【Ep.7】 思い出は引っ掻き傷に かさぶたに変わって 側に転がる 〜音楽と青春の交差点にいつもYUKIがいた〜
🔑Keywords🔑
JUDY AND MARY/YUKI/TSUTAYA/CDレンタル/動画サイト/Dailymotion/YouTube/ふみコミュ!/レザーブレス/革ブレス/ダチブレス/ハッピーワン/原宿/竹下通り/修学旅行/エッセンシャル/エッセンシャルダメージケア/Beatles/ビートルズ/Revolver/リボルバー/Tomorrow never knows/加瀬亮/好きだ、/ミス・イエスタデイ
前回の記事では、地元のTSUTAYAが十代の思い出と深く結びついた特別な場所であったこと、そしてJUDY AND MARYが、アルバム単位で音楽を聴くことの面白さを初めて知ったバンドだったことについて書きました。
今回は、インターネット動画サイトの登場によって、音楽との向き合い方がこれまでと大きく変わったこと、そしてYUKIの音楽が当時の自分に与えた影響について、当時を振り返りながら書いていこうと思います。
-イントロダクション-
地元にTSUTAYAが登場し、JUDY AND MARYのアルバムを一巡し終えると、私はいよいよYUKIのソロ作品へと手を伸ばし始めた。
小学生の頃、彼女の代表曲は何度か耳にしたものの、CDを手にすることは叶わず、二年後ようやく願いが叶った時の高揚感は、今でも鮮やかに記憶に残っている。
徒歩圏内にTSUTAYAが登場したことに加え、その頃、インターネット上でも大きな動きがあった。
「Dailymotion」、「YouTube」といった、インターネット動画サイトが登場したのである。
YUKIの世界観に浸る日々
インターネット動画サイトの登場は、私にとっての音楽鑑賞のあり方を根底から変えていった。
部活から帰って夕飯を食べ終えると、勉強そっちのけでパソコンの前に張り付き、YUKIのMVを何度も繰り返し再生していた。
曲の世界観が詰まった映像の中で、彼女は歌い、踊り、そして私を別の世界へと誘ってくれるようだった。
そして、関連動画へと導かれる度に、新たな音楽との出会いも待っていた。
小学六年生頃から訪れていたオンラインコミュニティ「ふみコミュ!」での交流は、その体験をさらに深めた。
ファン同士が楽曲の細部を語り合い、歌詞の意味を解き明かそうとする熱量に触れ、私はYUKIの世界観にすっかりと引き込まれていった。
まるで一つの小説を読むような繊細な気持ちで、私はYUKIの音楽を味わっていたのだと思う。
『Commune』:青春のサウンドトラック
当時TSUTAYAで借りたCDは、『PRISMIC』『Commune』『joy』の三枚のアルバムだった。
深い意味はなかったと思うのだが、最初に手に取ったのは1stアルバムの『PRISMIC』ではなく、2ndアルバムの『Commune』と3rdアルバムの『joy』だった。
特に、最初に聴いた『Commune』は、私の中学時代を映し出すサウンドトラックのような存在だった。
どの曲にも懐かしさや切なさといったものが入り混じりながら、それでいて新しい感覚を覚えた。
重厚なダブアレンジがなされた『恋人よ(version)』は、心の中に温かい光を灯してくれるような、メロウな雰囲気があった。
この切実な歌詞は、困難な状況に置かれた恋人への深い愛情を描き出している。
愛は人を強くし、希望を与えてくれるという、普遍的な「愛」のテーマながら、この曲には傷跡に寄り添い、それを癒してくれるような優しさがあると思う。
それで言うとこの曲は、aikoのメジャーデビュー・シングル『あした』の歌詞に、どこか通ずるものがある気がする。
この歌詞は、愛の力に対する揺るぎない信念を物語っている。
どんな状況にあっても、愛は人を救い、希望を与えてくれる。それは、まるで、暗闇の中で光を放つ小さな炎のようなものだ。
傷付いた心の叫びであり、同時に、愛の力強さを歌った、とても美しい詩だと思う。
そして、『Commune』の中で最も私の心を掴んだのは、『ロックンロールスター』だ。
ノスタルジックな雰囲気を醸し出す『ロックンロールスター』は、今聴いても当時の情景が鮮明に浮かんでくる。
YUKIの音楽は中学時代のみならず、高校時代も私の心の支えであり続けた。
「午後の授業はサボってギターにしびれてた〜…」という歌詞は、当時まさに授業をサボり悶々とした日々を過ごしていた自分に対するある種の投影のように感じ、いつも複雑な感情を呼び起こした。
そして、忘れられない出来事がもう一つ。
中学三年生の春、修学旅行の自由研修で原宿を訪れた時の話だ。
当時、中高生の間で名前入りのレザーブレスを作るのが流行っており、友達グループで竹下通りにあるレザーブレスのお店へと向かった。
目的地に近付くと、どこからともなくYUKIの「ファンキー・フルーツ」のメロディが聴こえてきた。
思わず、「あ、ファンキー・フルーツ流れてる!」と言ったのを覚えている。
そして店の方角へと進むと、なんと曲が流れていたのはそのお店のラジカセからだったのだ。
記事を書きながら、店名が気になり調べてみたところ、「ハッピーワン」というお店であることが分かった。
外観は当時と変わっているかもしれないが、外の出店のような店構えだった記憶があるので、おそらくここで間違いないと思う。
みんなでお揃いのブレスレットを作るワクワク感。そして、偶然耳にしたYUKIの音楽。
修学旅行先での出来事ということもあり、YUKIの音楽が、私の中学生活の重要なシーンを彩っていたことを、心から実感した瞬間だった。
『Commune』は、10代を過ごした私の心に染み渡り、忘れられない青春の一ページとなった。
『joy』:新たな出発点と、変わらない魅力
続いて手に取ったのは、3rdアルバムの『joy』だ。
JUDY AND MARYの解散後、ソロで初めてオリコン1位を獲得し、YUKIの人気を確固たるものにしたのがこのアルバムだった。
エッセンシャル ダメージケアのCMで『ハローグッバイ』が使われていたのも記憶に新しい。
髪の話で言えば、アルバムのレコーディングの頃から、YUKIの髪型はロングヘアからショート(ボブ)ヘアへと変わり、ビジュアル面でも大きな変化が見られた。
『joy』は、従来のロックサウンドに加えて、エレクトロニックな要素を取り入れた楽曲や、アコースティックな楽曲など、音楽性の幅が大きく広がったアルバムでもあった。
YUKIの音楽は、JUDY AND MARY時代のパンキッシュな要素を継承しつつ、より洗練されたポップサウンドへと進化を遂げていたのだ。
そんな広がりを見せていた本作だったが、表題曲や先行シングル曲よりも、『サイダー』や『WAGON』といった、JUDY AND MARY時代の片鱗を感じさせるバンドサウンドの方に、私はグッと惹き付けられていた。
『PRISMIC』に映る、少女の決意と葛藤
三枚のアルバムの中で、最後に手にしたのは1stアルバム『PRISMIC』だった。
ジャケット写真に写る静かな眼差しは、まるで新しい世界へと足を踏み出そうとしている少女のようにも見える。
そして、アルバムの幕開けを飾る『眠り姫』は、その静かな眼差しと見事にリンクしている。
「眠り姫」(「眠れる森の美女」「いばら姫」などの別題がある)はヨーロッパの古い童話として知られており、長い眠りから覚めた姫が、新しい世界へと飛び出す物語だ。
これは、JUDY AND MARYというバンドを卒業し、ソロアーティストとして新たな一歩を踏み出したYUKI自身の物語と重なる。
しかし、その新しい世界への旅路は、喜びだけでなく、不安や葛藤も孕んでいたはずだ。
どこか素直でない反抗的な歌詞からは、そんなYUKIの心の内が透けて見えるようだった。
思えばこのアルバムには、一つの物語を読んでいるような感覚があった。
『眠り姫』が目を覚ますと、『the end of shite』で闇を切り裂き、再び『66db』の静寂が訪れる。
そして、キャロル・キング作曲の『サヨナラダンス』で再びエネルギーを取り戻し、『惑星に乗れ』で宇宙を目指す。
まるでジェットコースターに乗っているような高揚感を抱きながら、「あなたへと続く天の川を消えないうちに渡る」のだ。
『Rainbow st.』、そして『I U Mee Him』という二つの星に到達した後、気の抜けたギターのイントロと共に、『忘れる唄』が流れ始める。
過去の記憶を消し去るかのようにして、彼女は新たな世界へと意識を向ける。
そして地球へ戻ると、『愛に生きて』『プリズム』『ふるえて眠れ』といったセンチメンタルな楽曲たちが、エンディング前のクライマックスを華やかに彩る。
そして、最終曲。
Beatlesの『Revolver』の壮大なエンディング曲『Tomorrow Never Knows』を彷彿とさせるような『呪い』が、まるで宇宙に取り残された漂流物のように、
”こののろいから とかれる日はくるの?”
という意味深なメッセージを残し、アルバム全体にどこか不穏な余韻を残して幕を閉じる。
高揚感と同時に、新しい世界への不安や葛藤といった、YUKIのエモーショナルな心の揺れ動きを鮮やかに描き出すこの一連の流れは、ソロデビューという新たな章を迎えたアーティストの、最も生々しい感情の記録と言えるだろう。
中学一年生と二年生の狭間、思春期にもがいていた当時の自分としては、心を揺さぶられる部分が多くあった。
心の奥底に隠していた黒い感情が、YUKIの歌声によって溢れ出し、深い眠りから呼び覚まされるようだった。
私がYUKIのアルバムの中で『PRISMIC』が一番好きな理由が、ここに詰まっているような気がする。
『PRISMIC』は、単なるポップアルバムの枠を超え、聴く者の心の深層へと深く潜り込む、文学的な作品だと言えるだろう。
十七歳の残響、ミス・イエスタデイの海辺
高校三年生になる頃には、YUKIの新しい曲はほとんど追わなくなっていた。
最後に聴いたのは、2010年3月10日に発売された5thアルバム『うれしくって抱きあうよ』だったろうか。
ただ、当時大好きだった加瀬亮が出演していた『2人のストーリー』のMVも記憶にあるので、こちらが本当の最後かもしれない。
この頃のYUKIの音楽を以前のような熱量で聴くことはなかったが、シングル曲『ランデヴー』(2009年3月4日発売)のカップリング曲、『ミス・イエスタデイ』だけはずっと特別だった。
当時、YouTubeか何かで『好きだ、』という大好きな映画の映像に、この曲を合わせた動画が上がっていた。
しかし、今、その動画を探しても見つからない。
諦めきれず、Xで検索してみると、それについて呟いている人がいた。
記憶は確かだった。
何度も再生したせいか、映像と歌詞がシンクロする瞬間は、今も鮮明に覚えている。
『好きだ、』の映像に『ミス・イエスタデイ』の歌詞が重なった時、私はある種の完成を感じていた。
それは、決して悲しい終焉ではなく、むしろ、美しい物語の完結を告げるような、静かな感動を伴うものだった。
なんとなく、ここが私の青春の終着駅であり、青春の最高地点だという気がしたのだ。
以降、YUKIの新曲を熱心に聴かなくなったのは、あの時の感覚を薄れさせたくない、上書きさせたくないという、どこか自分勝手な理由からだったのかもしれない。
しかし、大人になりこれを書き終えた今は、YUKIの新しい曲にも手を伸ばしてみようかなと思っている。
今だからこそ共感できる、新たな感動を私にもたらしてくれる気がするのだ。
だがきっと、あの日々の記憶が上書きされることはないだろう。
あの日々の記憶は私の中にしっかりと根付いていて、それは、レコード盤の溝に刻まれた、もう二度と消えることのない記憶の断片のようなものだ。
彼女の音楽を聴くたびに、私は永遠の十七歳に戻ることができる。
それは、まるで夏の日の海のように、どこまでも広くて深い景色だ。
おわり
JUDY AND MARY、YUKIの話はこの記事をもってひとまず終幕です。
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最後まで読んでいただきありがとうございました!