ヒーローじゃない12
暫くして焼きあがったアップルパイをオーブンから取り出す。配る分はそのままテーブルで粗熱を取ってから冷蔵庫に入れるか包装するので、その間は焼きたてのパイをチアキと一緒に食べることにした。
包丁で切り分けて皿に盛り付け、端に生クリームとアイスクリームを添える。熱々のパイにはクリーム系のトッピング、特にバニラアイスが良く合うのだ。甘味は至福の時間、カロリーを気にしてはいられない。
パイが焼きあがる時間に合わせて蒸らした紅茶もセットにすれば、立派なティータイムの完成だ。
アップルパイが出来上がるのを随分と楽しみにしていたチアキは席に着くと早速フォークを手に取ってパイに差し込む。ざく、と向かいに座っているアマネにも聞こえるくらい小気味良い音を立ててパイの層が割れる。中から出てくる林檎のフィリングとカスタードクリームを器用にフォークでまとめて、そのまま口に入れた。どうやら一口目はトッピングなしで食べる派のようだ。
「んん、美味しい……!」
誰が見ても美味しそうなその様子がなんだかおかしい。アマネは思わず吹き出すような笑みを零してしまう。やはり、反応は子供そのものだ。
「そう、良かった」
「今までケーキとかあんまり興味なかったんだけど、こんなに美味しいならもっと早くに知りたかったな」
「意外ね、美味しいお店なんて都心の方が沢山あるのに」
基本的に田舎暮らしをしている身ではあるが、たまには都心の方に出向くこともある。観光というよりは仕事の比重が大きい。ヒーロー業務で使用する大抵のものはインターネットで買えるが、現地調達しなければならない物資は少なからずある。パラフィンオイルに使う薬品、武器として扱っているトーチの精密なメンテナンス。どれもこの町の設備だけでは賄えない。
かといって仕事の用事が終わったらそのままとんぼ返りというのもつまらないので、大抵の場合は仕事と観光を一泊二日でこなすのが常だった。特に、料理に関しては作るのも食べるのも好きなので目ぼしい店は事前にチェックして行くくらいである。
都市の発展は人口密度に比例するので、美味しい、または珍しい店は都心の方が遥かに多い。特級ヒーローで忙しいとはいえチアキは都心に住んでいるので、そういった所にはいくらでも行けそうなイメージがあった。
「食事自体にあんまり興味がなかったんだよね。ヒーローとしての活動に支障を来さなければそれで良かったから」
「ある程度エネルギーと栄養バランスが取れてればってこと?」
「そうなるね」
あっけらかんと言うが、にわかには信じがたい。この三週間、彼はいつも美味しそうに食事をしていた気がする。宮前家で初めて夕食を振る舞った時も、アマネの家で食べる時も、こうしたおやつの時も。いつでも彼は嬉しそうな顔で食べてくれるから、作る側としては報われた気になるのだ。
特に七都子なんかは自分よりかなり年下の青年がそういう反応をしてくれることが物凄く嬉しいようで、事あるごとに呼ばれては食事を振る舞ってくれる。元々アマネは七都子の料理に骨抜きにされて自分でも作ってみたいと考えたクチなので、彼女の食事が食べられる回数が増えて万々歳だ。(力也のジェラシーが更に燃え上がっていることについては面倒なので見ない振りをしている。多少なりとも不憫だとは思うが)
「ふうん。食事に頓着しなくてもヒーローが出来るくらいには鍛えられるものなのね」
「それはまあ、専門家に全部見て貰ってるから。ある程度は」
「良いご身分だこと」
皮肉めいた返事をして、アマネもアップルパイを口に入れる。サクサクのパイに芳醇なバターの風味。そこに甘いフィリングとカスタードクリームが溶け合って、胃に収まる。なかなか悪くない出来だ。駒沢の林檎を無駄にすることなく、最後まで美味しく食べ切る。食い気の執念から生まれたものではあるが、ここまで美味しくなるのならそれも悪くないだろう。
「あはは……それに、都心は便利だけどここにはここにしかないものが沢山あるよ。それを知れただけでも、ここに来た意味はあったかな」
「……もう死にたいとは思わない?」
言ってから、踏み込み過ぎたと少しだけ後悔した。これではチアキのことを悪く言えない。
ティーカップを持ち上げようとしていたチアキの指先が止まる。ゆっくりアマネと目を合わせて──それから、目線をアップルパイに下げた。指先はもうティーカップから離れている。
「……どうかな。正直、自分でも良く分からないんだ」
「居心地が良くなってきたから、とりあえず死ぬのは見送ってる?」
「それはあるかも。そうなるとアマネさんは命の恩人だね」
「止めてよ、責任重大みたいなこと言うの。それに私、貴方のこと好きじゃないし」
眉を寄せてフォークを動かす。ヒーローとして命を守るのが仕事ではあるが、命を丸ごと預けられても困る。チアキのことは嫌いではないが、つまらない嫉妬心が今も邪魔をしているので彼の全てを受け入れたわけではないのだ。
「俺はアマネさんのこと結構好きだけど」
「……特級ヒーローって口も達者なの? 腹が立つ」
「言うと思った。真面目に答えると、人によるかな」
何故か楽しそうに笑うチアキを見ていると、なんだか負けた気分になる。ただ、出会った当初よりも彼の言動が勘に障ることはなくなった。それはアマネが成長したというよりは、彼の性格による所が大きい。
特級ヒーローなので多少世間ずれしている所はあるものの、チアキは驚く程に普通だった。エリートである筈なのにそれを鼻にかけることもなく、しかし立場を忘れすぎるということもなく。仕事は真面目にこなすし、人当たりも決して悪くない。
いつもメディアで目にしていたチアキとは確実に何かが違っていた。どちらも真面目な好青年で括ることが出来る雰囲気なのに、何かが決定的に違っている。その正体が、未だアマネには分からない。
テレビの向こうの彼と、今ここにいる彼。本当のチアキはどちらなのだろうか。
「人気商売も大変ね、その口ぶりだとインタビューも頻繁に受けてそう」
「凱旋した時は良くあるかな。この前は北米で大きな任務があったから結構色々聞かれて」
「ああ、北米の。どうだったの?」
外の情勢はネット経由である程度把握しているが、それでも集められる情報は限りがある。特に国外の討伐任務には興味があった。
生息している魔獣も、その対処も、国によって随分と違う。最新鋭の設備で鉄壁の防衛を固めている先進国、古来の手法を用いつつ独自に対処している発展途上国。待機任務の間はそういうことを調べるのもアマネにとっては大事な仕事の内なのだ。
チアキが赴いた任務は夏にニュースで見た。渡り鳥の特性を持つ鳥型魔獣が大量繁殖してしまい北米の民間人や作物を次々に襲ったというものだ。魔獣があまりに多いので各国から選抜部隊が組まれ、北米に派遣されたと聞いている。
「鳥型だから俺の武器とは相性悪いんだけど、なんとかね。向こうに優秀な狙撃手がいてくれて助かったよ」
「剣じゃ射程が短すぎるか……良く持ち堪えたのね、大丈夫だったの?」
「うん、まあ、それが仕事だから」
あまりにあっさりとした返答だ。共同生活を通して、チアキはどちらかというと感情豊かな人間というイメージがついているせいか、彼が時たま見せる仕事へのドライさには少し面食らってしまう。都心の人間は冷たいというし、それが一般的なのだろうか。
とりとめのない話をしながらティータイムが過ぎていく。アマネが料理をする時、食事をする時には、必ず傍に彼がいる。この景色も、もう日常に溶け込みつつあった。
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