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停滞の歴史

家族全員が島に帰省して、わたしは一人残って過ごしている。

遅く起きて部屋を掃除し、仕事して、ノートを取り、だらだらして、簡単なお昼を作って食べ、再び文字を書いては消して、担当した生徒から学校経由で届いた評価に喜んだり凹んだりしていた。

はたから見れば、特に何もない。記録するまでもない一日だ。

 

 

ある民俗学者さんの話で「停滞の歴史」という言葉を知った。

歴史書に載らない期間にあった出来事を、停滞の歴史と称されていた。

 

貴族や武士が功成り名遂げた事業や変革は文字で記録され、大きな天災は歴史書に残る。

かたや庶民は災害や飢饉の時に死んだ人の数で語られるのみで、名もなき人の日常や、小さな災いは歴史に残らない。

 

「歴史」という言葉には壮大な響きがあって、国や社会など大きな主語になじみそうな表現だ。

けれど、国など大きな主語で語られる大きな歴史があるのと同様に、わたしたち人間一人ひとりにも、小さな歴史がある。

そして、大きな歴史、小さな歴史のどちらにも、記録されない「停滞の歴史」がある。

知ってみれば確かにそのとおりだ。

 

たとえば一人の人間の小さな歴史をたどったとき、進学や就職、引越し、結婚、離婚などライフイベント的に大きい節目は記録されても、その間のあれこれは記録されない。

歴史(自分史)には載らない、長い長い停滞の時間がある。

 

ほとんどの歴史書で「停滞」は「何も起こらなかった」とされ、記録に残らない。

でも何も起こらなかったわけではない。

停滞する間にも日常があり、工夫して失敗したり成功したりと、名前のない希望や絶望がある。

 

たとえば、久しぶりに会う人との近況で「まあ、いろいろあって」と、はしょられる時間の束。

ライフイベントに数えられない日々に、その人が体験した温かい記憶や小さな痛みが、たたみこまれている。

語られず、SNSにものぼらない日常の営みが、その人の素地を作っている。

 

編集作業でカットされてしまう小さな失敗や成功や工夫は、それらが極まって「何かが起こる」までの、停滞の歴史だったりする。

 

そうか。

だから、テレビやショート動画で「短くまとめられた」有名人のプロフィールや、輝かしい事業をざっくり説明されるときに違和感があったのか。

栄光と挫折のコントラストをつけ、ギュッと簡潔な説明は、確かにわかりやすい。

けれど、その人となりや事業らしさを形作る人間臭さやノイズ、周辺情報まで削られたような無味乾燥さを感じていた。

 

長い停滞の歴史を、濃縮した一言で「挫折」「低迷」とサクッと説明されて、その人をわかったような気にはならないでいよう。

同じように、自分自身の停滞の歴史をへんに矮小化したりなかったことにもしないでいよう。

消した文字の行間を優しく励まされた気がした。

 

 

うだつの上がらない時間。

パッとしない感覚。

成果が出ない時期。

目的を見失った迷走期。

ありふれた絶望。

小さな希望。

単調な日々。

取るに足らない日常。

 

停滞とみなされそうな「何もない一日」は、振り返ったとき、歴史に残らない時間かもしれない。

 

だけど、ものすごく長い停滞の歴史が、オモテの歴史を支えている。

  

 

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