曳町 織
haccaノベル様主催第1回haccaコン大賞作品『ヒーローじゃない』のストーリーをまとめたマガジンです。毎日0時連載中!(illust:萩森じあ様)
──次のニュースです。先週発表された特級ヒーロー・青葉千晃氏の機関脱退について波紋が広がっており、国民の間でも不安の声が挙がっています。 ──これを受けて機関は記者会見のスケジュールを大幅に繰り上げ、早ければ今週末にも行なうとしています。 ここ数日間全く変わらないニュースの内容に、ソファでコーヒーを飲みながらアマネは思わずため息を吐き出した。半年以上全く動きがないと思えば唐突に出てきた特級ヒーローの機関脱退ニュース。驚きはしたが、予想していたことなので狼狽えることはな
吐く息は僅かに白く、頬を撫でる空気は冷たい。山間部は冬の訪れが比較的早いので、十一月ともなれば厚手のコートを羽織っていないと寒いくらいだ。 雪はまだ見ていない。昔は十月には初雪を観測した年もあったというが、温暖化が進んだ為かここ数年は師走になってようやくぱらぱらと降る程度なのだという。とはいえ、油断していたらあっという間に降り積もって一面銀世界になってしまうので、雪かきや除雪機といった道具や設備は欠かせない。 先に外へ出たチアキを追って、準備を済ませたアマネも家を出て
考えて、考えて、考えて。アマネの中で少しずつピースが合わさっていく。 どうするのが最善なのか、どうすれば──チアキを、助けてあげられるのか。 限りなく低い可能性の中で、それでも、アマネは諦めたくはなかったのだ。 髪を乾かし終えてリビングに戻ると、ソファに座って本を読んでいたチアキがこちらを向く。近寄ると、テーブルの上には開いたままの新聞や雑誌、本といった読み物と飲みかけのコーヒーが入ったマグカップが置かれている。朝に飲むコーヒーとは違うと一目で分かった。香りもそうだ
ある程度仕事の目処がついた所でいつものように宮前家へ顔を出す。時間的に力也は巡回中の筈なので、家にいるのは七都子と、幼稚園が休みであるひめのだけだろう。 予想通りリビングでパソコンを使っていた七都子がいつものように出迎えてくれる。 「いらっしゃい、二人とも。何か飲む?」 「うーん、じゃあお茶貰おうかな。力也さん戻ってくるまでまだかかるよね?」 「そうねえ、さっき出かけたばかりだから。お茶ね、用意するわ」 「あっ大丈夫、自分でやるから。チアキも同じで良い?」 立ち上が
さらり、と髪を梳かれている気がする。差し込まれた指先が頭皮からするすると流れて、毛先に近い所で引っかかるようにして止まる。アマネの髪は細い上に猫っ毛なので、整える前はいつもこんな調子で絡まっているのだ。今日も起きたら、念入りに櫛で手入れをしておかないといけないだろう。 髪を梳いていた誰かは、引っかかった場所で一旦手を止めて指先を抜いたようだった。無理に引っ張られると痛いだけなので、素直にほっとする。そう思っていたら、今度は髪を一房持ち上げられて、毛先をちょこちょこと弄る感
静かに、扉の前に立つ。自分の部屋の扉ではない。その隣にある、チアキの部屋だ。 時刻は既に二十三時を回っている。リビングの電気は全て消しているので、この部屋は月の柔らかな光だけが頼りだった。今日は満月に近いので、いつもよりはほんの少しだけ明るいかもしれない。 夜勤があればきちんと電気を点けるし、二人の内どちらかが待機しているが、今日は力也が夜勤なのでこの家は久しぶりに完全消灯していた。 チアキの部屋の前に立って、早数分。アマネは未だに動くことが出来ず立ち尽くしていた。今
ふと、目を覚ます。目覚ましのアラームはまだ鳴っていない。ただ、カーテンの隙間から朝日が零れ落ちているのが視界の端に映っているので、そろそろ起きなければいけない頃合いなのだろう。 静かな筈である部屋の外で、誰かの話し声が聞こえていた。扉を隔てているので会話の内容までは聞き取れないが、この家にはアマネとチアキの二人しかいないので、話しているのはチアキということになる。 この前のように力也が電話をかけてきたのだろうか、と考えつつ起き上がり、椅子に掛けていたカーディガンを羽織っ
三十分程弱火にかけていた鍋の中身を底から木ベラでぐるりとかき混ぜる。ふうわりとした湯気と共に林檎の甘酸っぱい匂いがアマネの鼻腔を擽った。水気もそれなりに飛んで煮詰まっているし、色も蜂蜜に似た丁度良い塩梅。これならもう大丈夫だろう。 鍋を火から下ろして粗熱を取る間は手持ち無沙汰になるので、その間に[向こう]の様子でも見に行こうとエプロンを取ってキッチンを後にした。 今日は自分の家ではなく、駒沢の家のキッチンを借りて料理をしていた。毎年収穫する駒沢の林檎をおすそ分けして貰
それから暫くして、起きてきた力也が大きな欠伸をしながらリビングへと入ってくる。完全に寝巻きのままだが、アマネとしてはもう見慣れているので特に気にしない。オンオフをきちんと切り替えていると言えば聞こえは良いが、要は仕事以外はずぼらなだけなのだ。 「なんだ、お前一人か?」 「チアキなら巡回中だけど」 「はっはあ、お前も上手く顎で使えるようになったじゃねえか」 人聞きの悪いことを言いつつ、力也は隣にあった一人掛けのソファにどっかりと座る。ついでにとばかりにリモコンのスイッチ
とんとんとん、と包丁で刻む規則正しい音が鳴る。 使い慣れた包丁にまな板だ、怪我をすることなどほとんどない。しかし、今のアマネはいつ指を怪我してもおかしくないくらいにぼんやりとしている。 それがいけないことであるのはきちんと自覚しているので、重苦しいため息を吐き出して手を止めた。まな板には小口切りにされたネギが積まれている。味噌汁の具としてであれば、これくらいで十分だろう。 残ったネギをラップに巻き直して冷蔵庫に戻してから、鍋に水を入れて火にかける。同時に魚焼きグリルも
アマネの車で宮前家の前まで来ると、音で分かったのか顔を真っ青にした七都子が転がるようにして玄関から出てくる。一旦車を降りて助手席に座るひめのが無事であることを告げると、七都子は涙声で礼を言った。普段は気丈で滅多に動じない彼女がここまで取り乱すのは珍しい。大したことはしていないし、気にしなくて良いと宥めてからひめのを車から降ろす。そしてまた車に乗り込んで家へと帰った。 自宅である平家に帰る頃にはすっかり夜の帳が下りていた。真っ暗な廊下の電気を手早く点けてから、後ろで靴を脱い
バスが立ち往生していた道路から宮前家まで、徒歩での最短は舗装された道路沿いではなく、途中の雑木林を突っ切ることで直線距離が結べる。幼稚園生ではあるがひめのは父親である力也の仕事に興味を持ってついていくことも多いので、この辺りの地理には明るい。アマネが現場に到着するまでにひめのの姿を見かけなかったことを考えても、間違いなく彼女は雑木林に入っていった可能性が高いのだ。 雑木林自体に魔獣がいる可能性は極めて低い。今までにそんな報告は挙がったことがないからだ。しかし、それはこの辺
「まあ、沢山作ってくれたのね! ありがとうアマネちゃん」 昨日作ったアップルパイと午前中に作った林檎ジャムを持って宮前家を尋ねると、家にいたのは七都子一人だけだった。力也はここから車で三十分ほどかかる町からヘルプ要請が入ったので不在、ひめのは幼稚園と習い事の体操教室だ。ちなみにいつもはアマネと一緒にいる筈のチアキも今この場にはいない。今日は彼が夕方の巡回当番に当たっているからだ。 手製のお菓子を喜ばれるのは純粋に嬉しい。作った甲斐があるし、次はもっと美味しく作れるように
暫くして焼きあがったアップルパイをオーブンから取り出す。配る分はそのままテーブルで粗熱を取ってから冷蔵庫に入れるか包装するので、その間は焼きたてのパイをチアキと一緒に食べることにした。 包丁で切り分けて皿に盛り付け、端に生クリームとアイスクリームを添える。熱々のパイにはクリーム系のトッピング、特にバニラアイスが良く合うのだ。甘味は至福の時間、カロリーを気にしてはいられない。 パイが焼きあがる時間に合わせて蒸らした紅茶もセットにすれば、立派なティータイムの完成だ。 アッ
「羽根?」 大きめに切った林檎を鍋に入れながら聞き返すと、今しがた巡回から戻ってきたチアキが一つ頷いた。 「正確な種類までは分からないけど……多分、魔獣の羽根だと思う。どう? 見覚えは?」 料理中で手が塞がっているアマネに代わり、チアキが目の前にそれを持ってくる。色は黒、艶やかな光沢を持つ大きな羽根だった。中央に白い線のような模様が入っているのが特徴的だ。 首を動かして色々な角度から羽根を観察してみる。残念ながら、見たことがない羽根だった。そもそも、この辺りに出る
木立の下を歩いていくと、やがて拓けた場所に出る。広い土地には大きな赤い実を沢山ぶら下げた林檎の木が立ち並んでいた。収穫時期を迎えた真っ赤な林檎は今にも枝を折ってしまいそうなほどに重く、そして瑞々しい。 近くに置いてあった籠を持って木々の中に入っていく。いくつかの木を見て回って良い実を見つけてはもいで籠に入れた。美味しい林檎を見分けるには、色は勿論香りも重要だ。香りを確かめるには出来るだけ果実の近くに寄る必要がある。アマネの背丈ではあまり高い所の林檎は取れないが、低い場所に