見出し画像

私が推す近代ヨーロッパのコイン | 貨幣が語る美の世界:後編


当初、本記事はひとつの記事としてまとめるはずだったが、思いの外、紹介してみたいコインが多く、一番お気に入りの本貨に辿り着くまでに原稿が長くなってしまった。そのため、前編と後編の二回分けて紹介したという経緯である。前編で多数のコインを紹介したわけだが、そんな中でも私が最も気に入っている近代ヨーロッパのコインは、バイエルン王国で1865年に発行されたVereinsthaler(ファインツ・ターラー)銀貨である。

画像1


「Vereinsthaler(ファインツ・ターラー)」は、日本では「同盟ターラー」ないし「統一ターラー」と訳されている。旧来の単位ターラーが貨幣改革によって改められたことにより誕生した新たな単位である。本貨はミュンヘン造幣所(München mint)で発行された。

初年号にあたる1865年のみ年号の表記がなく、以降は聖母マリアの足元に年号が刻印され、同デザインで1871年まで発行された。通常貨に加え、1867年に僅かながらプルーフ貨も発行されている。

1865年に110,000枚、1866年に100,000枚、1867年に100,000枚、1868年に100,000枚、1869年に100,000枚、1870年に100,000枚、1871年に100,000枚と全部で7回に分けてミュンヘン造幣所で発行された。

プルーフ貨は、1867年に発行されたロットの内、全体の約2%ほどの2000枚しか存在しない貴重貨である。

画像2

本貨の表側には「狂王」の名で知られるルートヴィヒ2世の肖像が描かれている。容姿に優れ、画家からはモデルとして好まれたが、妄想癖が酷く、熱烈に支持した作家や神話好きが興じて建築物に多額の金銭を投じた。結果、国庫を貧窮させることとなり、国民から大きな反感を買った。また、婚約者ゾフィー・シャルロッテとの挙式を二度も延長して逃れようとするなど、統治者としての責任も疑われた。こうした奇怪な行動から政府の命令により逮捕され、強制退位させられた後に、最期は心中自殺を遂げた。ベリク城で幽閉されていたルートヴィヒは始めは反発的な態度だったが、次第に落ち着きを見せるようになった。そのため、侍医ベルンハルト・フォン・グッデンは、見張りを付けずにルートヴィヒと二人で朝の散歩に出掛けた。だが、これが大きな間違いだった。ルートヴィヒはひと気がない場所でグッデンを殴り殺した後に自害を図った。六時間後、二人はシュタルンベルク湖で水死体の状態で発見された。グッデンの遺骸には必死に抵抗した痕跡があり、目には大きな痣、皮膚には爪痕が複数箇所見受けられた。

上記で少し述べたルートヴィヒが熱烈に支持した作家とは、オペラ劇作家のリヒャルト・ワーグナーだった。ルートヴィヒは彼の作品の中でも特に『ニーベルングの指環(原題:Der Ring des Nibelungen)』の大ファンであり、この物語の世界観を深く愛した。だが、そののめり込み具合は異常と言えるもので、周囲をひどく困惑させ、政治や国庫に影響が及ぶものだった。

画像7

『ニーベルングの指環 ラインの黄金』
初版 挿絵一部
絵:アーサー・ラッカム
英雄の天国ヴァルハラにかかる虹とニーベルングの指環を守護するラインの三人の精霊

バイエルンの国教であるカトリックからすれば、『ニーベルングの指環』の世界観は、異教の神々や精霊、魔物が登場する忌むべきものだった。古代神話を否定するカトリック国の君主がこれを常識の範疇を超えて好む行動は、宗教的な立場からも問題があった。だが、ルートヴィヒは作者のワーグナーとの面会を強く望み、熱烈なファンレターを送った。そして、ワーグナーとの念願の面会を果たした後は、彼に多額の支援金と年金を与えた。ワーグナーの方も計算高く、自身のファンであるこの若き王から搾り取れるだけ金銭を搾り取ろうと利用した。これは第三者として冷静な目で見るバイエルン国民には、血税の浪費と映った。若き王が計算高い作家に騙され、自分たちの税を無駄遣いしている。そう激怒した民衆は、ルートヴィヒに対して強い不満を募らせた。だが、事は急展開を見せる。自分の熱烈なファンであるルートヴィヒになら何をしても許されると思ったのか、ワーグナーは愛人を自身の住居に呼び寄せた。このスキャンダルを知ると、ルートヴィヒの熱は急速に冷め、自らワーグナーとの面会拒否を行った。

ルートヴィヒの壮絶な歴史からコインの話に戻そう。表側の銘文は古典ラテン語で「LVDOVICVS II BAVARIAE REX C.VOIGT(ルートヴィヒ2世 バイエルン国王 カール・フォークト)」と記されている。銘文中の「C.VOIGT」とは、本貨の彫刻師カール・フリードリヒ・フォークト(Carl Friedrich Voigt)の名である。

画像3


裏側の銘文も同様に古典ラテン語で「PATRONA BAVARIÆ(バイエルンの守護聖人)」と記されており、聖母マリアのことを示している。彫刻師は表側と同様にフリードリヒが務めた。銘文中の「Æ」は、「A」と「E」を合体したモノグラムであり、古典ラテン語でスペースと筆記時間を省略するためによく用いられた。本貨でもその筆記法を踏襲している。

聖母マリアと赤子のイエスの姿は、カトリック芸術に見られる典型的な描かれ方をしている。マリアは雲の座椅子に腰掛け、三日月を足掛けのようにして踏みつけながら、左手に聖笏を持ち、右手でイエスを抱えている。イエスは左手で宝珠を抱え、右手で天空を指差す定型ポーズを取っている。両者は堂々とした立ち振る舞いで、いかにも威厳を感じせる。

また、本貨はレターエッジになっており、エッジ部分にはドイツ語で「XXX EIN PFUND FEIN」と記されている。フィールドの銘文は死語であるラテン語だが、エッジは実用的なドイツ語を使用している点が興味深い。これは「1/30 Metric Pound(メートル・ポンド)」を示しており、「FEIN(ファイン)」は「良質」を意味する。すなわち、本貨の重量が「18.5g」であり、尚且つ銀品位「Silver 900」の品質を保つことを国家の名の下、保証している。直径は33.0mmあり、中型の銀貨に区分される。大型でもなく、小型でもなく、この中間のサイズがちょうど良く、可愛らしい。

なぜだか不思議だが、直感的にこのコインには惹かれていた。サイズ感も関係しているが、やはり裏面のデザインに惹かれるわけで、このマリアの堂々とした雰囲気やイエスの赤子とは思えない振る舞いが面白い。もともと私はキリスト教芸術のファンであり、教会建築やキリスト教絵画に惹かれてきた。ラファエロ前派やモローによるキリスト教絵画などは、毎年展覧会に足を運ぶほどである。特にカトリック系の様式が好みであり、マリアを題材とした工芸品や十字架に架けられたイエスのロザリオにも興味がある。エチオピアで現在でも使用されているコプティック・クロス等にも興味を持っている。

画像6

ルルドのマリア像。イタリア製。祈りを捧げるマリアは、西洋人の容姿で描かれている。実際のマリアはユダヤ地方で生まれたアジア人のため、目の色はブルーではなく、黒あるいは褐色だったと推測される。信仰が浸透する過程で土着の文化と結びついた例のひとつである。特に偶像は信仰者が拝む際に使用するため、自分たちが慣れしたんだ形で造られた。


画像4

信者が礼拝の際に使用するロザリオ。デザインは多岐にわたり、コレクション性がある。材質も様々存在しており、簡易的なものから凝ったものまで存在する。


コプティック・クロス

コプト教の流れを継ぐエチオピア正教会の信徒たちが祈りを捧げる際に使用したコプティック・クロス。ハンドメイドのため、形状は似ているようでそれぞれ異なる。通常の十字架から派生した形状であり、ニードルで彫った細かい装飾が特徴的である。


後半はコインではなく、キリスト教芸術についての思いを綴ってしまったわけだが、ヨーロッパには共通してキリスト教の影響がコインに色濃く反映されている。キリスト教の理解なくしては西洋貨幣を理解することは不可能である。それだけに、コインに限らず、身近なところから彼らについて知ることが大切なのかもしれない。

皆様にもきっとお気に入りの一枚があるはずだろう。まだない人はこの先きっと出逢えるはずである。前編でも同じことを述べたが、貨幣収集にルールはない。集める本人が好きなように集めればいいのである。それに対して、誰かに何かを言われる必要も、筋合いもない。そのスタンスを持って、周囲に流されることなく、自信を持って取り組む姿勢が大切だと思っている。たとえ誰かに何かを言われたとしても、気にしないことが一番である。収集の仕方に手本は存在しないのだから。

「楽しいことが何よりも一番」

この言葉で締めくくろう。


*掲載画像は全て筆者私物を撮影し、可能な限り原色に近い現像作業を行った。


Shelk 詩瑠久🦋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?