ヒーローじゃない11
「羽根?」
大きめに切った林檎を鍋に入れながら聞き返すと、今しがた巡回から戻ってきたチアキが一つ頷いた。
「正確な種類までは分からないけど……多分、魔獣の羽根だと思う。どう? 見覚えは?」
料理中で手が塞がっているアマネに代わり、チアキが目の前にそれを持ってくる。色は黒、艶やかな光沢を持つ大きな羽根だった。中央に白い線のような模様が入っているのが特徴的だ。
首を動かして色々な角度から羽根を観察してみる。残念ながら、見たことがない羽根だった。そもそも、この辺りに出る魔獣は猪型や馬型といった地を駆けるモノが多く、鳥型は滅多に遭遇しない。
「見たことない……かな。チアキは? そう言うってことは、どこかでこの羽根を見たことあるのよね?」
「似たやつを前に仕事で見たことあるんだ。鳥型は大抵群れで行動するから、見ればすぐに分かるんだけど……俺の勘違い、かな」
「どうかな。この羽根が普通の鳥のだとしても、やっぱり私は見たことない。新手の魔獣って可能性もあるし、警戒するに越したことはない気がする」
後で力也とも情報交換をしておいた方が良いだろう。アマネよりも経験豊富な彼ならば何か知っているかもしれない。どうせ今日中に宮前家に行く用事もあるので丁度良かった。
鍋に敷き詰められた林檎にグラニュー糖とレモン汁をかけながら、チアキに礼を言う。彼がこの町に来て三週間。顔だけの広告塔かと思っていた彼は、しかし実際はアマネの想像以上に良く働くし気も利く男だった。
力也と二人で回していた巡回や夜勤は人数が増えたことで随分楽になったし、今のように些細な変化や発見があれば見逃さずに教えてくれる。チアキはこの町周辺の事情こそ詳しくないものの、だからこそアマネや力也が見落としている所に良く気付くのだ。魔獣の出現ポイント、外灯の位置とオイルによる魔獣避けの効果範囲。そこから効果が薄くなりがちな穴を指摘された時は、アマネだけではなく力也もその優秀さに唸った程だ。取り急ぎ簡易トーチを置くことで今は補填しているが、自治体から許可が下りれば追加の外灯を発注することになっている。
そして今回も、一体どこで見つけてきたのか魔獣の可能性がある羽根を見つけてきてくれた。各方面についてあまりに的確なので、何かコツでもあるのかと前に聞いたことがある。彼曰く[世界中飛び回ってるから、こういう勘は嫌でも養われるよ]ということらしい。今回も敢えてほとんど目撃されていない鳥型が最も出そうなポイントを計算して足を運んだのだろう。
「……それで? また貴方はここから動かないつもり?」
ここ、というのはキッチンを指している。報告は終わった筈なのだが一向にリビングに戻らないチアキに呆れた目を向けると、彼はへらりと笑った。こういう時にする態度や表情もこの三週間で大体読めてきている。微妙な心境になる、あまりいらない特技だ。
「他に仕事があるなら、そっちを優先させるけど」
「……今は特にない」
「じゃあ、このまま見てたいな。ダメ?」
「ダメって言ったってどかないじゃない、どうせ」
棘のある返事をしてからコンロに火を付ける。フィリングは最初は弱火でじっくり煮て、最後に強火で一気に水分を飛ばすのが美味しく作るコツだ。林檎の皮はフィリングをルビー色に染めたい時に一緒に煮ると綺麗な色が出る。今日はなんとなく黄色のままで作りたいので入れなかった。
料理をする時やオイルを調合する時、チアキは決まって傍で作業を見にくるようになった。アマネとしてはいつも通りの作業をいつも通りしているだけなので一体何がそんなに楽しいのかさっぱり分からないが、彼にしてみれば目の前で色々なものが出来上がっていく工程を見るのが新鮮で仕方ないらしい。
今日は駒沢から貰った林檎を使ってアップルパイを作っていた。料理の面ではまだまだ七都子に敵わないが、この町に来た時から惚れ込んでいる駒沢の林檎を使った料理は別だ。お菓子にジャム、ドレッシング、料理の隠し味と多岐に渡って培われてきた林檎料理のレパートリーだけは自信がある。その努力が評判を呼び、この時期になるとヒーロー業とは別に林檎を使った料理を頼まれることも多くなる。今日のアップルパイは宮前家と町の住人数世帯、それに駒沢にも頼まれていたものだ。ついでに自分用を焼いておくのも忘れない。
林檎がある程度煮詰まってきた所で強火にして水分を飛ばす。火を止める直前でシナモンを振りかければ、アップルパイの肝となるフィリングの完成だ。粗熱が取れやすいようバットに平たく盛って、後は暫く放置しておく。
「いつも思うけど、すごい量作るよね」
大きなバットの端まで敷き詰められた鮮やかな黄色のフィリングに、チアキが感心したような声を出す。確かに、一個二個作るくらいではこんな量はまず必要ない。チアキが巡回に出ている間はひたすら林檎を切るだけで終わってしまったくらいなのだ。
「この時期だけね。普段はひめのちゃん達と食べる分くらいしか作らないのよ」
「人気者だね」
「林檎の出来が良いお陰。チアキ、見てたいなら手伝って。冷蔵庫からパイ生地、あと卵も溶いて。一個で良いから」
ぴしりと冷蔵庫の方を指差すと、彼は「かしこまりました」などとわざとらしい台詞を口にしながら冷蔵庫へと向かっていく。
ある程度予想していたことだが、チアキは家事全般がほぼ出来ない。否、出来なかったと言った方が正しいだろう。特級ヒーローの待遇で政府が借り上げている高層マンションに住んでいる彼は、家事の全てをハウスキーパーに任せっぱなしだったのだという。多忙であまり家にいないこともあり、ここに来た当初は洗濯機の使い方すら知らなかったので驚いた。元々覚えは悪くないし器用でもあるので、一週間もしない内に自分でやって欲しいことは全部覚えさせることは出来たので安心した。衣服はともかく、彼氏でもない男の下着を洗うのは流石にアマネも抵抗がある。
とはいえ、料理に関しては一朝一夕で覚えさせるのも限度があるので今のところは手伝いに留まっている。そのうち教えた方が良いのかもしれないが、アマネも料理は好きでやっているので中々手放せないのだ。
チアキが持ってきてくれたパイ生地の塊半分を麺棒で伸ばし、型に敷き込んで余った部分をカットする。もう半分も同じように伸ばした後、メッシュローラーを使って細かな切り込みを入れていく。生地を軽く左右に引っ張れば、綺麗な網目模様が顔を出す。便利な道具だ。
余った生地は縁の飾り用に三つ編みを作って、一旦冷凍庫で休ませる。パイ生地は温度が上がるとどんどん伸び切って折角作った形が崩れてしまうのだ。代わりに型に敷き込んだ生地にあらかじめ作って冷蔵庫に入れておいたカスタードクリームを流し込む。平らになるようにならして、その上に熱が取れたフィリングを敷き詰め、最後に網目と三つ編みにしたパイ生地を冷凍庫から取り出して上から被せ、溶き卵を塗れば完璧だ。
あらかじめ余熱しておいたオーブンに準備を終えたアップルパイ達を放り込んで焼く間、使った調理器具を片付けて紅茶の準備も進めておく。
やがてオーブンから漂ってくる香ばしい香りに、洗い物を手伝っていたチアキが目に見えて嬉しそうな顔をした。
「この時点で美味しいって分かるのが凄いね」
「そういえば、チアキに食べて貰うのは初めてだったね。評判は悪くないけど、期待はしないでよ」
「それはちょっと無理かなあ」
その内に鼻歌でも歌いそうな様子に、アマネは少し呆れた笑みを零す。美味しいものが絡むと少しだけ子供っぽくなる。それも、この三週間で知ったことだ。
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