太平洋戦争終結で「主婦之友」はどう変化したかー変わり身はともかく、今の時代にも通じることがありはしないか
日中戦争から太平洋戦争にかけて国や軍部の指導に沿った論陣を張ってきた「主婦之友」は、太平洋戦争中で最後の号となった1945(昭和20)年7月号でも「勝利の特攻生活」の副題を付け、「苦難と栄辱と 皇国と共に苦難を突破して!!」「いよいよ最終決戦だ」など、最後まで戦争協力を訴えてきました。(表題写真右)
戦後最初の発行となる8月号は、表紙から憑き物が落ちたような雰囲気に(表題写真左。向井潤吉の「開墾」)。終戦の詔書も入っていて、実際の発行は9月に入っていると思われます。石川武美社長の巻頭言「若き日本の新しき道」では、天皇の「大御心」に対して感謝するなど、戦中感まだ抜けておらず、優秀な日本民族感もそのままですが、とりあえず「新しき道を、大いに胸を張って」出発と呼びかけます。
空襲や疎開、敗戦のごたごたなどで乱れた号数を改めるため、次の号は10月17日発行の「9・10月合併号」に。「連合軍進駐を迎えて 日本婦人の心得」という座談会記事では、「話せば解るアメリカ人」として、意思をはっきり伝えることが大事と説きます。そして、日本人の反省点も省みる余裕が出ています。
そしてこの号では、9月2日の降伏調印翌日の「編集日記」で、石川社長の訓話が記されています。
「敗戦は耐えがたい悲しみであるが、これによって新しい国家、おそらくは世界があこがれる軍備によらぬ国家、人類に貢献するところ大きい文化国家を建設することができると思う。そのよい条件にある国家こそ日本である。昭和20年9月2日の降伏調印の日を、われらは20年後30年後において感謝の日とせねばならぬ。それをなしえぬなら日本民族の真の屈辱であり滅びである」と強調しています。
さんざん戦争のお先棒をかついだ口で何を言うか―というのはひとまずおいておきましょう。1946(昭和21)年新年号で、戦時中は「毒獣」とまで呼んだ米国女性を招いて座談会を載せている手のひら返しも、とりあえず目をつぶりましょう。しかし、軍備がなくなったことを前向きに捉えている前号からの姿勢は買いたいものです。
また、石川社長は1946年2月号の巻頭言で「子供を騙されぬ人間に 教育することが家庭の根本問題」と、戦前の教育に視線を向けます。そして日本人の特徴の「独立した思想のない付和雷同性」こそ問題と指摘し、その根本は学校での「一から十まで鋳型で抜いたように、個性を無視した教育法」に合ったと喝破します。
そして、「ほんとの教育は個性を尊重して、それを引き延ばすところにある」とまで理解を広げ、これを家庭でもと期待を掛けています。戦争に明け暮れた日本では、家庭でも軍人が教えの軸になっていたことを反省します。
そして石川社長は、出版界の関係者の粛清の話を聞き、いったん主婦之友を3月号で廃刊にする決意をしますが、ひょんなことから続刊とします。
戦争協力はあまりできなかったアピールかもしれませんが、家庭を護るという路線に「この雑誌のどこに戦力といへるものがあるのか」と軍からも官からも叱られ続け、紙の配給も減った戦時中の裏話を紹介しています。
そして、30年前に家庭のためにと自らが興し、20年来の編集長と歩んできたことを思えば、自分たちに責任があると言われれば、形だけ本を残す意味はないと廃刊を決意し、職員も了解してくれて、廃刊の決意を固めましたが、連合軍当局から、今後の日本のための続刊を求められます。
もちろん、連合軍には連合軍の考えがあってのことでしょう。それでも、敗戦からの論調の変化は感じ取った可能性があります。そして、日本当局から助けがあったのではないことに疑問を呈しつつ、期待に沿うようにすると続刊することに。
石川社長に真意を聞くことはできません。あくまで表現から推定していくしかありません。しかし、教育のこと、本当の公共のことなど、早い理解が連合軍の目に留まったのは確かでしょう。
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軍事に奉仕するか、あるいはその威勢に乗っていなければ、生き残りを図れなかったという、石川社長が描いた軍隊のない社会へのあこがれ。自衛隊という実力組織はあるものの、自衛の最小限度という歯止めによって、それを曲がりなりにも実現してきました。日本人が公式に戦場で他国の人を殺さずにここまで来られたことは、誇っていいと思います。
ただ、教育についてはどうか。独自の思想を持っているか。それでこそ民主主義が実現できるとした当時の見識と比べて、今はどうか。残念ながら、復興のために鋳型教育を続け、先人たちが血を流しながら勝ち取った参政権も豚に真珠のような状態に。自分で考える人に対する同調圧力…。当時の欠点と思われたことが、全然改まっていないか、一度改まったのが悪化したのか、また「やばい」状況になりつつあります。
また、石川社長の文を読んでいて感じた、被害者意識。加害した相手への思いがほぼ出てきませんでした。余裕がないといえばそうかもしれませんが、初めて味わった敗戦という悲哀の方が大きかったのか。これを超えていくのは、これからの世代の宿題となって残っています。
一方、国際関係のゆらぎの中で、2024年度から防衛費が一気に増大されます。こんな時だからこそ、先人たちは、どんな思いを込めて軍隊、武力を手放したのか、考えるのも無駄ではないでしょう。戦争指導者ではなく、弱者の目で戦争を見つめる姿勢を堅持し、その思いに迫り、引き継いでいきたいと思っています。
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