ヒーローじゃない14
バスが立ち往生していた道路から宮前家まで、徒歩での最短は舗装された道路沿いではなく、途中の雑木林を突っ切ることで直線距離が結べる。幼稚園生ではあるがひめのは父親である力也の仕事に興味を持ってついていくことも多いので、この辺りの地理には明るい。アマネが現場に到着するまでにひめのの姿を見かけなかったことを考えても、間違いなく彼女は雑木林に入っていった可能性が高いのだ。
雑木林自体に魔獣がいる可能性は極めて低い。今までにそんな報告は挙がったことがないからだ。しかし、それはこの辺りで良く見る獣型の話であって、バスを襲った鳥型魔獣はまだ付近を徘徊している筈だ。ひめのが襲われる前に彼女を保護する必要がある。
既にアマネの手には火が灯されたトーチが握られていた。金属で出来たそれは細長い逆三角形の形をしており、中には油を染み込ませた布が詰められている。火はそこから出ていた。オイルは外灯と同じ成分で出来ているので、これも魔獣避けに効果を発揮する。今は丁度日が沈む所なので、視界を確保する意味でもトーチの存在は役に立っていた。
「ひめのちゃん! いたら返事して!」
大声で呼ぶが返事はない。小さなひめのの足で行ける距離を考えてもバスからそう離れてはいないはずだ。アマネの足であれば徒歩二十分もかからず宮前家に着くが、ひめのでは倍以上の時間がかかるだろう。そろそろ追いついていないとおかしい。
もしかしてひめのが途中で道を間違えたのでは、という考えが頭を過ぎった時、少し先の方で小さな悲鳴が聞こえる。職業柄耳は良い。あれは間違いなく人間の声だ。
走るスピードを速めて声がした方を目指す。走って走って、やがて拓けた場所に出た。木々に囲まれた小さな広場で、真っ黒い大きな鳥が、今まさにその鋭い嘴でひめのを貫こうとしていた。
咄嗟にウエストポーチから爆竹を取り出して地面に叩きつける。突然背後で大きな音がつんざき、驚いた魔獣が攻撃を止めて飛び上がる。その隙を狙ってトーチを一旦放り投げた後ひめのに駆け寄り抱き上げて、魔獣から距離を取る。
「あ、アマネちゃん! アマネちゃああん! うええんっ……!」
「はあ、はあ、うん……良かった。もう大丈夫だからね、大丈夫」
しがみつくひめのの頭を撫でてからゆっくりと地面に下ろす。足元に転がっていたトーチを取り上げつつ魔獣の方に視線を向けた。
黒い体躯の鳥型魔獣。チアキが見つけた羽根と特徴が一致する。厄介なことに二羽もいるが、この手のタイプであればもっと多い数で行動しているはずだ。おそらく先の大量発生の際に群れからはぐれて彷徨っていたのだろう。
トーチを突き出すと、魔獣達は目に見えて後退する。獣型の嗅覚に特化して作ったオイルだが、どうやら鳥型にも一応効果はあるようだ。ただし、奴らにも知能はある。こちらに攻撃手段がないと分かれば関係なく襲ってくるだろう。
ここからが踏ん張りどころだ。アマネはもう一度トーチを強く握り直した。
「アマネちゃん……」
「大丈夫。心配しないで」
二羽の位置を常に把握する。ひめのと自分を守りきるには、双方の位置関係を常に頭に入れておかなければならない。読みを誤ればその隙を突いてすぐさま魔獣達の攻撃を受けてしまうからだ。
アマネが怪我をするならまだ良い方だ。しかし、ひめのには傷一つ付けられない。ヒーローが傍にいながら民間人に怪我を負わせるなど言語道断だし、そもそも彼女はまだ五歳。あの嘴に貫かれたら小さな身体は耐えられないだろう。そんな彼女は、アマネの傍を全く離れず足元で身を固くしていた。
動かないでいてくれるのはありがたい。後はチアキが来るまで持ち堪えれば良いだけ。電話を受けてから既に二十分は経過している。流石に彼もこの事態に気付いて向かっている筈だ。
ポーチからオイルが入った小瓶を取り出して、扇状にまく。そこにトーチの火を引火させれば炎はオイル上を走る。雑木林でなければもう少し強い火にしたかったが、火事になってはまずいので控えめだ。それでも香りは十分出るので問題はない。
しぶといことに、ここまでやっても魔獣は諦めずに警戒したままここを離れようとしなかった。久々の獲物をみすみす逃すことはしたくないらしい。
時折炎を越えて嘴を突き出してきそうになる奴らにトーチを直接振り払いつつ、アマネは小さく舌打ちをする。鳥型の対処自体は以前やったことはあるが、獣型ほど慣れてはいない。オイルも無限に持っているわけではないので、長引けばジリ貧だ。
なんとかして次の手を、と考えた所で扇状の炎の端が弱まっていくことに気が付いた。焦ってオイルをまいたので端まで十分な量が行き渡らなかったのだろう。
追加の瓶を取り出そうとしたが、魔獣はその隙を見逃してはくれなかった。弱まった炎を越えて接近してくる一羽を見て、咄嗟に前に出る。一撃貰うくらいは、もう仕方がない。
せめて急所は外れるよう腕で庇う。
そうして、魔獣の嘴がアマネの皮膚を破ろうとした──その時。横から入り込んできた誰かに庇われた。
がきん、と不快な音が鳴る。硬い物同士がぶつかり、擦れ合ったような音。そのすぐ後に、視界の端で赤が流れた。それに構わず、銀の剣戟が魔獣を切り裂く。瞬きほどの僅かな時間で、黒い鳥は真っ二つに割れて地面に落ちた。
「チアキ!」
「ってて、逸らせたと思ったんだけどな。訓練サボるとすぐ鈍る」
腕を払って忌々しそうに呟くチアキは、アマネの方を振り返ると安堵したように笑った。いつもの様子につられて思わずアマネも気が緩みそうになるが、すぐに眉を釣り上げる。
「遅い! 何してたの、それでも一種っ?」
「ご、ごめん……これでも凄く急いだんだけど」
「全くもう、良いから早くなんとかして。サポートはしてあげるから」
「勿論」
剣を握り直して、チアキが跳躍する。炎を越えて残った一羽に攻撃を仕掛けるが、すんでの所で避けられてしまう。やはり飛ぶ標的に対して剣では射程的に不利のようだ。
それなら、とアマネはポーチから先ほどまで使っていたものとは別の小瓶を取り出す。こちらはアルコール度数を大幅に引き上げた、引火性の高い薬品だ。度数の高い酒と良く似た成分なので、少量であれば人体に入れても害はない。
「どいて、チアキ。届かないなら落としてあげる」
声をかけてから瓶の中身を一気に口内に流し込む。飲み込まないよう注意しつつ、一旦攻撃を止めたチアキの前に躍り出た。
トーチを胸の前で持ち、鼻で大きく息を吸い込み口内のアルコールを一気に飛ばす。魔獣目掛け直線に飛んだアルコール飛沫にトーチの火が次々に引火する。そうして出来上がった炎の息に巻き込まれ、魔獣は悲鳴染みた叫びを上げて地面に落ちていった。威力はさほど強くないので倒せはしない。しかし怯ませるには十分だし、なにより薄い作りの翼を燃やすくらいの効果は期待出来るのだ。
アマネが作った隙を逃さず、チアキが落ちた魔獣に剣を突き立てる。そうして後に残るのは事切れた魔獣、そして炎の残滓のみとなった。
魔獣を倒してすぐ、町の若者達が応援に駆けつけてくれた。ライトに照らされた場所には二羽の魔獣が赤黒い血を流して倒れており、後始末をするには少し骨が折れそうだったので助かった。
同じタイミングでやってきた力也にひめのは無事に助けられた旨を伝えると、彼はすぐさま彼女を抱き上げる。
「ひめの! お前ぇ、心配かけさせやがって……! 俺がどれだけ心配したか!」
「ご、ごめんなさい……パパ……」
「もう良い。無事で良かった!」
潰しそうな勢いで娘を抱きしめる力也に緩く笑いながら、チアキの腕に巻いていた布を容赦なく締め上げる。当たり前だが、突然の締め上げに彼は顔を歪めて呻いた。
「いった! 痛いアマネさん、止血するならもっと優しくやって!」
「優しい止血方法なんてありません。それとも出血多量で死にたいの?」
にべもなく言い放つと、チアキは情けない声を上げて項垂れる。そのまま処置を進めていると、ひめのを抱き上げたまま力也がこちらに寄ってくる。
「おうおう、派手にやられたな。病院行くか?」
「骨とか神経まではいってなさそうだけど……どうする? チアキ」
「いらないよ、大した怪我じゃない」
首を振るチアキに頷いて、力也はバスが停まっていた方向に親指を向けた。
「なら、お前らはもう帰れ。後はこっちでやっとく」
「良いの? 手当てが終わったら手伝うよ」
「若いモンに手間かけさせちまった詫びだよ、ありがたく受け取っとけ。ああ、ついでにひめのも家に送ってくれ」
力也がとん、とひめのの背中を叩くと彼女はくるりとこちらを振り返る。アマネとチアキを交互に見て、ひめのはアマネに手を伸ばした。チアキが怪我人であることを考慮した結果だろう。
少なからずショックを受けているひめのを歩かせるのも忍びない。アマネはそのまま力也から彼女を受け取って、三人はその場を後にした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?