setomayu

広島を中心に、シンガーソングライター・歌屋さんとしてゆるゆる活動しています。平和公園ちかくのカフェ「ハチドリ舎」のイベント企画スタッフもやってます。ライブで話しきれない歌の背景や、広島で暮らす日々に思うことを綴ります。 http://setomayu.com/

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マガジン

  • 歌屋さん、やってます

    世界にひとつだけの歌、一緒につくりませんか。誰かが生まれたのをお祝いする歌・大切な記念日に贈る歌・大好きな地域やチームのための歌。これまで作らせていただいた歌のこと、少しずつ綴ります。

  • シンガーソングライターってどうやってやるん?

    「わたし、もっとたくさん歌いたいな」と素朴に思ってから、広島でシンガーソングライターを生業の一部にして生きる今までの記録が出てきたので、noteにまとめ直してみます。

最近の記事

2度目のアウシュビッツ(2013年8月)

初めてアウシュビッツに訪れることを決心する時、「きっと被爆者とアウシュビッツに行くのは人生最初で最後だ」と思ったのだけれど、2度目の訪問は案外早くに訪れた。 2013年、私はピースボートの船旅に「おりづるユース特使」として乗船していた。広島・長崎の被爆者とともに世界各地をめぐり、彼らと共に各地で証言会をつくっていく。前にアウシュビッツに来た頃は「被爆者さんたちのお手伝いをするんだ!」という心持ちだったけれど、今回は「一緒に場を作っていく」というミッションや責任感を抱えていた

    • 1.5度目のアウシュビッツ(2012年6月)

      2012年の初夏、アイルランドでの留学生活の終盤に、私はアウシュビッツのある「オシフィエンチム」の町を訪問した。 この時は、正確には「アウシュビッツ」訪問ではなかった(だから1.5度目としている)。強制収容所跡には行かず、1年前に初めて訪れたアウシュビッツで出会った地元の若者メンバーと連絡をとり、町を案内してもらうことになった。 町の名前「オシフィエンチム」を無理やりドイツ語読みしたのが「アウシュビッツ」だ。今でもこの場所が世界的に「アウシュビッツ」と呼ばれ続けていること

      • 1度目のアウシュビッツ(2011年3月)

        2011年3月。初めてアウシュビッツ強制収容所跡を訪れた。 初めてのピースボート乗船、広島・長崎を語る「被爆者」との出会い、世界中にある問題の当事者たちとの出会い。「初めて」づくしの旅の中でも、この訪問はとても大きな経験だった。 船旅の中で急遽、被爆者たちがアウシュビッツに訪れるツアーに一般乗船者も申し込めることになった。船を降りて飛行機を乗り継いでゆくツアーは、大学1年生の私にとってはなかなか高額で、行くかどうかすごく迷った。 「アウシュビッツにこの先自分で行くことが

        • いつだって、”おてんとさま”が見てる

          原爆投下から、77年目の夏が過ぎ、秋がやってきました。 この夏は、大好きなひとたちの訃報に、何度も接しました。 知らせて下さった方たちと、そのひとの思い出をお話しして、「こうやって語らうことが、ご供養になる」という言葉を聞きました。 まだ、うまく実感が湧かなかったり、大好きなひとに会えなくなってしまうこととどうやって向き合っていいのかわからない気持ちもあるけれど。 わたしが一緒に世界を旅した、大好きな人のこと、お話しさせてください。 長崎出身の、大村和子(おおむら・か

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        • 歌屋さん、やってます
          1本
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          5本

        記事

          大ママちゃんとわたしと、歴史とひとりの命と

          3月26日土曜日、夜。 突然、「大ママが亡くなった」と母からLINEが入った。 あんなに急な知らせ、実感がわかなくてぽかんとしそうなものだけど、なぜだか文面を見た瞬間から涙が出てきた。 心のどこかで、「いつかそうなる」と少しずつ覚悟が積み上がってきていたのかもしれない。 「大ママ」というのは、わたしの母の、母。つまり母方の祖母である。 大ママちゃんは、大正15年生まれ。でも年寄り扱いされたくないから、いつも「ぎりぎり昭和生まれ」と言い張る。 誕生日はお釈迦様とおんな

          大ママちゃんとわたしと、歴史とひとりの命と

          鎌倉コロッケ探訪記

          オチもなにもない、旅先のとある日の記録です。 ひとつひとつの風景がなんだか心に残ったので、忘れるのがもったいなくて書き残してみます。 お暇な方は、一緒に歩いている気持ちで読んでみてくださいな。 ------------------------ 東京に寄った時に、「明日は鎌倉にいく」と話をしていたら、「おすすめのコロッケがあるよ」と教えてもらった。だけどそのお店の名前が思い出せないとのことで、いくつかのヒントだけが提示される。 ・北鎌倉のちかく ・ハイキングコースがちかく

          鎌倉コロッケ探訪記

          「友だち」と戦争について、思うこと

          「世界中に友だちをつくったら、きっと戦争はなくなるよ」 いつだったか、誰だったか、この言葉を教えてくれたのは。 明るくて温かいこの言葉の響きは、いろんな国を旅して友だちを作っていくうちに、少しずつ実感を伴うようになった。 今も、甘くてやさしい希望の光みたいに、わたしの心の中にはこの言葉が住み続けている。 「世界中に友だちをつくったら、きっと戦争はなくなるよ」 わたしがウクライナのキエフに訪れたのは、今からちょうど10年前。留学中に参加したボランティアキャンプで出会った

          「友だち」と戦争について、思うこと

          なんでもいい、「あなたの言葉」が聞きたい

          中学校の頃の「平和学習」は、なんだかちょっと寂しかった。 平和学習と言っても一年に一回くらい(たぶん夏頃に)戦争に関連した映画を全員で見るくらいだったと思うけど、映画が終わって突然明るい廊下に戻った時に、「うわー次数学じゃん、たいぎー」「あ、宿題しとらんかも」「やばー」みたいな、さっきまで見てたものが無かったみたいに日常に戻るのがしんどかった。 心でも頭でも処理しきれなかった映画の感想やその混乱具合を、隣にいる友達に共有する勇気がなかった。そのままうやむやに感じたことが消

          なんでもいい、「あなたの言葉」が聞きたい

          なんか泣ける朝

          なんか、昨日の夜はひくほど泣いた。 なんでかは自分でもよくわからない。 一夜明けて、朝起きて。 カーテンから見える景色はぼやんとしていた。 なんて冴えない、曇り空。うっすらと霧雨。 そうか、だから心が晴れないのか。と、天気のせいにしたくなる。 * 常々、「わたしは痛みのすくない人生を送っているなあ」と思う。 だけど自分でもよくわからないくらい、小さなかすり傷が、 あるときどーんと波のように押し寄せて、突然泣けてくる日がある。 一瞬前まで気にも留めていなかったことが、

          なんか泣ける朝

          声をあげる。ーだれに、どうして、どうやって

          拝啓 わたし ぽろぽろと、SNSのニュースフィードでアメリカで起こっている反人種差別デモのことが触れられている。これがきっと人によっては、「連日ニュースフィードを埋め尽くします」とか「まったく出てきません」とかになるのかもしれない。 以下、今わたしが考えていることの、備忘録です。 1.だれに、声をあげるのアイルランドに留学していたときに、初めて「人種差別」の片鱗を見た気がするけれど、あれが本当に「差別」の片鱗だったのか、未だによくわからないでいる。 とある夜、友人とク

          声をあげる。ーだれに、どうして、どうやって

          夜の小道、空想と現実のはざま

          仕事帰り、最寄駅から自宅まで歩く。 夜の静かな住宅街の小道は、街灯がぽつぽつとあるものの、 なんだか心細くなるのが常である。 日によって、おばけが怖くなったり、不審者が怖くなったりする。 さて、そんな夜の小道を歩きながら、今日はふと刀について考えた。 ざわざわと真っ暗な闇を見つめながら「護身しなきゃ」と本能が叫んだのだろうか、「もしわたしが今、手元に刃物を持っていたとしたら」という考えがとりとめもなく、浮かんだ。へんなの。 ただ、手元に刃物を持って歩いたことなんてないか

          夜の小道、空想と現実のはざま

          ここにはあるよ〜下蒲刈島の歌〜

          広島県呉市、瀬戸内海のとある島、”下蒲刈島(しもかまがりじま)”。 2017年秋、「この島の歌をつくろう」とお誘いいただいて、 下蒲刈島を何度かヒアリングに訪れました。 海の側のカフェで地元のおばあちゃんのお話を聴いていたときのこと。 「ここにはなにもないけえねえ」と言いつつも、 「海見たら、心が広いよんなるんよ」としみじみつぶやくおばあちゃん。 目に見えるものじゃなくても、ここにいたいと思える何かが、 「ここには、確かにあるよ」 そんなことを伝えたくて作った歌です。 -------------------------------- 「ここにはあるよ」 〜下蒲刈島の歌〜 作詞・作曲・うた:setomayu 小さな足で歩き始めた ひとつひとつ続いてく石畳 松葉をすり抜け山を駆け登る 島の風がゆるくふわりと香る ここにどうして生きるのかなんて 問いかける前にここにいたの 変わりゆく世界を映し出すように さざ波立つ心を月が見守る 変わらないなにかが ここにはあるよ 「海見たら心が 広いよんなる 遠い国からはるばる旅して たどり着いたこの島で出会った 食べきれないほどの美味しいごちそう 明るく響くあなたの笑い声 ここで過ごした日々の重なりは いつでも僕の中にあるから 変わりゆく世界に心おどらせ 走り出すその道を灯す島あかり いつだって帰る場所が ここにはあるよ 昨日今日明日と 続くいとなみ 穏やかな風に凪ぐ日もある 嵐にさらされて揺れる日もある だけど ここにどうして生きるのかなんて 問いかける前にここにいたの 変わりゆく世界を映し出すように さざ波立つ心を月が見守る 変わらないなにかが ここにはあるよ 「海見たら心が 広いよんなるじゃろ」

          ここにはあるよ〜下蒲刈島の歌〜

          ここにはあるよ〜下蒲刈島の歌〜

          歌屋さん、やってます

          世界にひとつだけの歌、一緒につくりませんか。 例えば、誰かが生まれたのをお祝いする歌。 例えば、大切な記念日に贈る歌。 例えば、大好きな地域やチームのための歌。 例えば、「今」しかないふとした瞬間や思い出をかたちに残す歌。 記念日に写真を撮るみたいに、その大事な瞬間を、歌で切り取ってみませんか。 有名なシンガーさんの歌に自分を重ねてみるのも好きだけど、 人生のところどころでそっと寄り添ってくれるみたいな、 世界にひとつだけの歌、一緒につくりませんか。 ******

          歌屋さん、やってます

          さんぽのススメ〜小さな思い出とおしゃべりする

          コロナさんの影響でテレワーク!在宅ワーク!と叫ばれる前から、土日はカフェ勤務・平日は在宅作業の多い生活でした。 そんな中、昨年腰を痛めてしまい、通った整体で「1日15分の散歩」をオススメされまして。できる範囲でゆるゆると散歩を続けています。 たぶん慣れたらすっかり忘れてしまう、「散歩を味わう」ようになって感じてきたことの記録です。 まず両手が空いた状態で歩けることが、なんだかむずがゆくて新鮮。 無駄に大きく手を振って歩いてみたり。ラジオ体操よろしく歩きながら深呼吸した

          さんぽのススメ〜小さな思い出とおしゃべりする

          「バースデーライブ当日のこと」〜シンガーソングライターってどうやってやるん? その5(終)

          すこし前のブログを整理していました。 「わたし、もっとたくさん歌いたいな」と素朴に思ってから、広島でシンガーソングライターを生業の一部にして生きる今までの記録が出てきたので、noteにまとめ直してみます。 その4はこちら👇 バースデーライブ当日(2017.6.17) (この日のことは日記風に記録してありますがそのまま記載します!) 初めて自分で企画して、チラシを作って、声かけをして、 いよいよ迎えたライブ当日。 朝からそわそわと会場の大広間を掃除してまわり、開場時間に

          「バースデーライブ当日のこと」〜シンガーソングライターってどうやってやるん? その5(終)

          「初めてのライブ企画」〜シンガーソングライターってどうやってやるん? その4

          すこし前のブログを整理していました。 「わたし、もっとたくさん歌いたいな」と素朴に思ってから、広島でシンガーソングライターを生業の一部にして生きる今までの記録が出てきたので、noteにまとめ直してみます。 その3はこちら👇 初めてライブを企画してみた(2017.5.30) 初めてのライブを終えて一息ついたある日、バイト先の社員さんに声をかけてもらって突然目の前に現れた企画。 「古民家の大広間でミニライブ!!」 めっちゃ楽しそう!テンション上がる!やりたい! 「あれ

          「初めてのライブ企画」〜シンガーソングライターってどうやってやるん? その4