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学問の海に遊ぶ

 むかし防長教育会の小冊子に寄せた文章を転載しています。

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 僕がまだ子供だったころ、大地はひとつで、海はたくさんだった。生まれは本州最西端、三方を海に囲まれた下関である。綾羅木のなぎさで砂山をつくっては、打ち寄せるさざ波にそれを崩された。垢田の岩礁では貝や小魚を採り、イソギンチャクを見つけると指を突っ込んだ。吉見のテトラポッドに立って竿を振り、カレイが釣れたときは嬉しかった。父の車に揺られた先で出会う海はそれぞれに表情があり、どれひとつ同じものではありえなかった。下関というひとつの大地にたくさんの海がくっついている。それが小さな僕の眼にうつる世界だった。

 自転車に乗り始めたとき、世界はかたちを変えた。綾羅木から海沿いにペダルを漕ぎ、小さな丘を越えると、そこには垢田の海が広がっていた。奇妙だった。それまで垢田と綾羅木、ふたつの海は、車のドアを開けた先に別個存在するものであった。それが自転車の横目に通りすぎた海岸線を介して、ひとつに繋がっている。なんとも奇妙だった。垢田と綾羅木だけではない。吉見の海も、日本海も瀬戸内海も、太平洋も大西洋もインド洋も、すべてが繋がって、ひとつの海をなしている。そう実感するのに時間は掛からなかった。自分の知らないところで結びあっている世界。自分の小ささと世界の大きさに目眩がした。

 今まで気づかずにいた物事の結びつきに気づいたとき、世界の底しれぬ深みに触れたような妖しい感触がする。それはどこか、イソギンチャクに指を入れたときのあの感触に似ている。その手触りを求めて、大学院では物理を学んだ。ニュートンはりんごの落ちるのを見て重力を見つけたと言われているが、彼の偉業は、りんごだけでなく、月もまた地球の重力に引かれて落下し続けていると見抜いた点にある。りんごの実る地上世界と月の廻る天上世界は、当時のキリスト教社会において別世界と見なされていたが、ニュートン以来、それは重力法則を共有するひとつの世界となった。科学は人の直感がこの世に引いた線を取り払い、それによって仕切られていた世界をひとつに縫い合わせていく。

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 反面、科学のもたらした分断もある。物理法則の統べる世界で自然はもの言わぬ物質の集まりとなった。命は細胞性生物の占有物となり、草木国土の宿していた霊魂は露と消えた。心は高等生物のみが持つ性質となり、在原業平の歌う、春の心がそのまま人の心であるような風景は遠い過去となった。命と心は人の内部に孤立し、自然との脈絡を断たれて、淋しくなった。

 分かることが分かつことである限り、知の営みが世界を分断してしまうのも不思議ではないが、それだけではない。研究対象を細分化していくにつれて、それを調べる学者の側でも専門分化が進み、知そのものが分断されていく 。学問の樹は枝分かれを続けその最先端に進むほど、知は私たちの暮らしから遠ざかる。知ることと生きることとが、次第に離れ離れになっていく。

 博士号を取得した後、大学には残らず、在野の学者として生きることを決めた。2017年、人の生に根ざした学問の場を目指して私塾・松葉舎を立ち上げた。科学に限らず、哲学、芸術、芸能、武術、ファッション、ダンスなど、多種多様の関心を抱いた老若男女が集う。時々分野の垣根を超えて、互いの心の響き合う瞬間がある。人の心も学問も、たくさんであると同時に、ひとつでもある。その事実をふと思い出すかのように。

 遊びをせんとや生まれけむ。茫々たる学問の海にこれからも遊び、戯れる。

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