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ヒーローじゃない21


 さらり、と髪を梳かれている気がする。差し込まれた指先が頭皮からするすると流れて、毛先に近い所で引っかかるようにして止まる。アマネの髪は細い上に猫っ毛なので、整える前はいつもこんな調子で絡まっているのだ。今日も起きたら、念入りに櫛で手入れをしておかないといけないだろう。
 髪を梳いていた誰かは、引っかかった場所で一旦手を止めて指先を抜いたようだった。無理に引っ張られると痛いだけなので、素直にほっとする。そう思っていたら、今度は髪を一房持ち上げられて、毛先をちょこちょこと弄る感覚が頭皮に伝わってくる。決して痛くはない、ほんの少しだけむず痒い感覚。悪くはないが、このまま眠ることは出来そうになかった。
 微睡みの中で細く目を開けると、ぼやけた視界に映るのは眩しい程の金。太陽が顔を出している、もう朝か。と一瞬考えるがそれにしてはその金色は随分と近い所にある気がした。

「……ん」
「あ、ごめん。起こしちゃった」

 目の前の金色は朝を知らせるだけでなく喋りかけてくる。そこでようやく、アマネは自分以外の誰かが同じベッドにいることに気が付いたのだった。同時に昨夜の記憶が繋がって、いよいよ本格的に覚醒する。目が合ったチアキは絡まっているアマネの毛先を丁寧に指で解していたようだ。
 少しの間見つめあって──アマネは布団を頭から被り直す。

「うわ、恥ずかし……何これ、恥ずかし……」
「アマネさーん? そんな反応されるとこっちも照れるんだけど」
「待って、現実に頭が追いついてない。目に毒、反則、ちょっと私の視界から逸れてくれる……」
「そんなに?」

 呆れたような笑い声と共に布団の上から頭を撫でられる。どうやらここから動く気は一切ないらしい。それならアマネの方がさっさとこの部屋を出て行けば良い話だが、生憎と何も身につけていないので満足に動けないのだ。それはチアキも同じだろう。
 頑なに布団から頭を出さないでいると、彼は撫でるような仕草からぽんぽん、とまるで幼子をあやすような軽い手つきに変えてきた。

「初めて……じゃなかったよね? えっまさか、実は?」
「そんなわけないでしょ、経験は多くないけど……」

 ため息を交じらせつつ、布団を肩の辺りまで下げながらゆっくりと起き上がる。今度こそしっかりとピントが合った視界で見るチアキの金髪は、朝日に照らされてきらきらと光を反射していた。悔しいが、いつ見ても見目が良い。剥き出しの身体に無数と走る痛々しい傷跡さえなければ見惚れていただろう。
 ようやく目が合ったことが嬉しいのか、チアキは柔和に笑って手を伸ばしてくる。先ほどと同じように髪を触って、肩に触れて、そうして優しく引き寄せられた。抵抗せずに身体を寄せると、彼の大きな身体にすっかり包み込まれる。まだこの距離に全く慣れていないので、鼓動が少し早くなる。しかしそれ以上に安堵に似た何かを感じて、アマネはそのまま身体を預けた。

「嬉しいなあ、アマネさんにこんな風に触れるなんて。夢みたいだ」
「大袈裟な……そんなこと言ったら、国民的ヒーローに抱かれた私の方が[夢みたい]になると思うんだけど」
「いや、全然思ってないでしょ。その口ぶり」
「分かってるじゃない」

 くすくす笑うと、チアキな若干不満げな様子で「そう言うと思ったよ」と呟きつつ身体を離す。また近い距離で目線が合うと、銀色の目が甘やかに微笑んだ。

「おはよう、アマネさん」
「うん。おはよう、チアキ」

 どちらともなく唇を重ねる。優しい温もりに、せっかく起き始めていた頭がまた眠たくなりそうだった。

 夜勤だった力也は今頃ようやく夢の中だろう。例によってシフトを交代したアマネは、朝食の後は内勤でもしようかと思い玄関近くにある仕事部屋へと足を運ぶ。
 仕事部屋はそこまで広くない。六畳弱の部屋にデスクと椅子があり、壁際は殆ど棚で埋め尽くされている。それは本や書類のファイルだったり、薬草や薬品を詰め込んだ瓶だったりと多種多様だ。デスクに一番近い棚には、当然普段使いのパラフィンオイルに使う原料が並んでいる。しかし今日は少々目的が異なるので、少し遠い位置にある棚からいくつかの薬草と本を取り出してデスクに並べてから座った。
 付箋を付けた箇所を開き、同時にパソコンも立ち上げる。実際の精製にはもう少し時間がかかりそうだが、取っかかりは既に手元の本で掴んでいる。あとはこの町でも実用しやすいよう改良するだけだ。

「アマネさん、家事は全部終わったよ」

 暫く本とパソコンを交互に睨んでいると、こんこん、とノック音が聞こえてきた後に扉を開けたチアキが声をかけてくる。今やほぼ全ての家事をこなせるようになったチアキは、言い方は悪いがとても便利だ。天下の特級ヒーローにこんなことをさせていると知られたらいつかファンの誰かに刺されそうである。

「ありがと、助かる」
「オイル作り? いつものやつなら、まだ備蓄があったと思うけど」
「獣型用じゃなくて、鳥型用のを考えてるの。あんなことがあった以上、対策はしておかないと」

 先日の一件が特殊であっただけで、この町近辺に鳥型魔獣は生息していない。しかし前例が出来てしまった以上、備えておくに越したことはないだろう。
 獣型と鳥型では苦手とするものが全く違うので、オイル自体の配合も根本的に見直す必要がある。一番良いのは両方の魔獣に効くオイルが精製出来ることだが、そんなに都合良くはいかない。とりあえず、まず鳥型避けのオイルを作ってみてから考えるべきだろう。

「そうだね……必要では、あるか。俺も手伝うよ、付近で鳥型が近付きそうなポイントくらいなら絞れるかも」
「さすが。じゃあお願いしようかな」

 開いていたパソコンの画面を町の地図に切り替える。予備の椅子を持ってきたチアキに隣に座るよう促しつつパソコンを向けると、彼は淀みない手つきで地図にマークを付けていく。
 どんどん赤く塗り潰すことで危険ゾーンを全て洗い出し、そこから設備に合わせて効率的な防衛ラインを絞っていく。シンプルではあるが確実な方法だ。

「うーん、やっぱりいつ見ても早い計算。チアキって頭も良いのね」
「ただの慣れだよ。場数踏んだら多分アマネさんにはすぐ抜かれそう」
「力也さんは?」
「それはノーコメント」

 濁しつつ笑うチアキに思わず「確かに……」と同じような反応を返してしまう。確かに力也にこの手の仕事は無理がある。彼はどう考えても頭より身体を動かすタイプだからだ。それでもヒーローとしては有能なので、人間の得手不得手は様々だ。

「それに、防衛ラインが分かっても俺は手立てがないから。魔獣を殺すならむしろ居住区域からは離れないと」
「……魔獣避けなしで?」
「避けられたら殺せないからね。特に俺は近接専門だから、逆に誘き寄せることもするよ」

 仮に誘き寄せたとして、果たしてその数までコントロールすることが出来るのか。現在の最先端技術を把握しきれているわけではないが、それでも難しいことだと思う。沢山の魔獣を自分に誘き寄せて、その全てを無傷で捌くこともまた、現実的ではない。聞けば聞くほどまるで消耗品のように彼が扱われている現実に、嫌な目眩がした。
 そんなアマネの心情を見抜いているのか、チアキは苦笑してアマネの肩を引き寄せた。ちゅ、と側頭部の辺りでリップノイズがする。髪越しでもキスをされれば分かるものだ。

「アマネさんが気にする必要、ないよ。本当に」
「それが無理だから困ってるの、察して。鈍感ね」

 優しく肩を抱かれる。それに甘えて身体を寄せる。
 シャンプーも、柔軟剤も、同じ物を使っている筈。それなのに彼の匂いはアマネのそれと全く違う、安心する匂いだ。それが、今は少しだけ泣きたい気持ちにさせた。


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