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戦国note

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戦国最大の謎・本能寺の変! 明智光秀はなぜ織田信長を討ったのか?

35日間の連投で、和樂webに掲載された歴史記事を中心にご紹介してきましたが、本日が一区切りとなります。本日のテーマは「本能寺の変」です。 天正10年(1582)6月2日早朝、京都本能寺にて織田信長死す。戦国最大の謎ともいえる本能寺の変で、明智光秀はなぜ、主君の信長を討ったのでしょうか。動機については古来、怨恨説が語られてきましたが、その後、野望説や黒幕存在説なども生まれ、今もなお研究者の間で議論が続いています。今回は各説のあらましと研究の最前線から、本能寺の変の真相を探る

名古屋城は天守抜きでも楽しい

 以前、名古屋城の木造天守復元に関して私見を述べました。  その後、計画を進めていた河村たかし市長が国政に復帰。11月24日に新市長を決める選挙が行われます。名古屋城をめぐる状況も変わってくると思います。  私は「無理に天守を木造復元しなくても名古屋城は十分魅力的だ」と考えています。9月に訪問し、十分に写真を調達してきたので紹介します。 多数の重要文化財 旧国宝だった天守は戦災で焼失しましたが、以下の建造物は現存し、国の重要文化財に指定されています。 ①西北隅櫓  

国宝・犬山城の移築門を訪ねて

 愛知県にある犬山城は、国宝5天守の一つとしてあまりにも有名です。  天守の築造年代については、建材のケヤキ材が1585年~1588年に切り出されたことが調査によって判明。1580年代後半につくられた「現存最古の天守」であると確認されました。 「現存最古」の国宝天守 天守の形態は、古風な「望楼型」。三重四階・地下二階であり、上まで登るのは大変です。  犬山城天守の屋根には、縁起が良いとされた桃をかたどった瓦が載っています。  最上階には高欄(ベランダ)があり、外に出て景

猪崎城~福知山のハノイの塔?

 京都府福知山市の城といえば、もちろん福知山城が挙がります。  しかし、福知山市内には別の城跡もあります。福知山城の北2キロ弱ほどの距離にある猪崎城は、史跡として整備され見学もしやすい中世城郭です。塩見氏という丹波の国人の城でしたが、明智光秀が丹波を攻略した際に落城。城主の塩見家利は討ち死にしたといいます。  今回の旅では、福知山駅でレンタサイクルを借り、福知山城~猪崎城を回りました。  福知山城から北進し、由良川を渡ります。途中には、明智光秀が治水のため築いた堤防の一部

福知山城~明智光秀が築いた名城

 京都府福知山市にある福知山城は、続日本100名城のひとつです。もとは丹波の国人の城でしたが、丹波を平定した明智光秀によって「福知山城」と改められ、近世城郭が築かれました。  城代には、光秀の甥である明智秀満が置かれましたが、本能寺の変の後に明智氏は没落します。その後も、交通の要衝にある福知山城は福知山藩庁として機能し、江戸時代には朽木氏などの大名が入りました。 福知山城の立地 由良川を天然の水堀とし、小高い丘に築かれているため福知山盆地を一望できます。  JR福知山駅か

勝竜寺城~細川ガラシャゆかりの城

 勝竜寺城は、京都府長岡京市にある城跡です。江戸時代初期に廃城となったため遺構は少ないですが、近世城郭の原型になった城として重要です。  足利義昭を奉じて入京した織田信長は、三好三人衆の石成友通が籠る勝竜寺城を攻略。同城を細川藤孝(幽斎)に与えました。  藤孝は、小規模な砦であった勝竜寺城を大規模な城郭に改修。勝竜寺城は天守や石垣を伴う近世城郭の先駆けとなりました。一般に近世城郭の祖とされる安土城よりも5年も先行しています。  現在、勝竜寺城跡は公園として整備されていま

和歌山城~御三家の名城を隅々まで歩く

 江戸時代の大名家のうち、徳川将軍家の血を引くのが親藩です。その中でも、徳川の姓を名乗ることができたのが水戸・尾張・紀伊の「御三家」でした。  和歌山城は、御三家の紀伊藩の政庁にふさわしい堅固な名城です。戦前には天守など11棟が国宝に指定されていましたが、太平洋戦争で惜しくも焼失しました。  和歌山城観光といえば天守に登ると思いますが、広大な敷地には興味深い遺構がたくさん残っています。  和歌山駅から一番近い吹上口は、かつて紀ノ川とつながっており、物資の搬入に使われた出

大和郡山城~秀吉の弟が整備した名城

 奈良県大和郡山市にある郡山城は、石垣や水堀などの遺構が多く、続日本100名城にも選定されています。 要衝だった大和郡山城 大和(奈良県)は京都や大阪に近く、政治的に重要な地域でした。郡山城は大和の支配拠点であり、織田信長は筒井順慶を、豊臣秀吉は弟の秀長を城主とし、大和を任せました。  江戸時代にも、郡山城には水野氏や柳沢氏などの譜代大名が入りました。郡山城は、時の支配者の信頼厚い人物が城主に任じられる城だったのです。 天守台の「逆さ地蔵」 郡山城の最大の見所は、やはり

岩槻城~関東の要地となった沼地の城

 さいたま市岩槻区にある岩槻城。現在の城址公園はあまり広くありませんが、関東地方の要衝として歴史的に重要視されました。 岩槻城の歩み 戦国時代の岩槻城は、北条氏に抵抗した太田資正の居城でした。資正は犬に訓練を施し、岩槻城と武蔵松山城の間の伝令として使ったという逸話が残ります。  しかし、資正は息子に裏切られ追放の憂き目にあい、岩槻城は北条氏康の手に落ちました。  豊臣秀吉の小田原攻めでは、北条氏房が籠城しますが、落城しています。  江戸時代にも関東支配の重要拠点とされ、

誤解されがちな「南蛮貿易」

 中学の歴史教科書にも載っている「南蛮貿易」という単語は皆さんもご存知でしょう。大航海時代にアジアに進出したポルトガル人やスペイン人(南蛮人)との間で行われた貿易です。  この南蛮貿易では、どのような物品がやりとりされたのでしょうか。歴史を教えている実感として、一般のイメージと実態が乖離している気がします。  おそらく、大半の人が「ヨーロッパから新奇な品がもたらされ、織田信長をはじめ大勢の権力者を喜ばせた」イメージを持っていないでしょうか。  確かに、ヨーロッパ人との交

【書評】平山優「武田氏滅亡」(角川選書)

 武田信玄(晴信)といえば、最も人気の高い戦国大名の一人です。「最強の戦国武将」系のアンケートでは必ず上位に来るといってもいいでしょう。  しかし、信玄の死(1573年)からわずか10年足らずで、後継者の武田勝頼は織田信長によって滅ぼされます。  「最強」だったはずの武田氏は、なぜあっけなく滅亡したのか。本書は、勝頼の家督継承から滅亡までを丹念に描いた700ページ超の労作です。  父・信玄の築いた領国を維持できなかったことから、勝頼には「暗愚」「無能」のレッテルを貼られ

【宣伝】「死ぬまでに攻めたい戦う山城50」(イースト・プレス)

 この度、制作に携わった書籍が発売されました。今泉慎一著・三城俊一編「死ぬまでに攻めたい戦う山城50」(イースト・プレス)です。  城といえば、立派な天守と石垣、水堀のあるこんな城を思い浮かべるでしょう。  しかし、戦国時代に主流だったのは自然の地形を生かし、土で守りを固めた山城でした。  著者の今泉慎一さんは、これまで600以上の城を踏破した城マニア。今泉さんに取材し、訪問記録を書き起こしたのが本書です。  現存天守のある備中松山城や、関ヶ原合戦で小早川秀秋が陣を敷

【城郭ミステリー】変な城

 これは、ある城の縄張図である。  あなたはこの城の異常さがわかるだろうか。  おそらく、一見しただけではごくありふれた近世城郭に見えるだろう。  しかし、注意深くすみずみまで見ると、城中そこかしこに奇妙な違和感が存在することに気づく。  その違和感が重なり、やがて一つの事実に結びつく。…… 「変でない城」とは パロディはここまでにしておいて、この城のどこが「変」なのか解説していこう。  城は築かれた地形によって、「山城」「平山城」「平城」に分かれる。下図の姫路城

深大寺城~都内に残された戦国の城

 南北朝時代~戦国時代にかけての動乱の時代、各地に城が築かれました。しかし、その多くは開発の波に飲まれ遺構は破壊されています。  東京都調布市にある深大寺城は、大都市近くの中世城郭としては例外的に保存状態が良く、国指定史跡となっています。 北条氏VS.扇谷上杉氏 16世紀前半、武蔵国に勢力を伸ばしたのが扇谷(おうぎがやつ)上杉氏です。しかし、相模国からは新興の北条氏が攻め込み、上杉氏を脅かしていました。  深大寺城は、扇谷上杉朝興によって改修され、防衛拠点となります。し