「学校に行きたくない」と言われたら、つよく抱きしめたい【発達障害児 育児日記】
双子兄からスタートした手足口病。
熱ののちに湿疹が出てきて、かゆみや痛みを伴うものだ。
それはやがて、双子兄、三男、次女、長女へと……
~とどまることを知らない感染のながれ。
いくつもの、うつりゆく湿疹を、眺めていた……~(ミスチル)
手足のプツプツを見つめて
「いたいよう」
「かゆいー」
「どうしよう、治らなかったら」
ASD・ADHDの次女から発せられる弱気発言の連続。珍しい。
その様子から、今回の湿疹の手ごわさを思い知っている。
手のひら、ひじ、足の指。
時間が経つほどに増えていくプツプツを見つめながら、彼女はおびえていた。
それでも次女は「これは食べれたよ」「がんばったよ」「おいしかったよ」と、母に夕飯の進捗状況と報告を添えてくれる。
健気だわあ。と、じんとしてしまう。
双子兄の手足口病発症より以前から、次女は学校を少し休みがちになっている。
1年生の頃から、普通級のクラスに合流し授業に参加することは苦手だ。運動会もせまっている今のシーズン、学年ダンスの練習は毎日のようにある。合流授業の機会も増えていて、それが次女の足を鈍らせていた。
けれど。
次女の個別級クラスでは、1年生のときも今も
「どこまで参加するか」
「教室に行ってみるか、自分のクラスに残って待っているか」
など、自分の意思を尊重し、選ばせてくれる。
『今日は教室に残っていることを選びました』
『普通級の教室に入って、補助の先生と見学しました』
連絡ノートに書いてあるのはたいてい、そのあたり。
じゃあ学校に行きたくないのか?というと、次女は学校が大好き。
クラスのみんなが大好きだし、親友と呼べる子もできた。
「ねえ。ぼく、明日学校にいけるのかな?」
昨夜。
指の赤いプツプツをなぞりながら、右隣に寝転ぶ母に次女はささやいた。
熱はないけれど、パッと見て湿疹が目に見える状態。
「プツプツ、落ち着いてからにした方がいいかなあって、ママは思うけど、どうしようか。お休みしとく?」
私が提案すると、次女は粛々と受け入れた。
土曜登校日のお休み。
少し安心したような、少し残念そうな。
そんな表情を混じらせて、母の耳をふにふにしていた。
気遣い上手のASDさん
「学校が大好き」
「クラスが好き」
であることと
「毎日学校に行きたい」
ことは、けしてイコールにはならない、ならなくていい。
と、私は最近、感じている。
次女は学校が好きだけれど、苦手なこともある。
普通級に行って、普段はあまり関わらない子たちに気を遣われながらする話が好きではない。
大声が出てしまうクラスの子の発作が現れる瞬間もストレスがかかる。
だから、「学校に行きたい」とは言いながらも
「学校に行きたくない」日だって、もちろんあるし、それが当然だ。
なにより。
毎朝。「いってらっしゃい」と、パジャマ姿で自分を見送る、もはや完全不登校となった姉が。つねに、家に残っているのだ。
ASD・ADHDで愛の手帳B2級所持だろうが、彼女もわかっているのだ。
「自分だけがなぜか毎日学校に行っている」という状況くらい。
長女は、次女がサンタさんからもらった「あつもり」をどんどん進めていて、気づけば自分よりも島のレベルをアップさせていたりする。
オンラインの友達とスプラトゥーンで毎日遊んでいる。
そんな人間が家にいるとわかっていたら。
「私だって。学校に行きたくない」
その感情が湧いたとしても、自然の摂理にすぎない。
だからこそ、その言葉を受け止める臨戦態勢はいつでも整えているつもりだ。
さあ、5児の母、なめんなよ。
筋トレしてっからな。コイヤッ!!!
—――でも。次女はやっぱり、姉を責めない。
最近、お風呂には姉妹ふたりで先に入ってもらったりするのだが。
タオルを持って姉妹の拭き上げに向かうと、風呂場からこんな会話が聞こえてきた。
「Hちゃん(次女の親友)と、今度、プリンアラモードいっしょに食べに行こうねって、約束してきたよ。長女ちゃんもいっしょにねって、言っておいたからね。3人で行こうね」
「おーいいね。いこう、いこう」
と、長女が笑っている声がした。
大好きな人との時間は、大好きな人と共有したい。
次女の感性が、あたたかく、広がりを持ち、包み込むやさしさで成り立っていることに、ドアの向こうから感謝した。
(まあ、実現できるかどうかは、Hちゃんママと相談させてね…)
どうぞ「学校に行きたくない」と言ってくれ
対象年齢も環境も学んでいることも小学校とは異なるとはいえ、教員の端くれである私が、こんなこと言うのもおかしな話ではあるが。
「学校に行きたくない」
そう、次女もついにはっきりと言い出した折には。
「よく言ってくれたね」
と告げて、笑顔で抱きしめ返せる人間になりたい。
どうぞそのときは言ってくれ。
そう、常々思う。
――いや、うそだ。
常々、思ってない。思えていなかった。
そう思えるようになったのは、つい最近のこと。
「学校には行くもの」だと。曲がりなりにも「自称:優等生」であった私はそう思っていたし、夫もそう感じていたと思う。
「行ってくれないと困る」って、共働きの夫婦はそう思っていた。
でも。なにが困るっていうのだろう。
自分が仕事ができる環境にならないと困る?
子どもがずっと家にいられると困る?
ご近所さんに「どうして今日も学校に行ってないの」と言われたら困る?
お金を払っているから通ってもらわないと損を被るので困る?
ちげえだろ?って。
そう、気づいた。
困っているのは、子どもたちなんだよ、って。
その声を拾わずして、親でいれんのかって。
忘れそうになるとき、私は自分を叱り飛ばす。
そのときの言葉は「学校に行きたくない」じゃないかもしれない。
「行きたいけど行けない」かもしれない。
「行きたいと思っていたけど、朝になったら行けなくなった」かもしれない。
「どうして行けないか、自分でもわからない」かもしれない。
なにも。言えずに泣いているかもしれない。
それはいつしか
「もう、生きたくない」に、なってしまうかもしれない。
子どもの口から紡がれる言葉が、なんであれ。
「行きたくない」
その思いが子どもにあったとき。
私が抱きしめなきゃどうすんのって。
そう気づいた。
ASDの子は、往々にして、他人の様子に敏感だ。
一見、なにも考えていないようにも見えるし、実際、なにも考えていないことも多い。
ただ、親のことを非常によく見ているし、
「誰かの役に立ちたい」という意識がやけに強い。
これは、わが子を見ていてもそう感じるし、他のASDの子に触れあったり、児童発達支援士を学んでいても感じるところだ。
だからよく、次女は私が喜んでくれそうなことを言ってくる。
「学校、ぼく、大好き!」
「明日、学校なの?やった!」
「ぼくにできること、今、ある?お手伝いするからいつでも呼んで!」
この言葉は、次女の本心でもあり、私に喜んでほしいことをチョイスしていることも、母にはわかる。
長女の不登校に対し、私が
「まいったなあ…」
と心の奥では思っていたことに、彼女はきっと私よりも先に気づいていた。
だから、次女はがんばってくれるし、楽しんでくれている。
そこが次女の課題でもある。
保育園時代は、困っていても、なにも言えずに。
指をしゃぶって教室の隅っこで泣いている子だった。
困ってると言えないからこそ、個別級に進んだ。
だからこそ。
「今日は普通級には行きたくない」
と、先生に言えるようになってきた今の状況は、とてもうれしい。
先生が「自分の意見を言うこと」を的確に誘導し続けてくれているおかげ。
そして次は。
学校に行きたくないときは。
いつものように、しんみり、言いにくそうに、雰囲気を醸し出す…ではなくて。
「学校に、行きたくない」
そう、私にもまっすぐに言えるようになることが、次の次女のステップなんだろう。
次女ちゃん。
この私に気を遣うなんてさ。
覚えるのはまだ、早いのよ。
「家族に気を遣わないことの大切さ」の方が、あなたにはわかっていてほしい。
いつだって、あなたを抱きしめる準備はできてるよ。
思う存分、飛び込んできてよね。