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父親の死から看護師の私が学んだこと

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余命1ヶ月と告知を受けた父との関わりについて綴っています。看護師だから出来たことではなく、家族だから出来たこと、そして感じたこと。ご家族が本人の代弁者として意思表示をしてくださる…
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看護師になったことを悔やんだ日

看護師になったことを悔やんだ日

祖母の死を追いかけるように、植物状態で3年生きた叔父が亡くなりました。
翌年、父と母は離婚しました。
それから約20年・・・

私は高校を卒業して薬品会社のOLとなり、その後、医療事務職、看護学校へと進み、27歳で看護師になりました。
初めての就職先で阪神大震災を経験し、結婚し、転居し、神経症になり、働きながら不妊症の治療をして40歳を迎えようとしていた頃のことです。

1.突然の父の言葉

その

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“生と死”の狭間で

“生と死”の狭間で

前回、健康診断で異常値が見つかった父のことを書きました。
ご覧くださり有難うございます。

今回は告知のことを書いています。
現在お辛い状況の方は、ご自身のお気持ちを整えてからご覧いただければと思います。

1.家族

父から検査結果説明の日を聞いて、仕事の休みを取りました。
受診の数日前に「何時に行く?」と尋ねると、父は「来てくれるんか?」と少し嬉しそうな顔をしました。

父は「ほんまは、わし一

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残り時間を告げられるということ

残り時間を告げられるということ

今回も告知の話が続きます。
お辛い状況の方は、気持が落ち着いているときにご覧ください。

前回、父はガンと診断されましたが「原発がわかれば治療できる」という医師の言葉に希望の光を見出して帰宅しました。
そして5日後、再び4人揃って病院に向かいました。
父は一日に数回、強い倦怠感と発熱を繰り返すようになっていました。

1.愛のある計画

4人部屋の窓側に父の居場所が用意されていました。
病院では入

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残り時間を告げられるということ-Ⅱ

残り時間を告げられるということ-Ⅱ

今回も告知について書いていますので、お辛い状況の方は気持ちが落ちついているときにご覧ください。

父から検査結果を聞いた日、外来でガンと診断された日、入院してすぐ家族に告知、そして今回は父自身に…
私には4回目の告知でした。

1.余命1ヶ月

前日、家族だけ呼ばれて余命2、3ヶ月~半年と告げられました。
父は病室に戻って来た私たちに「なんや3人でコソコソと。隠しごとはあかんで。」と苦笑いを浮かべ

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最期の望みは安楽死だった

最期の望みは安楽死だった

このブログは父の死について書いています。
現在お辛い状況の方は、落ち着いているときにご覧ください。

前回まで余命告知のことを書きました。

1.人生の最期に思うことこのブログをご覧くださっている方なら、きっと一度は見たり聞いたりしたことがあると思います。
“人生の最期に後悔すること”
何か覚えていらっしゃるでしょうか?

私が聞いたのは、アメリカで80代の人500名に取ったアンケートの結果です。

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2つの時間が交差する人生の最終段階

2つの時間が交差する人生の最終段階

このブログは死について書いています。現在お辛い状況の方は落ち着いているときにご覧ください。
余命1ヶ月と告げられた父の、最期の話の続きを書いていきます。
前回は安楽死を望んだ父の話でした。

1.お百度参り11月中頃に健康診断で異常が見つかり、月末にがんの告知を受けて、12月初めに精査目的のため入院しました。
父は治療する気満々で入院しましたが、実際は治療法が何もなく、余命1ヶ月と告げられました。

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娘が決めた父の最期のプラン

娘が決めた父の最期のプラン

ご覧いただきありがとうございます。この記事は父の死について書いています。お辛い状況の方は落ち着いたときにご覧ください。

余命1ヶ月の告知を受けた父の記事はマガジンに綴っています。今回は安楽死を希望した父の続きを書きます。

1.心に決めていた最期のプラン

ふと気になって病室に行くと「安楽死ってどうかなぁ?」と小声で相談してきた父に、今から思えば厳しいことを言ってしまったなぁと思います。その頃の

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父の死から教わったこと-人はただ居なくなるだけじゃない

父の死から教わったこと-人はただ居なくなるだけじゃない

前回、余命1ヶ月の告知を受けた父に、看護師の娘が決めた「最期のプラン」について書きました。

余命1ヶ月の告知を受けた父の記事はマガジンに綴っています。今回は父が亡くなった後のことを書きます。

1.父の葬儀

主治医の先生は、精査目的で入院したその日に身内だけを呼んで、余命数ヶ月と告げました。翌日、本人には余命1ヶ月と告げました。それは先生なりの配慮で、父が自分で動ける時間を告げてくれたのだと思

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