友情って何? 損得なしの友情の大切さと、他人との距離感
友達ってなんでしょう?
「友達」の定義って難しい。1回会っただけでも「友達」っていう人もいれば、親しくなってやっと「友達」っていう人もいる。
先日学生時代の友達が数日間遊びに来ていました。
彼女とは実に20年ほどぶりの再会!
少し前からお互い繋がっていた共通の友人を通してやりとりするようになって。
学生時代、卒業してしばらくは一緒に遊んだり、週末にみんなで集まったりしていたのですが、お互い忙しかくなったり、人生でいろいろあったりして、音信不通になっていました。
でも、やりとりするとやっぱり昔に戻るというか。
ギャップを全く感じない感じ。
まだまだ未熟だったときに、損得なしでただただ一緒にいて楽しいからと付き合っていた友達。「そんな友達って貴重だな」と思って。
彼女と一緒にいるとブワーっと昔の思い出が蘇ってきて。
「友人関係って?」と考えたことを思うままに書いていきます。
1. 若いときの出会いと「若気のいたり」
ひたすら真面目に勉強と仕事だけをストイックにしていた方は、もしかしたら違うかもしれませんが、多かれ少なかれ誰しも「若いからできた」ということはあると思います。
昨今ではSNSの発達でちょっとしたことでも、すぐネットにあげられて叩かれる対象になってしまう。怖くて結局何もできないか、全く気にせず、あるいは承認欲求が強くて逆に常識とかけ離れたことをしてしまうか、どちらかに両極端になっている気がします。
(全く個人的な意見です)
それによって、「叩く方」と「叩かれる方」に二分されているような印象。
個人的には、他人に迷惑をかけていない限り何をしてもいいんじゃないかと思いますが、それで許されない風潮がある気がします。
でもね、若いときしかできないこと、若いから許されること、ってあります。
価値感は歳とともに変わってくる。
だんだんと「殻」が硬くなってくるというか。
「常識にそって」という気持ちが強くなってくるし、守りに入る。
経験も豊富になってくるから、
みたいな線引きができてくる。
そうすると、そのだんだん狭くなった価値観の中でしか、行動できなくなってくるんですね。
付き合いも変わってきます。
学生のとき、社会に出たばかりのときは、損得考えずに誰とでも付き合っていたのが、
だんだんと
と考えるようになる。
みんながみんな同じとは思いませんが、無意識にそんな基準で付き合う人を決めていないでしょうか。
そんなことを考えずに、「ただただ自分が楽しい、一緒にいてハッピー」という理由で付き合えるのが若いとき。
若いときは、どんな人とも自由に出会って関係を築くことができます。
もちろん、歳を重ねても可能ですが、若者には煙たがれるし、社会的地位や自分を取り巻く環境なので、10代、20代に比べれば難易度ははるかに高くなります。
私も学生時代から20代前半は、それはもう毎週末青山のクラブで夜遊びざんまいでした。
当時は青山クラブ全盛期というのもありましたが、その週末の楽しさがあるから1週間頑張れた。
友達とそんなことや、当時の思い出話を話していて。
彼女も当時クラブで出会った友達と、何十年たった今でも繋がっているし、私も同じ。
帰ると自然と「集まろうか」という感じになります。
なぜか。
やはり「価値観が近い、同じ」ということと、「損得なしで楽しいときを一緒に過ごした」というのが大きいのかなと思います。
当時出会った友達はどうなったのかというと、「Work hard, play hard」を続けて、いやいやもう普通では出会えない人たちになりました。
「一緒に遊んでいた楽しい仲間」の意識があるので、とてもそんなすごい人たちとは思えないのですが(すいません…)、もし仕事や別の状況で出会っていたら?
たぶん形式的な付き合いだけで、何十年たっても変わらず、お互い素のままで「何話してもジャッジもされないし、気を遣う心配もない」という状態にはならなかったと思います。
別の夜遊びを推奨しているわけではありませんが、若いときの出会いは大切に。
ある意味、一緒に育っていく感じですね。
30代、40代になって出会う人は、やはりお互い「社会人として出来上がっている」
だから、
と線引きをしてしまう傾向にあります。
もちろん同世代で、同じような家庭環境や価値観で生きてきた人と出会えば、違うかもしれません。でも、そういう場合でも、なかなかその先もずっと何もなくても気軽に会える人か?というと、難しい場合が多いです。
今はオンラインでの出会いがメジャーかもしれませんが、顔を付き合わせて会うというのも大事。
もちろん、そこから実際に会うことも多いと思いますが、やはり
ので、「そのイメージを崩さないように」という気を遣う方もいらっしゃるのでは。
若いときは、そういったマスクも薄いか、全く被ってなくても、好きな人と付き合えるし、そこで何か少しお互いに気分悪い思いとかしても、笑って許せたり、周りも「まあしょうがないよね」という目で見てくれる。
若いのは特権です。
そこで間違えてもいいし、それは認めて学んでいけばいい。
歳を重ねていくと、それも許されなくなってきます。
だから、若い人にはその特権を生かして、社会に大きな迷惑をかけないことにだけ気をつけて、好きなことをして、どんな人とでも出会いを大切にして欲しいな、と思っています。
(社会に迷惑…の基準が厳しくなっていると感じています。もちろんお店の評判や利益に関わったり、他人が不快になるような行動は別ですが、「こういう規則だから従わない人は叩かれるべき」みたいな風潮は違うかと。特に誰にも迷惑をかけていない場合。)
2. 自分にとって大切な相手と付き合う
ご近所さんとの付き合いとか、ママ友との付き合いとか、苦手な同僚との付き合いとか、若いときにはなかったいろんな社会的な縛りがでてきます。
SNSでこういう苦手な人との付き合いに対する愚痴って多いですよね。
しかもそういう投稿は人気。
そう見えます。
もちろん、毎日全く何の問題もなくてハッピー!なんて人は非常に稀です。
外から見たら幸せそうでも、実際はいろんなことで苦しんでいる人は多いです。
でも、外向けにはやはり「幸せマスク」を被っていないといけない。
それを脱ぐのが怖い。
だから、SNSで愚痴を言ったり、同じようなネガティブな投稿をしている人に共感する。
ネガティブな感情を吐き出すのは大事です。
でも、ネガティブなものに意図的に、あるいは無意識に引き寄せられていくのは危険。
脳は気づかないうちに、こういうネガティブな思考同士を繋げて、網の目のように繋げて行きます。それを断ち切るのはとても大変なんです。
ではどうすればいいのか。
それを断ち切るために、自分が無理に「幸せだ」なんて思い込む必要は全くないし、ネガティブな思考を否定する必要もありません。
人間ですから、そんなの当たり前。
逆にひたすらポジティブだけの人の方は、言葉が悪いかもしれませんが、何か抱えているのではないかと疑ってしまいます。
そういった負の感情がある、と認めて、受け入れる。
だからといって、ひたすらネガティブなものに吸い込まれないようにする、ということです。
という安心感もあるでしょう。
でも、そういう「負」の感情ばかりに触れていると、脳のネガティブ網がどんどん広がっていく。
そうなると、別の角度から見れば、対処できたりネガティブな要素じゃないことでも、全てを「負」として捉えるようになってしまいます。
ネガティブな人と付き合うのはやめよう、ということではありません。
実際の友人には、ネガティブな考え方の持ち主もいらっしゃるかもしれませんし、それがその方の価値を決めるわけではありません。
友達だ、ということは、それにあまりある価値をお互いに見出している、ということです。
それに友達がネガティブな状況も一時的だったり、何かが影響している、ということもあるので。
でも、SNSの顔も何も知らない方々。
これは自分でコントロールできますし、無理につながる必要もないわけです。
根拠のない批判や誹謗中傷してくる人は、実際には自分の人生にとって全く重要な人たちではありません。
自分の家族、兄弟姉妹、親友、先輩後輩、尊敬する人…
本当に大切な人はスクリーンの向こうではなく、目の前にいるんです。
SNSで顔も知らない、どこに住んでいるのか、どんな価値観を持っているのかも知らない人がどう思うかを気にするより、目の前の人を大切にしましょう。
自分をよく知っている方なら。
という意見もくれます。
もちろん、鬱状態のときは、こういったアドバイスが逆に負担になることもありますが、それがわかっているなら、ジャーナリングして紙に自分の気持ちを吐き出す、本当に信頼できる人にしか話さない、ということもできます。
という安心感もあって、SNSでのネガティブ投稿には人気が集まりますが、結局は怒りや嫉妬、絶望などの感情が増長するだけではないのでは、と思います。
それにネット上のことなので、どこまで本当なのかわかりませんしね。少し引いて見る、というのも大事かも。
これは個人的な意見ですので、「全く同意できない!」という方もいらっしゃるかもしれませんが。
3. ママ友との付き合いは必要か
最後に、気の合わないご近所さん、ママ友、無理に付き合う必要ありますか?
もちろんお子さんが小さければ、親同士の付き合いは必要です。
自分の子どもだけ、イベントに呼ばれない、という状況は避けたいですし。
でも、そこに一線を引けばいいんです。
無理に毎回毎回付き合わなくてもいいし、集まりに参加する必要もない。
という気持ちはあるでしょう。
でも、言わせておけばいいんですよ。
失礼にならない最低限の付き合いで、一線を引く。
ママ友やご近所さん付き合いでストレスある方は、距離感を考え直してみては?
もちろん、地元の幼稚園、小学校、へたしたら中学高校も一緒、となると、「うまく付き合わなければ」という感情があると思います。
親同士がお膳立てしなくてはいけないのは、幼稚園から小学校低学年まで。
意外とあっという間に過ぎますし、子ども同士が仲良いのに「あの方は付き合い悪いから呼ばない」ということも、子どものためを思えば普通ならないでしょう。
子どもを介してママ同士、さらにはパパ同士が仲良くなることももちろんあります。
私にもそんな友達がいます。
でも結局、出会いが子どもを介してだったとしても、
そこに尽きると思います。
実際、ずっと長く続いている友達と会うと、子どもの話よりお互いの興味や個人的な話、社会問題などになります。
それで最後に「あ、そういえば○○ちゃんどうしてる?」みたいな感じで(笑)
しなくてはならないママ友付き合いは最低限です。
参加必須のもの以外、参加しなくてもそれほど問題になりません。
ゴシップを知らない(笑)ということぐらいでしょうか。
他人のゴシップも全く興味がないし、知る必要もないと思っているので、ダメージはありません。逆にメンタル的にはその方がいいと思っています。
ただ、親同士繋がっていると学校の情報が得やすいというのはありますね。
でもこれも、必要な情報なら学校から連絡が来ますし、疑問があれば直接聞けばいいんです。「情報通」のママ友と無理に付き合ってメンタルやられながら仕入れる必要はありません。
フルタイムで勤務しているママは、そもそもママ友集まりに参加しませんし、それでうまく回っています。「みんなに合わせないと」というのは、ある意味思い込みというか、ママの役割としての責任感が強いのかもしれませんね。
結論としては、
ご意見・ご感想あればお気軽にコメントくださいね!
<今日のジャーナルお題>
ジャーナリングは自分を見つめ、成長していく上で欠かせないもの。
モーニングページのように、ただただ頭に浮かんだことを書いていくのもいいですが、
習慣になるまで「面倒」「書くことがない」という人もいると思います。
毎回記事の最後は記事テーマに関連するジャーナルお題を載せています。
今日のお題は、
普段ジャーナリングをしない人も、数行やリスト的な感じでもいいので
ぜひ書いてみてくださいね。
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