【城郭ミステリー】変な城
これは、ある城の縄張図である。
あなたはこの城の異常さがわかるだろうか。
おそらく、一見しただけではごくありふれた近世城郭に見えるだろう。
しかし、注意深くすみずみまで見ると、城中そこかしこに奇妙な違和感が存在することに気づく。
その違和感が重なり、やがて一つの事実に結びつく。……
「変でない城」とは
パロディはここまでにしておいて、この城のどこが「変」なのか解説していこう。
城は築かれた地形によって、「山城」「平山城」「平城」に分かれる。下図の姫路城(平山城)の例でも分かるように、中枢部である本丸に行くほど標高は高くなるのが普通である。
※出典:姫路城公式サイト
山や丘のない平地に築城するケースもある。本丸が最高所とも限らないが、普通はわずかでも標高の高い部分を活用する。例えば、岡山県の備中高松城の本丸跡は標高7.7m、二の丸跡は5~6m、三の丸跡は5m前後となっている。
どこが「変」なのか
この前提をふまえ、先ほどの縄張図に戻る。
上記の城が変なのは、「高さ」である。城へは矢印の方向へ入っていくが、三の丸・二の丸・本丸に行くにしたがって、標高は10mほど「低くなっている」。
城は城下町を見下ろすように築かれるのが一般的だが、この城の場合は城下町の方が城よりも標高が高い。「山城」「平山城」「平城」のいずれでもない、日本唯一の「穴城」とされる(※あえて分類すると平山城となる)。
なぜ、このような「変な城」が築かれたのだろうか。その謎に迫るため、2024年6月某日、私は当該の城を訪れた。
「変な城」を歩こう
この「変な城」の正体は、長野県小諸市にある小諸城である。武田信玄の時代に整備され、豊臣秀吉から小諸5万石を与えられた仙石秀久が近世城郭として拡張した。
現在、小諸城の城域は鉄道で分断されている。城の正門に当たる大手門(重要文化財)は現存建築で、城の最高所にあたる。城址公園の懐古園からは少し離れているが、徒歩圏内なので是非忘れず訪れたい。
線路の向こう側に行き、やはり重要文化財の三之門を通って懐古園に入る。城の内部に入っていくのに、緩い坂を「下りていく」ことに若干の違和感を覚える。
三之門をくぐって料金所を通過すると、二の丸跡に至る。
空堀に架けられた黒門橋を通り、本丸に入る。苔むした野面積の石垣には風格がある。
本丸の北の隅には天守台が残る。かつては三重三階の天守があり、低まった場所にあるとはいえ眺望は確保できていたはずである。
明かされる「変な城」の謎
こうして現地を歩いていくと、どうして奇妙な「穴城」ができたのかが分かってくる。
城の最奥部の水の手展望台からの景色。小諸城の背後は千曲川に面した断崖絶壁で、背後からはまず攻められない。
そして、城の北側には浸食でできた深い谷があり、天然の空堀となっている。
城の南側に回り込んでも深い谷で、城の方を向くと断崖がそびえている。この辺りは浅間山の噴火によってできた火山灰地で、河川の浸食によってこのような深い谷が形成されたのである。
城跡を一通り歩き終えると、築城者の意図を明確にとらえられるようになってきた。
上図の1,2,3の部分は急峻な地形である。ゆえに北・南・西の三方向は攻めるに難く守るに易い。東への守りさえ厳重にしておけばよい。
日本唯一の穴城という「変な城」は、大自然の営みが作り出した地形を存分に生かした結果、必然的に出来上がったのである。
※縄張図画像出典:こもろ観光局HP