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「知育」(入力)ー「徳育」(演算)―「体育」(出力)のぐるぐる回し

カテゴライズ・リテラシーは運動によって向上する2

 本の「読み聞かせ」は子どもの教育に良い、と以前からよく聞きます。
おそらく私もそのおかげで本を読む習慣が身についたと思います。
 「習慣」という言葉は「慣れる」という字が使われているとおり、本に慣れ親しむことを覚えた(習った)のかとも思います。

 でも「読み聞かせ」で字を覚えたり、脳が発達するということは実際にはないようです。どうすれば脳が発達するかはよくわかっていないようですが、「識字率」については「外で遊んでいる時間が長い子ほど、文字をよく知っている。」ということがわかっていて「つまり、子どもは、本を読むから、読み聞かせをするから、文字を覚えるのではない。活動性の高い子どもが文字を覚えていく、読んだ本の理解もすぐれている、ということ」のようです。

 「識字」(率)はリテラシーと言ってもいいでしょう。
 そして「識字率」で重要なことは、「同じであること」を認識することともう一つ、「違い」を知ること、と養老孟司は言います。

 ここでも身体の動き=運動(体育)がかかわってきますが、「体育」とあわせて、今はあまりなじみがないかもしれませんが「知育」、「徳育」の三つで人は成長すると言われます。

 昔から言われているように、人は、「知育」「徳育」「体育」という三つで成長していきます。「知育」は何かというと、感覚です。五感です。
何かを感じる、つまり入力です。
 「徳育」というのは、頭の中で起きることです。五感によって入力された情報をもとに、行動を決めます。その状況で自分がどういう行動をするか、あるいは行動をどうセーブするか。それを頭の中で決めるわけです。コンピューター用語で言えば「演算」です。
 最後の「体育」というのは、この「演算」に基づく身体の動きです。
出力と言い換えてもいいでしょう。 この「知育」「徳育」「体育」というのは、脳のはたらきそのものと言ってもいい。
 われわれの脳は、外から「入力」を受けて、内部で「演算」をして、それで結果を身体の動きとして外へ出す。つまり「出力」する。
 ここでよく誤解されるのは最後の「体育=出力」です。
身体を動かすというと、何か運動をすることだけのように聞こえますが、そうではありません。身体の動きはすべてのコミュニケーションを作っています。言語も表情も。

バカにならない読書術 養老孟司

 ここには脳を単体でとらえるのではなく、身体全体をとおして、統合的(ホリスティック)に見る視点があります。「体育」はコミュニケーションとありますが、これは他の人とだけではなく、自身にも「出力」を返しているのです。

 身体の動きによって「違い」を知り、脳にはそのときの「演算処理」が積み重ねられていきます。

 幼い子どもがはだしで「外遊び」をする。地面の固さは、場所で異なります。同じ地面でも、砂場もあれば、田んぼもある。田んぼでも、あぜ道と水田では地面の固さも感触も違う。子どもは、感覚から入って来るそういう「違い」を脳に入力し、それに従って動きを調整していく。
 「識字」とは、先ほど説明した通り、一つは「同じ」であることを認識することです。 
 もう一つは、「違い」を知ることです。「あ」という字と「い」という字は違う。似ているようだけれど、「い」という字と「り」という字は違う
 そのためには、「ものには違いがある」ということが認識できないと理解できません。

 そして、この「ものには違いがある」ということは、外に出て遊ぶ、つまり身体を動かすことでやはりよくわかるようになるわけです。
 その上で、その違いに応じた運動の制御つまり「演算」をし、それに合った身体の動きをする。
 固さの違う地面を踏むと、身体の動きをその都度変えなきゃいけない。
そうすると頭の中にはある種の運動制御のモデルが自然にできてくる。
そういう複雑な動きを続けると、恒久のものになってくる。
 それが別のことに使えるということです。地面を識別できるようになるし、識字率もあがる。

上掲書

 「同じ」であることを認識してグルーピングできるようになり、さらに「違い」があることを知って、分類=カテゴライズできるようになります。

 「知育」(入力)ー「徳育」(演算)―「体育」(出力)のぐるぐる回し(循環、繰り返し)が脳の発達に必要、という、統合的な視点は大切なことと思います。

さて、本の「読み聞かせ」ですが、私も自身の経験から役立つと思っていましたが、その効果は少し別のところにあるのかもしれません。

 じゃあ本の「読み聞かせ」には何の効果もないか、というと、そうではありません。
 別の効果があると思います。自分のことを、こんなにも愛情豊かに、関心を持って接してくれている大人がいる。それを子どもは敏感に感じている。

上掲書

本を読んでくれた父、母、おじいちゃん、おばあちゃんに感謝。

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