が増している。それを確かめるための方法が、じっくりと解説されている。そこに示されているのは、身体で言葉に触れていくための、非常に具体的な方法だ。

 些細に思える言葉の違いが、ひとの身体の安定感や動きの質に想像以上の違いをもたらしている。頭の意識で分別するよりも先に、身体は言葉の違いをいちはやく受け止めて、それに見合った所作を生みだし続けている。「身体はコトバの違いをまさに“水も漏らさぬ”精度で受け取っているのでは」ないかという陽紀さんの問いかけに、ぼくは大きくうなずきたいのだが、自信をもってうなずけるほどに、ぼくの体が言葉を受けとめる器としてまだ成熟していないことが残念だ。

 閑話休題。ぼくの踊りを変えてくれたのは、この本の中で取りあげられている「見る」と「目線を向ける」という言葉(の違い)だった。何かを「見ている」ときには、見ているものに注意がいくが、何かに「目線を向ける」ことはそれよりニュートラルな状態で、あまった注意を体やその他の場所に向けることができる。それが、動きの質を底上げしてくれる。

 ためしに、みんなのほうを「見る」のではなく、ただ「目線を向けて」おどってみた。「見て」おどっていたときには固まっていた体が、「目線を向けて」おどりはじめた途端に、やわらかくほぐれていくのを感じた。そうか、僕は「見られる」ことを恐れるあまり、ひとを「見すぎて」いたのかもしれない。頭についた目では見ていなくとも、心についた目で、いつも見えない観客を見つめ返していたのだと、そのときはじめて気がついた。些細に思える言葉づかいの差が、自意識の殻を凝り固めたり、やわらげたりする。

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 言葉は、からだを変える。
 人のからだは、言葉に振り付けられている。

 普段何気なく使っている言葉が、いつの間にか自分の体に染みこんで、その振る舞いに影響を与えている。人生の中で耳にし、口にしてきた言葉とともに、ぼくたちはそれぞれの踊りをおどる。

 身体技法研究家の甲野陽紀さんと、ダンサー/振付家の岩渕貞太さんの対談を聞きたくなって企画したのが、コロナの流行前に開いた「身体で言葉に触れる」(松葉舎の研究会)だった。

 最後に宣伝のようで気恥ずかしいのだけど——宣伝なのだけど——2023年9月22日金曜日、夕刻より浅草橋にて、その岩渕さんとともに「言葉に触れるからだ」というイベントを開く予定です。100冊近くの本を読む年もあったりと、無数の言葉を帯びたからだで踊りをおどる岩渕貞太さんの言葉とからだ。ご縁のある方はぜひ下記のページより詳細をご確認のうえお申し込みください。

https://forms.gle/JG9YetW7sk39innF9


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