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「音のない世界」を知ったこと

デフサポートNPO法人主宰の、地域の手話講習会に参加しました。

デフは、英語の「deaf」(耳が聞こえないという意味)に由来します。

大昔から、手話に興味があったのです。
職場の新人研修で、手話が特技という子に実演してもらった時の滑らかな手の動き。
今でも忘れてはいません。

少し前のことですが、「デフ・ヴォイス」という草彅剛さん主演の法廷手話通訳士のドラマを見て、あのような仕事ができたらいいのに…と憧れたり。

昨年末に、デフリンピックのボランティア募集を見かけました。
手話講習を受けられるチャンスがあり、応募しようか悩みましたが、結局日程の都合で見送ることに。

そんな中、地元のボランティアセンターの無料手話講習会を知りました。
ずっと気になっているのなら、一度は経験すべき。
これは迷わず申し込みました。

講習会を数日後に控えた日。
たまたま目にしたテレビで、『耳が聞こえない観客のために、壇上の端で手話通訳しながら上演する舞台』を知りました。

演劇も、ずっとずっと気になっているもののひとつです。
お芝居の手話通訳をする……それは、なってみたい自分かもしれない。



講習会は2時間。
前半1時間は、講師の方の経歴や経験談をお聞きしました。
物心がついた頃から音のない世界を生きてきて、不便に感じることはあるものの、不幸だと思ったことはないそうです。
様々な工夫をすることで、他の人とほぼ同じように暮らせるからです。

「聞こえないことで、何が困ると思いますか?」と、参加者に対して質問が提示されました。

もちろん、テレビの音がわからない、電車の車内放送、災害時のアナウンスなど、必要な情報を受け取れない場面は思いつきます。

しかし、彼女が明かした回答で最も驚嘆したのは、「聞こえないことが、一目ではわかってもらえない」でした。

グラスをかけたり杖をついたりしているわけではあません。
何気なく町中を歩く姿だけでは、音のない世界にいるとわかってもらえないのです。
それゆえ、誤解を受けてしまったり、ちょっとしたトラブルが起こってしまう。
特定の情報が届かないから困る、という状況以前のことです。


それを知っただけでも、大きな学びです。
すぐ身近で何かにお困りの方がいたら、それは聞こえないことが理由なのかもしれない
これからは、それに気づけるかもしれません。




後半1時間は、手話を習いました。


・おはようございます
・こんにちは
・こんばんは
・はじめまして
・よろしくお願いします
・ありがとう
・ごめんなさい
・わたしの名前は~~です
・わたしは~~に住んでいます
・わたしは~~が好きです(嫌い、苦手です)

ひとつ覚えるたびに、その前が上書きされる……
配布されたリーフレットにも手話が載っているので、それをめくって必死に記憶を呼び戻す。

───どうにかひととおり覚えると、知らなかった動きの意味を知れて、自分にできることがちょっとだけ増えて、嬉しくなりました。


手話の奥深さも、すごく面白かった。

手の形や動きは、不規則に定まっているわけではなく、ひとつひとつの動きに意味があり実は覚えやすい。

誰でも日常で使っているような動作もある。
例えば、「暑い」は、うちわをあおぐように握りこぶしを軽く降ったり。

指で平仮名の一文字一文字を表す「指文字」も使う。

名前を表す時、例えば「石川」だったら、右手を丸めて石を表してから、人差し指、中指、薬指の三本を出しながらさぁーっと川のように動かす。
名詞にするのが難しい名前は、指文字で一文字ずつ表す。


方言のように地域性がある。
例えば「水」は、東京と京都と北海道では動作が全然違う。

世界各国でも異なる。意思疏通がとれるように国際手話がある。

今日の参加者は右利きのみでしたが、左利きの場合は右利きと逆の形の手話になるとか。




帰り道をひとりで歩きながら、そしてその後入ったお店でも。
忘れないように、たまに手を動かしてみる。

はじめまして、
おはよう、
こんにちは、
こんばんは、
わたしの名前は……、
よろしくお願いします、
ごめんなさい、
ありがとう、
わたしは…に住んでいます、
わたしは、演劇が好きです……



そして、
ふんわりパンケーキを
いただきました
…なんだか曲がった写真ですが
パンケーキが斜めに
そびえ立ってました…


***



ところで、講師の方のお話で、泣きたくなった部分がある。

耳が聞こえない方のお子さんは、泣いてもその声が親御さんに届かない。

だから、他の方法で先に親御さんに怪我をしたり転んだりしたことを伝えて、それから泣くのだそう。
それを見て、親御さんは出来事を知り、泣く子に寄り添う。

泣いても伝わらないから、泣かない。
もしかしたら、そんなお子さんもいるのかもしれないけれど、少なくとも講師の方とお子さんは、きちんと親子として心の交流をされていた。


お子さんは、泣くことができた。
そして、お子さんの涙を講師の方は受け止めておられた。


自分の母も、見た目ではまったくわからない身体障害者だった。
心臓が悪く、走ったりはできない。
それを除けば、身体の動作で何も困ることはなかった。

いかに自分が不遇で、大変な思いばかりしているか。
あの人は、わたしが幼い頃からねちねちとそればかり日々唱えていた。

『そんな大変なお母さんに、自分は頼ってはいけない』

物心がついてから、母の前でまともに泣いた記憶はない。
赤子の頃すら、泣かなかったらしい。
狭いアパートでわたしが泣いて近所から苦情が来るのを嫌った母が、泣かせないようにすべて先回りをして育てていたからだ。


講師の方は、終始、とてもいい表情をされていた。

手話は、手の動きだけでは足りない。

楽しい話、残念なことを伝える時、いつでもしっかりと顔つきで感情を伝える必要がある。

だから、表情が豊かなのだ。

そのうえ、わたしには計り知れない工夫と素敵な方々の支えで今まで乗り越えてこられたのだろうと思える、幸せそうな笑顔を何度も見せてくださった。
失敗したことも笑いながら話している、そんな雰囲気だった。

ようやく最近……この歳になって、素敵な人に新しく出逢えて、素直に素敵だなと思えるようになった。
そんな自分に戻れて、本当に本当に良かったと感じている。



京都の空にも
出逢えるようになって、
本当に本当に良かった





ここまで御覧くださった皆様、
貴重なお時間ありがとうございました!



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紫葉梢《Shiba-Kozue》
より良い日々の路銀にさせていただきます。いつかあなたにお還しします😌